「ここまでやっても、本気で“自分は悪くない”と思えるのか」
記事を書きながら、ふと思い出して YouTube でニコラエ・チャウシェスクの最後の裁判映像を見返した。
正直、言葉を失った。
彼は最後まで、自分が悪いとは本気で思っていなかった。
取り乱してはいた。怒りもあった。理解できない、という表情もあった。
でも、「自分が国民を苦しめた」「判断を誤った」という認識は、どこにも見えなかった。
あれほど多くの人を貧困に追い込み、監視と恐怖で社会を縛り、人権を踏みにじってきたにもかかわらず、だ。
それを見て、私は背筋が冷えた。
■この人物は、どんな人だったのか
チャウシェスクは、1960〜80年代のルーマニアで長期政権を敷いた独裁者だ。
国の外債を一気に返すため、国民に極端な節約を強いた
食料・電力・暖房が制限され、冬でも人々は凍えた
反対意見は「国家への敵」とされ、秘密警察による監視と弾圧が行われた
国民が困窮する一方で、巨大な国家建造物に莫大な予算を使った
そして何より重要なのは、失敗を失敗として認めなかったことだ。
政策の是非より、修正できない構造そのものが、国を壊していった。
それでも、本人は「悪くない」と思っていた。
裁判の場で彼は、反省よりも困惑を見せていた。
「なぜ自分が裁かれるのか分からない」
本気で、そう思っているように見えた。
これは演技ではない。
「上は間違えない」
「問題は現場か外部のせい」
「精神と忠誠がすべて」
という世界で生き続けた結果、責任を引き受ける回路が消えていたのだと思う。
■なぜ、私はこの映像で震えたのか。
それが、最近の職場の光景と重なって見えたからだ。
建前ばかり語る上司。
現場の問題は見ない。
周囲はイエスマン。
反対意見は出ない。
そして面談では、本気で「自分は悪くない、正しい」という顔をしている。
自己正当化というより、本人の中で世界が完成してしまっている。
チャウシェスクを見て、私は歴史を見たのではない。
構造の終点を見て、震えた。
裁判映像について(注意)
以下の映像には、緊迫した裁判の様子や、処刑時の映像が含まれています。精神的に負荷のある描写があるため、視聴には注意してください。
▶ YouTube:「特番で知るルーマニア革命 特番「独裁の終章」 ~ 裁判・処刑全記録 ~」
■まとめ
これほどのことをしても、人は本気で「自分は悪くない」と思えてしまう。
それは個人の狂気ではない。責任を回避し続ける構造の、自然な帰結だ。
だから私は、あの裁判映像を他人事として見ることができなかった。
これは独裁国家の話ではない。規模を縮めれば、今の組織でも起きている話だ。
—— さくらバグ 🐞
