(恋愛小説)立葵と向日葵(11)
三年ぶりに帰ってきてしまった。
既視感ばかりの地元の風景が目の前に広がる。
見覚えは実家に近づくほど増して、俺の緊張を増幅させる。
悠良も今はホテルの部屋で緊張しているだろう。ここには、彼女と一緒に帰ってきた。
コンビニに寄る為に車から降りた時、彼女はガラッと変わった景色に喜んで声を上げていた。
「うーん、やっぱり平地だと広いって思うね!」今、住む町とは同じくらい規模の田舎同士なのに、山に囲まれていないだけで印象が違う。
二年離れていた地元に、悠良を婚約者として連れて帰ってきた。
でも今日実家に行くのは俺ひとりだ。
兄の妻そっくりの悠良を連れて行く前に、ちゃんと彼女について話すために。
先にチェックインした悠良に見送られてから、運転中何度も深呼吸をした。
それでも実家が近づくと、今年もちゃんと向日葵と立葵が咲いている。
ハンドルを握る手の力が和らぐ。
「よし」
自分に掛け声をして、車を停める。
来客がある時に実家に駐車するのは苦手だったのに、今日は一度で上手く停められた。
この二年で変わったのか、向日葵のおかげなのか分からない。
ドアチャイムを鳴らすと、身長の高い人の駆ける音がして、勢いよく引き戸が開く。
「圭太!おかえり……。って、ひとりか?彼女は?」
「彼女は明日、連れてくるよ」
「何で明日……?……美月、圭太の彼女は明日だってさ」
兄がそう言うと、また足音が聞こえる。
「彼女さんが馴染めるように、先に話をしに帰ったんじゃない?圭太君らしい気遣いで。いきなりは大変だから」
「……美月、今もまだ怒ってる?」
「今はもう良いけど、やっぱり最初はどうしようと思ったかな」
そういえば、兄が義姉を連れてきたのは突然だった。両親は喜びつつ、かなり焦っていた気がする。
俺も、突然義姉のような美人を見たせいで、余計に強く焦がれてしまった面もある。
「ごめんって。俺が言っちゃいけないけど、ああやってサプライズでこの家に連れてきたから、皆は美月を受け入れやすかったと思うんだよ」
三年ぶりに見た義姉と悠良の顔は、やっぱり瓜二つだ。
義姉を見たら逃げ出したくなるのではないかと思って怖かったのに、今は兄夫婦のやりとりが面白く、ただ笑っている。
今日、車の中で悠良に質問したことを思い出す。
「婚前旅行中に訊くことじゃないけど、悠良は、どうして俺がお義姉さんを好きだったのが解ったの?」
誰がなんと言おうと、俺達にとってこれは婚前旅行だ。工場は休みが長い。
この九連休はお互いの実家を巡る旅行にした。
悠良は得意気にふふふ、と笑う。
「ケーキだよ」
「ケーキ?」
「写真に写り込んでるウェディングケーキに日付が書いてあったの。二年前だった。圭太が引っ越してきたのも二年前でしょう?あぁ、圭太は美月さんがお兄さんと結婚して失恋したから引っ越したんだって」
「え?!それだけ?」
「うん」
あぁ、やっぱり悠良に上回られることは心地良い。兄も義姉に手綱を渡せば、案外もっと楽しいんじゃないかと思うのに。
俺はよほど変な顔をしていたのか、兄夫婦が怪訝な顔で覗き込む。
長身の二人が三和土に立つ俺を上から覗き込むなんて、腰が痛くなるんじゃないか。
「……圭太、最近変わったって言われないか?彼女の影響か?」
「暑かったのもあるんじゃない?いきなり笑うなんて。暑いのに玄関でごめんなさい。早く上がってもらって」
兄と義姉は夫婦漫才をしながら、俺を家の奥に招き入れ、あっという間に居間の上座に座らされた。
確かに、家の中はちゃんと涼しい。二年前はあんなに居心地悪く感じていたのに。
兄は俺を団扇であおいで、母は氷の入った麦茶を出してくれる。
それを一気に飲み干して勢いをつけた。
「でさ。電話でちょっと言ったけど、今、付き合ってる人が居て、結婚したくて。明日連れてくるんだけど」
「それは良いことだけど、何で明日なの?楽しみにしてたのに」
玄関での兄達との会話は、母には聞こえていなかったらしい。
「彼女が馴染みやすいように、先に話をするんだってさ。美月の時、失敗したからさ」
ふーん、と言って、母は責めるのをやめた。
兄の自虐には嫌みが無くからっとして、場の空気まで変えてしまう。こういう所がやはりすごい。「で、どんな人なの?顔は?」
まず見た目を訊くのが母らしくて、苦笑した。スマホを取り出して、水族館に行った時の写真を探る。
「すごく良い子だよ。顔は……すごく綺麗なんだ」
「美月の前ですごく綺麗って、絶対すごい可愛いじゃん!」
「……この人が石橋悠良さん。俺の三つ歳下」
わくわくと目を輝かせた四人は、差し出したスマホを覗き込み、同時に凍りつく。
その写真は、俺と悠良のツーショットを自撮りしたものだった。
「美月……?え?圭太の彼女が、美月?」
「違うでしょ!美月さんと髪が全然違うでしょ」
「そうよ。三週間前にこの長さなら、今、私は肩より少し長いくらいよ。それにこの人、私より若い」
「確かに、どっちも綺麗だなぁ……」
父の意見はずれているけれど、この混乱を少し和らげてくれる。
それでも居間の空気はあっという間に荒れてしまった。
麦茶の入っていたグラスが汗をかき続けている。
薄く氷水が入っただけなのに、無垢の座卓の天板に染みを作るほど汗をかくなんて。
いつも堂々としている兄は、真っ青になって震えている。
「兄さん、落ち着いて。明日連れてくるんだから、お義姉さんとは別人だよ」
「そんなこと……。頭では解っても、落ち着けないだろ……」
「そうよ圭太!あんた何考えてるの!」
兄より母が荒れるのではないかという気はしていたけれど、予想以上だった。怒りに震えている。義姉は母の言葉を予測して目をつぶった。
「父さん、母さん、ごめん……三人にして」
兄が絞り出すように懇願する。腕がだらりとし、いつものからっとした自信がみなぎる兄じゃない。
「旭がそう言うなら……」
母は兄の言葉で我に返り、父と顔を見合わせて力なく言った。
今、この場を収められるのは兄だけだった。
それを解っているから、あんなに震えても母を止め、三人での話し合いを提案したのだろう。
俺には出来ない。
でも、それで良い。
両親を居間に残して三人で客間に移動したが、外に人の気配がする。母だろう。
「圭太……俺、お前が引っ越しするまで、お前の気持ち気づいてなくて」
「……兄さん。俺もお義姉さんも、やましいことは無いよ。正直言うと、俺はこの悠良としか付き合うとか、そういうこととかしてない。お義姉さんも俺を義弟としか思ってない」
「うん……解ってる……」
義姉が両手で兄の手をしっかり包みこんで微笑んだ。
義姉と目を合わせた兄の顔に生気が戻っていく。「美月……さっきは無神経なこと言った……」
「俺が悪いんだよ。こうなるって解ってて、それでも彼女と結婚したいんだから」
「それだよ!圭太は、美月の代わりにその子と付き合ってるわけじゃないんだな?」
「俺も、身代わりにしようとしてるのかって悩んで、最初は付き合うのもぎこちなかった。でもそれは絶対に違うってもう解ってる」
「そうか」
「……俺はすごく兄さんに劣等感あったよ。身長とか、学歴とか、明るい性格とか。
初恋の人は兄さんの奥さんになるし。
超えたかったけど、俺は兄さんに敵わない。
でも、それはもういい。
兄さんに負けたから引っ越して、悠良に会えた。だから、もう良いんだよ」
「……やっぱり。圭太、良い男になったよな?」こういう時、自然に妻に同意を求めるのが夫婦なのだろう。
「ええ。色々良かった。彼女さんを連れて帰るって聞いて、私達、すごく嬉しくて。旭さんは、どんな子かなって毎日、私に言ってきて……」
義姉は目に涙を溜めて微笑む。
彼女はこの混乱の中でも、背筋を真っ直ぐ伸ばしている。
「でも、私は結婚式とか食事会とか、遠慮するから」
「え?!」
「え?!」
いつも似てないと言われた俺達兄弟が、揃って声を上げるなんて初めてだ。
「だって、結婚式は花嫁が目立つものでしょう?私もそうさせてもらったし。新郎の義姉が悪目立ちするなんて……駄目でしょう?」
言われてみれば、家族に理解してもらっても、他の人はどうだろう。
結婚式で悠良と義姉を見たら、あること無いこと思うのだろうか。
今日は一旦、悠良の待つホテルに戻ると告げて立ち上がる。
彼女をスムーズに受け入れてもらっても、そうすると決めていた。
兄夫婦が先に泊まっているのに水を差したくないし、何より、義姉の居る家に泊まれない。
玄関に行くと、母に呼び止められる。
「圭太、お兄ちゃんのことより、悠良さんのことを一番に考えてあげなさいよ」
こんなことを言われるなんて。母は俺に冷たいと思っていたのに。
「母さん……。やっぱり、盗み聞きしてたんだろ?」
「まあ、とにかくそういうことよ」
分が悪くなるとそう言って誤魔化す母の癖が、今日は愛すべきものに思える。
玄関を出て車に乗り込むと、兄が追いかけてきた。
父の小さなサンダルを無理して履くものだから、歩きづらそうで堪らない。
「圭太……明日悠良さんに会うの、楽しみにしてる。……けど、どうしても美月を隠さなきゃいけなくしたお前に腹が立つんだ……。誰も悪くないのに」
いつも俺に優しかった兄も、やはり妻を守っている。少し寂しいけど、格好良い。
向日葵と立葵の前を通って、悠良の待つ駅前のビジネスホテルに向かった。
力いっぱいドアを開けた悠良の笑顔に迎えられ部屋に入ると、彼女が抱きしめてくれる。
部屋は涼しく、彼女の腕はほんのり温かい。
「おかえり」
「ただいま」
俺も腕を回して彼女を包む。
帰ってきたんだ。
俺の家は、悠良のそばなんだ。
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