(恋愛小説)立葵と向日葵(9)
チャンスは水物だとどこかで聞いた。
今だってそうだ。
こんなチャンスが、また計算通りにやってくるわけじゃない。
(これも縁や運命なのかもしれない
また、唾を飲みこむ。
「悠良は……お母さんやお祖母ちゃんを見てて、結婚とか考える?」
「うん。私は家族好きだからね。同じようになりたいって思うよ」
よし、とりあえず結婚願望は確認できた。
あとは来月話を切り出そう。
勢いよく車に乗り込む。
「圭太は?」
予想外に質問を返されて驚くけれど、もしかして彼女も同じように気にしてくれているのか。
悠良は、少しだけ硬い声をしていた。
「俺は、今までは自分には縁のないことかと思って考えないようにして……。今は違うけど」
「今は考えられるんだ?」
そう言ってまた、「ふふふ」と満足そうに笑っている。
彼女もきっと、来月俺が切り出すのを待ってくれているのだ。
一度アパートに荷物を取りに行って、悠良は俺の部屋に戻ってきた。
日曜の夜は自宅に戻ってしまう彼女と、今日は楽しく過ごしたい。
夕食もよりをかけるつもりだったけれど、それは遠慮された。
そうだ。彼女は朝も昼も豪華に食べているのだっけ。
「ごめんね。でも、圭太はお昼がサンドウィッチだけでしょ?今度は私が何か作るよ」
食べたことのある悠良の料理は、おにぎりと肉団子だけだ。
彼女の作る夕食も食べてみたい。
でも、まだそこまで望めない。
申し出は辞して、二人でお茶漬けを食べることにした。せめてよく蒸らして淹れたお茶をかける。
「あー!美味しい」
「うん」
本当に美味しい。
気持ちを込めて淹れたお茶で作ったから。
でもきっと、それだけが理由じゃないのだろう。「圭太と食べるのが一番楽しい」
彼女も同じ気持ちで嬉しくて、何度も頷く。
泣いて抱きしめそうになるのを堪えるのに必死で、二口目からは味が分からない。
幸せで泣くこともあると、この時わかった。
今日も悠良は先に眠ってしまった。
またひとりでこの幸せを持て余すのかと思ったが、彼女を抱きしめながら眠れば良い。
自由になる方の手で彼女の顔に触れた。
「悠良」
彼女が可愛くて大事で、今が幸せで、だから自分でも心配になる。
「来月まで、言うの我慢できるかな……」
目が覚めると、悠良が鼻が触れそうなほどの至近距離で俺をにこにこ見つめている。
「!……びっくりした……。」
俺が驚くのは想定内だったらしく、悠良は背中をさすってくれた。
「ごめんね、今日は私が寝顔を観察してみたよ」「昨日はごめん。こんなにびっくりすると思ってなかった……」
悠良の綺麗な顔でも驚くのだから、こんなことするものじゃない。
「大丈夫。昨日の圭太もさっきの私と同じ気持ちだったってことだし」
「え?」
「圭太は本当に可愛くて、見てて飽きない!」
また、目元が熱くなる。
ずっと兄のように「格好いい」と言われたくて、でもどうしても格好良くもスマートにもなれなかった。
そんな俺が「可愛い」と言われて喜びが胸に広がっていくなんて。
悠良に言われると、兄との比較も男らしくないと自分を卑下する気持ちも湧いてこない。
「朝ごはんにしない?今日は私が作らせてもらったよ。食材使ってごめん」
「ありがとう、嬉しいよ」
話題を変えてくれてありがたかった。
天真爛漫なだけでもすごいのに、彼女はそれだけじゃない。
俺には勿体ないと思うけど、誰かに渡す気なんて欠片もない。
ずっとこうしていたい。
悠良の作る朝食も美味かった。
味噌汁は俺のより薄いけど、深い味がする。
「確かに、朝の味噌汁は幸せ感じる」
彼女は良かった、とにこにこして、すぐに真顔になった。
今日も何か用事があるんだろうか。
「で、さっきの話なんだけど、圭太は見てて飽きない。あなたと結婚したい。ずっと一緒に居たい」
「え!?」
熱々の味噌汁を思い切り飲んでしまった。
喉の感覚がおかしい。
けれど、そんなことどうでも良い。
結婚?
それは、来月するはずの話だったのに。
「まだ早いと思うだろうけど、あの不安な一週間の後でこんなに幸せで、圭太も結婚したいと思ってくれてるのに、あと何ヶ月も待てない」
何で気付いているんだろう。
俺がもう結婚を意識していることが。
「もちろん、圭太が可愛いからだけで決めたりしてないよ。言わないだけで他にもあるよ」
自分にそんなに安心材料があるのか?
でも、悠良が言うなら説得力がある。
彼女はたくましい向日葵に似ているんだから。
「……でも、早いとかないの?もう決めて大丈夫?」
焼けた喉で、最後の確認をする。
「「百パーセントの好き」って重い告白をオーケーして、泊まってるんだよ?覚悟してるよ」
悠良は呆れている。
義姉のことを知らなければ、あれはそんなに重い言葉なのか。
やっぱり「爆弾」のこともちゃんと伝えなければ。
正座をして、手で髪を整えた。
俺が悠長だったせいでこんな格好で伝えなければいけなくなってしまったのだ。
「俺こそ結婚したいです!お願いします」
せめて、深く深く礼をした。
寝間着に寝癖でも、本気なのだから。
悠良は、お願いします、と笑った。
少し体から力が抜けたように見える。
秘密を打ち明けなくてはいけない。
そしてお盆は帰省しよう。
家族に悠良のことを話そう。
「じゃあ、お盆……」
その時、滅多に鳴らないドアチャイムの音が響いた。
誰だろうと首を傾げ合いながら、俺は玄関に出る。
ドアスコープの先には、いかにも人の良さそうな高齢男性が居た。
「大家さん!」
家賃はちゃんと落ちているのに。
彼女を呼んだクレームだろうか。
覚束ない手でやっと鍵を開けると、大家は目が開いてるのかどうかも分からないほど弛んだ瞼を更に寝かせて言った。
「来客中にすみませんね。今年はお盆休みが長いから、早く伝えておきたくて」
悠良が来ているのが分かっているんだ。
いつもは微笑ましく聞いている、ゆったりした喋りがもどかしい。
「は……い」
「九月からこのアパート、塗装工事が入ります。うるさくしますけど、すみませんね」
「いえ……平日は大丈夫……です」
安心して膝から崩れそうだった。
だが、彼がまだ話を続けたそうに留まっているのが気になる。
「本当にごめんなさいね。昨日、甲斐さんが女性と一緒に帰ってきたのを見たら、嬉しくてつい」
「え……」
「結婚するの?」
「はい……」
この後どうなるかも解らないのに、頷いてしまう。
大家はさらに目を細めた。
細め過ぎて目を認識出来ない。
「ここ単身者用だから、甲斐さん居なくなるのは寂しいけどね。この間まで淋しそうな顔してたから、良かった」
大家は良かった良かったと言いながら階段を降りていく。
ドアを閉めると、すぐ部屋に戻った。
話の続きをしなければ。
「ごめん、さっきの……」
「あ、ご飯終わったよね。下げようと思って」
着替えを済ませた悠良が下げた食器を持ってキッチンに向かい、手際よくシンクに浸けていく。「あ、今度は俺が洗う」
「じゃあ、私はテーブル拭くね」
本当に夫婦のような時間が流れて、二人で顔を緩める。
大切なひとと結婚しようと言い合って、親しい人に祝われて、家事を分担する。
幸せだ。
悠良が拭いてくれてすっかり片付いたテーブルに、先ほどまでの空気は無い。
すっかり話の腰を折られてしまった。
ベッドにもたれ掛かって座ると、彼女も腰を下ろして俺の肩に寄り掛かる。
義姉の話をしなくてはいけないのに、どうしてもその勇気と勢いをもう一度出せない。
怖い。
今、この肩に掛かっている幸せな重みを失うかもしれない。
「ねぇ、今日はこのまま映画観ない?」
額に口づけて彼女の提案を受入れた。
テレビでNetflixを開く。
明日まで。
明日は言うから、どうか、今日はこのままで居させてほしい。
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