(恋愛小説)立葵と向日葵(最終話)
窓の外はもう明るい。
今日も暑くなりそうな、でも清々しい朝の景色が広がっている。
深い眠りを味わって目を覚ますと、悠良はもうテーブルで化粧をしていた。
慌ててローブの襟を直しながらベッドを出る。
「おはよう。もうちょっと寝てて大丈夫だよ。よく寝てたし、疲れてたんだよ」
と優しく言ってくれるけど、今は婚前旅行でもあるのだ。
一緒に寝て、一緒に起きていたい。
一生懸命シーツを整えても、向こうのベッドのようにはいかない。
(あんなに綺麗に出来るのは、やっぱりプロだなぁ)
覚えたてのオールインワンを掴んでバスルームに駆け込み、顔を洗い、着替えを済ませる。
悠良の隣に座って手で顔を温めながら彼女を見ると、この間に身支度が済んでいた。
美術館デートの時のシックなコーディネートを着て、化粧した顔はいつもより華やいでいる。
「今日、特に綺麗だなぁ」
「ふふ、気合いとか顔に出てるんだよ」
彼女がいたずらっぽく言うので、この後の俺の実家の挨拶も、楽しむべきミッションのように感じてしまう。
「じゃあ、もっと気合い入れに朝食行こう」
あの後、悠良は紫外線対策だと言って、朝食バイキングで全種類のフルーツを取った。
そのおかげなのか、実家の駐車場に降りて暑さに晒されても、彼女のどこにも緊張を感じない。
改めてその服装を見た。
悠良の持っている中から、今日は義姉から一番遠いものを着ている。
この旅行の前に、義姉の写真を何枚かせがまれたが、そういうことだったのか。
(彼女なら大丈夫)
ドアチャイムを押して、今日は誰が出てくるのか予想する。足音が鈍く響く。
これは母か。
「悠良さん、いらっしゃ……」
マイペースな口調が途切れた。
さすがの父も、悠良を見て固まっている。
このコーディネートじゃなかったら、叫んでいたかもしれない。
母は悠良の前に麦茶を置きながら、ひそかに義姉と見比べている。
「母さん、やめなさい」
父の顔が珍しく険しい。
母はその隣に気まずそうに座るが、まだ悠良を目で追っている。
当の悠良はそんな様子に全く気付いていないかのようだ。堂々と一呼吸置いて、張りのある声で切り出した。
「今日はお忙しい中、ありがとうございます。石橋悠良です。圭太さんとお付き合いしていまして、私達は結婚を望んでいます」
両親は、結婚…と呟いて、顔を見合わせた。
昨日の下話が全部飛んでいる。
(実際に悠良を目の前にしたら、そりゃ混乱するよな……)
と思うが、悠良はどうしてこんなに堂々としていられるのだろう。
「結婚が早過ぎるなら、一緒に暮らすことを認めていただければと思っています」
「え?」
ここには、結婚挨拶に来たはずだ。
なのに、同棲の挨拶なんて、聞いていない。
(……でも、今は何も言わないほうが良い気がする)
覚悟して前を向くと、正面で義姉が微笑んでいる。
不思議な笑顔で引っかかる。
まるで、「参りました」とでも言っているようだ。
「結婚を、望んでいるんだよね?」
父の眼鏡が汗で少しずれた。ちゃんとエアコンは点いているのに。
「はい。でも、確かに早過ぎるというご心配はもっともですから、まずは同棲を」
お願いします、と悠良が頭を下げるのに俺も合わせた。
しばらく頭を下げて少し苦しくなった時、くくく、と笑う声が聞こえて頭を上げる。兄夫婦が笑っている。
「父さん、許した方が良いよ。この子、逃しちゃ駄目だよ」
そう言うと兄はのけ反って笑い始め、母はひとつ息を吐いて言った。
「お父さん、私もそう思います」
これは、母と兄夫婦の許可が出たということで良いのだろう。
でも、いきなり好転した理由がわからない。
あっという間に、悠良のペースだ。
「ありがとうございます!では、これから度々ここに来ても良いでしょうか?ご近所の方にも私を知っていただきたいので」
結婚までに何度もここに来るという話も、俺は聞いていない。
ますます訳が解らないけれど、兄の笑いはまた大きくなった。母も今度は降参したように深いため息をついて破顔する。
「もちろん。この辺を美月さんと歩いたりしてくれれば、変な誤解も生まれず助かりますね」
座卓越しに、兄に肩を叩かれた。
唇が「良かったな」と言っている。義姉も小さく拍手をくれた。
もしかして、そういうことなのか。
悠良は「結婚」というハードルの高い要求を出して、渋られたら中程度の「同棲」を提示した。
そうすれば「交際」は認められたことになる。
その上、「結婚」に難色を示す理由も、「早過ぎるから」にすり替わってしまった。
交際が許されたのだから、ここに顔を出し続ければ良い。そのうち悠良に情が移り、近所にも「美月さんにそっくりな圭太の婚約者」として認知されるというわけだ。
さすが悠良だと感心するばかりだけれど。
「良いの……?」
「圭太、勘違いしないの。私達は戦略負けしたんじゃないの。絶対悠良さんを逃がしたくないの。これだけ息子を好いて、肝が据わってる子」
確かに、この法則を知っているからとはいえ、結婚挨拶なんて緊張する場で実行できる人は、きっと多くない。
兄が、そうそう、とこの場をさらに盛り上げる。笑顔を取り戻した父が朗らかに頭を下げ言った。「だからね、悠良さん。圭太のこと、結婚前提でお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
悠良も満面の笑みで丁寧に頭を下げる。声に出さないだけで、いつものように「ふふふ」と笑っているのだろう。
結局、結婚前提に着地させてしまった。しかも皆がこんなに嬉しそうに笑っている。
(すごいな、本当)
隣の悠良を見つめると、後ろの窓から光を受けて輝いていた。
俺の視線に気付いて、見つめ返してくれる。
「悠良、ありがとう」
彼女が笑顔で目配せする。あのことを切り出して良いのだろう。
兄夫婦の方を見て、俺も少し声を張り上げる。「昨日、二人で考えてたんだけど、結婚式ではお義兄さんとお義姉さんにも、前に出て来てほしいなって思ってる」
「え……私も?」
悠良の背中を照らしている東向きの窓の陽を、義姉の結婚指輪が受けた。兄の手元には色違いのそっくりな指輪がはまっている。
この二人はもちろん、俺達も、隠すべき存在なんかじゃない。
「美月さんと私がそっくりだって、それとなくアピールした方が良いと思うんです」
「お義姉さんが悠良の為に考えてくれるのは有り難いんだ。でも、隠すと、変に勘繰られると思うよ」
「何の話なの?」
母がうずうずと訊いてくる。
話に入りたいのか、心配しているのか、ただの好奇心なのか。
全部あると思うが、一番は好奇心だろう。
「お義姉さん、自分が悠良と同じように目立ったらいけないから、結婚式するなら出ないって」「ええ?!……まぁ、それも分るけど……ねえ」「私達は、むしろお義姉さんに目立ってほしいんです。邪推を防ぐ為に。あと、もったいないじゃないですか」
「……もったいない……?」
悠良の言葉に期待しているのか、義姉が縋るような目で尋ねる。きっと、本当は出席したいと思ってくれているのだ。
「私達が似ているの、きっと今だけです。私がおばあちゃんになって、シワッシワになったら、誰に似てたかなんて誰も分かりません。そうなった時、昔似てたこと思い出して、笑い合いたいんです」
昨夜二人で話し合った時、俺の言葉をこんなふうに考えてくれたのかと嬉しかった。
今も目に涙が滲むけど、兄はもう泣いている。
「本当そうだよ。隠すから下世話なことを考えたくなるんだよ。堂々としてたらいいよ」
なぁ、と兄は父に同意を求めた。
「あぁ、悠良さんと圭太の様子を見れば大丈夫だ」
場の空気に合わせたのか、父が似合わない腕組みなんてして低い声で言うので、こちらが笑いそうになる。
「はい」
義姉が涙を溜めて笑った。父のあの滑稽な様子を見ても泣くほど、気を張っていたのかもしれない。
それからは和やかだった。
俺が昨日持ってきたお土産の菓子とコーヒーが出され、膝を崩して小さな祝宴が始まる。ひとしきり馴れ初めを訊かれたところで、この旅行で一番したかったことを思い出す。
「悠良、歩いて付いてきてほしい所があるんだけど、良い?」
「え?うん」
笑ってコーヒーを飲んでいた悠良の虚を突いてしまったけれど、彼女はむせることなく応えてくれた。
「美月、じゃあ俺達もついて行こう!早速、別人アピールしないとな」
兄は面白がっている気がするけれど、これは確かに楽しいだろう。
時間帯が丁度良く、外には人が多かった。
四人で歩いていると、義姉を知っている人は振り返ったり目を丸くする。
悠良は俺の手を引っ張って向かっていき、自己紹介を始めた。
「こんにちは。圭太さんと結婚前提でお付き合いしています、悠良です。美月さんとは義理の姉妹になるんです」
隠すことも屈託も無く説明されて、安心した人達は悠良と義姉を囲んで質問攻めにする。
昼時になり、やっと二人が解放されると、あの向日葵畑に向かった。
「あぁ、ここの立葵と向日葵、毎年咲くよな」
「うん。悠良、前に向日葵に似てるって言っただろ?この向日葵を見せたいって思ってた」
俺が悠良の手を取ると、手を握り返してくれた。
お互いの顔を見て微笑み合う。
「あぁ、背が高くて明るくて?じゃあ、美月は立葵じゃないか?いつも背筋伸ばしてるし」
「そう考えたら、立葵と向日葵って、似てないようで似てるのね」
「うん。似てるんだけど、俺には悠良、兄さんにはお義姉さんしか居ないんだよな」
四人で頷き合った。
兄達も手を繋いでいる。
夏はもうすぐ終わるけど、この向日葵はまだ咲いているのだと思う。
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