(恋愛小説)立葵と向日葵(5)
そういえば、大丈夫なんだろうか。
夢心地のままファミマに着いて明るい店内に入りコーヒーを二つ買ってやっと、冷静になってきた。
イートインの向かい合った椅子に座って考えた。
明後日からは仕事が始まる。
俺達は同じ会社の同じ課で働く、正真正銘の社内恋愛カップルになったのだ。
だからといって、あまりにも距離を取るのもおかしい。
悠良もそれでは寂しいかもしれない。
でも、距離が近すぎてばれるのだけは避けなければ。
そうだ、名前の呼び方はどうなるのだろう。
名字にさん付けのカップルも居ると思うが、俺達はどうするのか。
そもそも、今、こうしているのを見つかるのも、まずい気がする。
わずかに紙コップを置く音がして悠良を見ると、にこにこしながらこちらを見ている。
「また、何か可笑しかった?」
「ぐるぐる悩んでるなぁって。コーヒー冷めますよ」
さっきも思ったが、悩んでいる姿が可愛いとは何だろう。
兄のように格好良く、スマートにこなす男性が好きなものじゃないのだろうか。
慌ててコーヒーに口を付けたが、既に熱々は逃してしまっていた。
「大丈夫ですよ。甲斐さん。総務課長が言ってました。社内恋愛は常識の範囲内でオーケーだそうですよ」
まだ熱いコーヒーを思い切り飲み込んでしまった。
喉が火傷したかもしれない。
「吉田さんが?!」
「はい。さっき教えてくれました。私が甲斐さんを好きなの、皆にバレバレですから」
「総務課長はわざわざ昨日、就業規則を読み直してくれたんです」
そんな会話をしているのを、さっき俺は烏龍茶を飲みながら楽しく見ていたのか。
訊きたいことがたくさんある。
「吉田さん、なんて言ってた?他にも木下さんと平野さんも居たよね」
「え?頑張ってー、って。甲斐くんはオススメだよって言ってましたよ!」
何故か悠良が自慢そうに言ってくれて、小さな幸せを感じる。
「…常識の範囲ってことは…会社では仕事のことだけ話せば良いってこと?昼休憩も別々の方が良いね」
「門の中では私は敬語で話して、呼び方は名字にさん付けですね」
「べたべたしないってことだね」
悠良が頷く。
こんなに明確に方向性が決まったら、仕事はもう大丈夫だ。
なら、明日はどうする。
恋人として最初の日曜日をどう過ごせば良いのだろう。
「明日、どこか行く?」
悠良は目を輝かせて検索し、スマホを見せてくる。
「水族館はどうですか?いつも顕微鏡見たり入力したり、縮こまってるから。ゆっくり歩くの良いかなって」
「じゃあ、あの海のそばの水族館に行こう。運転するから」
話がまとまると俺もやっと落ち着いて、イートインから出た。
車までまた二人で歩いた。
「彼女」を乗せてハンドルを握るというのは不思議な感覚だった。
緊張するような、くすぐったいような温かいような、そんな十五分だ。
悠良のアパート前に着くと、急に離れ難くなる。
彼女が帰るところなんて、いつも見ていたのに。
何か時間を稼げる話でも無いかと思うのに、悠良は躊躇なくシートベルトを外す。
「じゃあ、圭太。また明日」
俺が返事出来ないでいるのを愛しそうに見て、悠良は自分の部屋に帰っていった。
玄関ドア横の窓から電気が点いたのが見えると、彼女が帰ってしまったことをやっと実感する。
そうだった。
プライベートでの呼び方を決めていなかった。
ファミマで呼んでおけばよかった。
明日まで彼女を名前で呼べないのは切なすぎる。
でも、電話をするのも切れる気がしない。
LINEを開いて手短に文を入力する。
「おやすみ、悠良。また明日。」
水族館デートは本当に良かった。
俺は悠良が喜んで食べていた玉子焼き入りの弁当を作り、悠良は運転する俺が食べやすいように、それぞれ中身を変えた具を入れたおにぎりを作ってくれていて二人で笑った。
俺の地元は海の見える場所だったけれど、ペンギンやラッコなんてテレビでしか見たことは無かったし、魚を水族館で見るのは新鮮だ。
明日の仕事に障らないように早めに帰ったけれど、お互い寝支度をした後で電話した。
来週は土曜日に、隣の市の花火大会に行く。
月曜日に出勤すると、悠良が吉田さんに声を掛けられていた。
吉田さんの
「キャー!」
という声がして、皆がわけもわからず振り返る。
俺は吉田さんに会釈して去ると、後ろで彼女達が何かを喜びあっているのが聞こえてマスクの下が緩んでしまう。
花火大会で、悠良は動きやすい洋服に、アクセサリーで華やぎを足していた。
ベタに浴衣姿を見たい気持ちもあったけれど、きっとひとりで着るのは難しいのだろう。
いつも下ろしている髪をアップにしているのを見られただけで充分だった。
月に照らされた横顔も静謐で美しいが、顔に花火の色が映るのもあでやかだ。
何より今日は悠良が花火に釘付けになっていて、彼女の顔をゆっくり眺められる。
「ねぇ、すごい!」
油断していた。花火に感動した悠良が突然こちらを向いて、またお互いの顔が近くなる。
俺が顔を逸らした時、花火大会の終わりを告げるアナウンスが聞こえた。
「帰ろうか」
会場から駐車場まで黙って歩いた。
車が見えた時、悠良が手を取ろうとしたのを、俺は受け入れることが出来なかった。
なんで、と言う声が背中に刺さる。
それでも、どうしても駄目だった。彼女は悲しいような、理解出来ないような顔をする。
自分の告白を受け入れて何度も出掛けた相手にこんなことをされるとは、誰だって思わない。
それは解っているけれど。
「悠良を百パーセント好きな自信が付くまで触れられない……」
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