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(恋愛小説)立葵と向日葵(8)

 寝たままカーテンを引っ張ると、水色の空が眩しい。
新月の空にばら撒かれていた星たちは、もうすっかり見えない。
でも、隣から聞こえる高い寝息が昨日を思い出させてくれる。
今朝の目覚めは最高だ。
この一週間、悩みながら寝落ちというパターンが多くていつも疲れを残していたけれど、体が軽くて、頭もちゃんと冴えている。
何より、隣で大切なひとが安心しきって寝ているのだ。
一週間も不安にさせてしまったし、そういえば彼女は昨日、夕食も食べずに寝ている。
俺は起き上がって思い切り伸びをした。
腕を振るって朝食を作ってあげよう。
昨夜の分までしっかり食べてもらおう。
着替えをして、冷蔵庫からあれもこれもと食材を取り出す。
自分のお腹もぐうと鳴る。
ひとりで食べるのも申し訳なくて、昨夜はそのまま一緒に寝てしまった。けど、自分の空腹なんてどうでも良かった。


 米を炊飯器に仕掛けてその間に野菜を切る。
たくさん入れてしっかり出汁が出て美味くなった味噌汁を、彼女はきっと喜んで食べてくれる。
同時に茹でていたウインナーを炒めていると、はたと気付いた。
「いつも玉子焼きじゃ飽きるよな。卵料理は起きてからにしよう」
冷蔵庫にひとつキウイがあった。
卵料理とキウイを付ければ、充分昨日の分の栄養も摂れると思う。
あとは彼女が起きるのを待つだけだ。


 悠良は寝顔も、眠くて目が閉じそうな顔すら綺麗だということは昨日知った。
彼女自身も知らないだろうに俺は知っている。
まだ新しい発見がないかとワクワクして、悠良の顔を観察し続けた。
「!……びっくりした!」
目を覚ました悠良が驚いて大声を上げる。
甘い雰囲気になるのを期待していたけれど、起きたら自分をじっと観察されているなんて確かに怖い。
浮かれ過ぎたかも、とそれまでの癖で卑屈になりそうなところを思い直す。
彼女を大事に思うことは悪くない。



「ごめん。ほぼご飯出来たから、起きるの待ってた。」
「ご飯……?あ!確かに!良いにおい!」
「ごはんと味噌汁とウインナーとキウイあるけど、玉子は玉子焼き?目玉焼き?」
「今日は目玉焼き!って、すごい豪華な朝ごはん!」
調理台に並んだ皿と鍋の中の味噌汁に、目を丸くして喜んでくれてホッとする。
「昨日、夜食べてないから、しっかり食べてほしいと思って」
「……圭太、昨日ちゃんと夜ご飯たべた?」
「まだ……」
「ごめん!早く食べよう!一緒に食べよう!」
慌てる悠良に、玉子を焼く間に着替えるように言って、深呼吸した。
昨日、夜、そして着替え。
自分で言っておいて、色々思い出して照れてしまう。
「目玉焼き、もう良いんじゃない?お皿に移すよ?」
恥ずかしさで顔を覆っていると、悠良が隣に立っていた。
目玉焼きを載せて完成したプレートを両手に持って台に運んでくれる。


「あ!ごめん」
「……昨日、嫌だったりした?さすがに急展開だった?」
悠良がこんなネガティブなことを言うのは、俺の性格がうつってしまったのだろうか。
「いやいや!恥ずかしかっただけで、昨日で良かった!色々安心できた!」
「私も安心した。あと、圭太はやっぱり最高に可愛い」
結ばれた翌朝に見つめ合うなんて、陳腐だろうか。
けれど、今は特別に許してほしい。
こんなに幸せなのだから。
そのまま抱きしめて、少し手に力を込める。俺の背中に腕を回して彼女は言った。
「ごめん、一旦帰らないと」
「え?」
「ほら、お祖母ちゃんの長寿祝いで市街地の料亭に。十時には出て、着替えて行くよ。十七時ごじには帰ってくるよ」
そうだった。
昨日の朝まで覚えていたのに。
今日は一緒に居たいけど、親族は大切にしなければ。
諦められなくて、抱きしめたまま考え続けた。「俺が送っていくよ!」
回した腕はそのままに、悠良は体を離して俺の顔を見る。
「片道二時間だよ?食事会は二、三時間だよ?」彼女は驚くけれど、こんな日に同じことを言われたら皆、こう言うと思う。
「大丈夫。往復四時間一緒に居られるよ。悠良も電車で行くより早くて楽だし」
「……ありがとう。そうする」
彼女はそのまま離れて朝食の準備を続けようとするが、俺はまだ離さない。
「圭太?」
「送っていくから、三分頂戴」
今だけ。家を出るまでの三時間のうち、三分。今朝は俺から口づけた。彼女も応酬してくれる。今だけだ。


 「あー、朝お味噌汁飲むと、幸せだなって思うよね」
すっかり化粧も髪も整えた悠良が、朝食を口に運ぶ。
やっぱり、彼女が俺の料理を美味しそうに食べるのは嬉しい。
三分だけなんて格好つけたけれど、こんなに幸せなのに、どうして離れなければいけないのか。「圭太は食べないの?美味しいのに」
そう言われて口ごもる。
さっきの三分を、まだ唇に残していたい。
「……圭太、食べなきゃ私、ひとりで行くよ」「え!」
「だって、長距離運転なんだから、ちゃんと食べて」
「わかりました……」
渋々啜った熱い味噌汁が口に触れると、さっきの余韻が少しだけ蘇った。


 三時間なんてあっという間に過ぎるものだ。
お互いに身支度をして朝食を摂って、後でゆっくりするために家事をして、家を出るまで肩を抱いて座っていたのに。
そんなの短い、もっと一緒に居たい。
それでも、念の為に予定より三十分早く家を出て、悠良のアパートへ向かった。
紺のシンプルな半袖のワンピースで出てきた彼女を運転席から見上げた。
見惚れた俺が冷静になるまで出発を待ったので、結局予定通りに到着した。
「じゃあ、また後で」
「ありがとう、ごめんね」
「いや、俺が我儘言ったから」
この駐車場から料亭へは、少し歩かなくてはいけない。
前日を過ごした恋人に、会場前まで送られるわけにはいかないと言っていた。
(あと三時間か……)
気が遠くなるほど長い。
始まるまで三十分。
二時間の食事会と言っていたけれど、お開きになってすぐ帰るわけではないだろう。
朝、悠良と家で過ごした三時間はあっという間に過ぎてしまったのに。


 料亭近くのカフェで時間を潰すことにした。
いつ呼ばれてもすぐに迎えに行けるように。
注文したのもコーヒーとサンドウィッチだ。
(親族……)
幸せの絶頂だったところに寂しさが入り込んで、少し心が弱くなっているのだろう。
幸せでしかたなくて、だからこそ怖いことがある。
悠良が、兄の妻のことを知ったら……。
どんな言葉で義姉を紹介しても、「この人のことが好きだったの?今も好きなの?」と考えてしまわないか。
そうしたら、この幸せは終わってしまう。
(いや、早すぎるって)
今はこの幸せを感じているだけで良いはずだ。
悠良が義姉のことを知るタイミングなんて、結婚する時だろう。
(結婚……)
本当は望んでいるけれど、それこそさすがに早すぎる。
濃密過ぎて忘れていたが、まだ付き合って二週間。親密になってまだ一日も経っていない。
こんな事を考えるなんて、浮かれ過ぎている。
じゃあ、どのくらい待つのが妥当なのか。
普通は兄のように二、三年付き合ってからだと思う。
けど。
(長い……!)
俺のような「爆弾」を抱えて付き合うには長過ぎる。すぐに話すべきかもしれない。
たとえ早すぎると引かれても。
そこで、はたと気が付いた。
ひとりで前のめりになっていたけれど、悠良は結婚について、どう思っているんだろう。
「結婚願望あるか聞く方法」で検索してみると、普通は数ヶ月付き合って訊くものらしい。
(爆弾のある俺なら、一、二ヶ月くらいかな。それとなく訊いてみよう)
考えがまとまったところで、LINEが来た。
「さっきの停めた車の所にいるよ」
会計をしてカフェを出て返信し、歩き始めた。
悠良はあんなに周りを気にしていたんだ。
料亭近くで落ち合うわけがなかった。
(俺、早く会いた過ぎだろう)
滑稽だけれど、不思議とそんな自分が嫌じゃない。


 悠良は車の横で待っていてくれた。
薄暗い立体駐車場の中でも、彼女は目を引く。
ここに来るまでに、何人にも振り返られて来たんだろう。
「遅くなってごめん!」
「全然。どこで待っててくれたの?」
カフェのことを伝えると、彼女は驚いていた。
「え!カフェに三時間居たの?退屈じゃなかった?」
それは、大丈夫…と誤魔化しながら、まだ暑い車の中を冷ますため、ドアを全開にしてエアコンを点けた。
「また、何か悩んでた……?」
どきりとして唾を飲む。
「そうです」と言っているようなものだ。
車内はまだ暑く、乗り込めない。
「言いたくないなら良いんだよ。ごめんね」
「言いたくないわけじゃない。ただ……悠良の親族ってどんな人かなって」 
言えないけれど、本当はそれだけじゃない。
「お祖母ちゃんは七十五歳で、おじさん達といとこにも会えたよ」
「お祖母ちゃんが七十五歳って、若くない?」
「うん、お祖母ちゃんもお母さんも二十五歳で結婚してるからね」
「じゃあ、今の悠良の歳だ!」
「うん、そうだね……」
しまったと思った。
もう少し待ってからと決めたのに。
でも、結婚願望の有無を訊く大きなチャンスかもしれない。


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