期間限定の同棲をしたらそのまま同棲することになった
「そこ、気をつけて。落としたら中身全部出るから」
「分かってるって。というか、ひかる荷物多すぎない?」
「一か月暮らすんだから普通でしょ」
「段ボール七箱は普通じゃないだろ」
「必要なものしか持ってきてないもん」
「このクッション三つも必要?」
「必要」
「ぬいぐるみは?」
「もっと必要」
玄関からリビングまで積み上がった段ボールを見ながら、〇〇は小さく息を吐いた。
今日から一か月、恋人の森田ひかると一緒に暮らす。
同棲と言っても、正式なものではない。
ひかるが暮らしている部屋で大規模な修繕工事が行われることになり、その間だけ〇〇の家へ避難してきたのだ。
ホテルや実家という選択肢もあったらしいが、ひかるは迷わず〇〇を頼った。
頼られた〇〇も、断る理由などなかった。
むしろ、付き合ってから何度も思い描いていた生活が、思わぬ形で現実になったことを嬉しく思っている。
ただ、それを素直に口にするのは少し恥ずかしかった。
「〇〇、ぼーっとしてないで手伝って」
「ああ、ごめん」
「これは寝室に持っていって」
「また服?」
「部屋着」
「さっきも部屋着って書いてある箱あったけど」
「そっちは薄手で、こっちは厚手」
「一か月で季節変わらないぞ」
「気分で変えるの」
ひかるは当然のように答え、別の段ボールを開け始める。
箱の中から次々と服や化粧品、小物が出てくるたび、〇〇の家が少しずつひかるの色に染まっていった。
洗面所には見慣れないボトルが並び、玄関には小さな靴が増え、ソファにはひかるが持ってきたクッションが置かれる。
殺風景だった部屋が、一気に生活感のある空間へ変わっていく。
「これ、どこに置いていい?」
ひかるが両手に写真立てを持って近づいてきた。
二人で旅行へ行った時に撮った写真だった。
〇〇は少し考え、テレビ台の空いている場所を指さす。
「そこがいいんじゃない?」
「見えるところでいいの?」
「恋人との写真を隠す必要ないだろ」
「そうだけど」
ひかるは少しだけ嬉しそうに笑い、写真立てを丁寧に置いた。
その横に並んで立ち、満足そうに眺めている。
「いい感じ」
「そうだな」
「本当に今日からここで暮らすんだね」
「期限付きだけどな」
何気なく言った言葉だった。
けれど、ひかるは一瞬だけ表情を曇らせた。
〇〇がその変化に気づくより早く、ひかるは笑顔に戻る。
「今日からよろしくね」
「よろしく」
「迷惑だった?」
突然の問いかけに、〇〇はひかるを見る。
「なんで?」
「だって急だったし、こんなに荷物持ってきたし、〇〇の生活も変わるでしょ」
「迷惑なら最初から断ってるよ」
「本当?」
「頼ってくれて嬉しいよ」
〇〇がそう答えると、ひかるは安心したように肩の力を抜いた。
そして少し照れくさそうに〇〇の服の裾をつまむ。
「〇〇しかいないもん」
「実家は?」
「遠いし、仕事もあるから」
「友達は?」
「一か月も泊めてもらうのは悪いし」
「ホテルは?」
「高い」
「結局消去法じゃん」
「違う」
ひかるはむっとした表情で〇〇を見上げる。
「一番最初に〇〇が浮かんだの」
「そうなの?」
「恋人なんだから当たり前でしょ」
そう言ったあと、ひかるは自分から〇〇の胸元に額を寄せた。
「それに、一緒に暮らしてみたかったし」
小さくつぶやかれた言葉は、しっかりと〇〇の耳に届いていた。
けれど、照れているひかるをこれ以上困らせるのも可哀想だと思い、〇〇は何も言わずに頭を撫でる。
「早く片づけよう。今日中に終わらないぞ」
「うん」
二人で荷解きを終えた頃には、外はすっかり暗くなっていた。
夕食は簡単に済ませる予定だったが、ひかるが今日からお世話になるからと料理を作った。
狭いキッチンに二人で立ち、〇〇が野菜を切り、ひかるが味付けをする。
何度も肩がぶつかり、そのたびにどちらからともなく笑った。
食事を終え、二人で食器を洗い、順番に風呂へ入る。
寝る時間になると、ひかるは枕を抱えて寝室の入口に立った。
「本当に一緒に寝ていいの?」
「今さら何を聞いてるんだよ。泊まる時はいつも一緒だろ」
「一日だけ泊まるのと、一か月暮らすのは違うもん」
「嫌ならリビングで寝るけど」
「嫌」
すぐに答えたひかるは、〇〇より先にベッドへ入り、壁側へ移動した。
〇〇も隣に横になると、ひかるは自然に近づいてくる。
腕へ抱きつき、肩に頬を寄せた。
「狭くない?」
「大丈夫」
「俺は少し狭い」
「我慢して」
「横暴だな」
「居候だから仕方ないでしょ」
「居候の立場が一番弱いはずなんだけど」
「恋人でもあるから」
ひかるはそう言って、〇〇の腕を抱く力を強めた。
初日の夜は、いつものお泊まりとあまり変わらない。
それでも明日の朝も、その次の日の夜も一緒にいられると思うと、不思議な高揚感があった。
「おやすみ、〇〇」
「おやすみ」
一週間目は何をしても新鮮だった。
朝、目を覚ますと隣にひかるがいる。
眠そうな顔で起き上がり、ぼんやりしたまま〇〇へ抱きつく。
「おはよう」
「まだ眠い」
「起きないと遅刻するよ」
「あと五分」
「昨日も言ってたな」
「毎日言う」
歯磨きをする時は洗面台を並んで使い、朝食を食べる時は向かい合って座る。
出勤時間が少し違うため、先に家を出る〇〇をひかるが玄関まで見送った。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
「今日、何時に帰る?」
「七時くらいかな」
「じゃあご飯作って待ってる」
「無理しなくていいよ」
「一緒に食べたいから作るの」
玄関の扉を開けた〇〇が振り返ると、ひかるは笑顔で手を振っていた。
その光景が妙に嬉しくて、会社へ向かう足取りが軽くなる。
仕事を終えて家へ帰れば、明かりのついた部屋から美味しそうな匂いが漂っている。
「ただいま」
「おかえり」
当たり前のように返ってくる声に、〇〇は毎日少しだけ感動していた。
ひかるも同じらしく、〇〇が帰ると必ず玄関まで迎えに来た。
一緒に夕食を食べ、その日の出来事を話す。
食器を片づけたあとはソファに並んで座り、テレビを見たり、他愛のない話をしたりする。
それまでも頻繁に会っていた。
休日には朝から夜まで一緒に過ごすこともあった。
それでも、同じ家へ帰る生活はまったく違った。
会うために予定を合わせる必要もない。
別れの時間を気にする必要もない。
眠くなれば一緒に寝て、朝になれば一緒に起きる。
最初の一週間、ひかるは楽しそうに何度も言った。
「同棲っていいね」
そのたびに〇〇も頷いていた。
二週間が経つと、新鮮だった生活は少しずつ当たり前に変わっていった。
ひかるは〇〇より少し早く帰ると、部屋着に着替えてソファでくつろぐ。
〇〇が帰宅しても、最初の頃のように毎回玄関まで走ってくることはなくなった。
「ただいま」
「おかえり。冷蔵庫にプリンあるよ」
「俺の分?」
「一個だけ」
「ひかるは?」
「もう食べた」
「二個買ったの?」
「うん」
「じゃあ一個ずつだな」
「〇〇の美味しそうだったら半分もらう」
「最初から同じやつ買えよ」
そんな会話も増えた。
洗濯物はまとめて洗うようになり、冷蔵庫の中にはお互いが好きなものが自然に並ぶようになった。
ひかるは〇〇のシャツを自分の服と一緒に畳み、〇〇はひかるが忘れていったマグカップを食器棚へしまう。
一人分だった生活が、いつの間にか二人分になっていた。
「〇〇、私の充電器知らない?」
「ベッドの横」
「ないよ」
「昨日ソファで使ってただろ」
「あった」
「ちゃんと片づけろよ」
「〇〇が覚えてるからいいの」
「よくない」
「でも見つかった」
「そういう問題じゃない」
ひかるは悪びれる様子もなく笑い、見つけた充電器を持って〇〇の隣へ座る。
そして当然のように肩へ寄りかかった。
最初は少し緊張していた共同生活も、二週間が経つ頃には本当に当たり前になっていた。
三週間が過ぎると、お互いの生活のリズムまで完全に分かるようになった。
ひかるは朝が弱い。
けれど夜は〇〇より少し遅くまで起きている。
〇〇は朝起きるのは早いが、休日は昼前までベッドから出たがらない。
ひかるは仕事で疲れている日は甘いものを食べたがり、〇〇は疲れている日は静かに過ごしたがる。
どちらかが忙しい時は、無理に話しかけない。
少し余裕ができた頃に、温かい飲み物を渡す。
言葉にしなくても、相手が何を求めているのか分かるようになっていた。
ある日、〇〇が残業で遅く帰ると、ひかるはソファで眠っていた。
テーブルにはラップをかけた夕食が用意されている。
起こさないようにそっと近づいたが、ひかるは物音で目を覚ました。
「〇〇?」
「ただいま。寝ててよかったのに」
「待ってた」
「連絡しただろ。先に寝ててって」
「一緒に食べたかったから」
「もう十時だよ」
「お腹空いた」
「嘘つけ」
「少しだけ食べた」
「全部食べてよかったのに」
「一人で食べるより一緒がいい」
眠そうに目をこすりながらそう言われ、〇〇の胸が温かくなった。
逆にひかるが仕事で疲れて帰ってきた日は、〇〇が夕食を作った。
料理は得意ではなかったが、簡単なものなら作れる。
「ただいま」
玄関から聞こえた声に元気がない。
〇〇が迎えに行くと、ひかるは靴を脱いだあと、そのまま抱きついてきた。
「おかえり」
「疲れた」
「今日大変だった?」
「うん」
「ご飯できてるよ」
「〇〇が作ったの?」
「簡単なやつだけど」
「嬉しい」
ひかるは顔を上げ、少しだけ笑った。
「一緒に暮らしてよかった」
その言葉に、〇〇も同じ気持ちだと思った。
三週間も経つと、一人で暮らしていた頃が思い出せなくなるほど、ひかるがいる生活に慣れていた。
朝起きて隣にいること。
玄関にひかるの靴があること。
洗面所に二人分の歯ブラシが並んでいること。
冷蔵庫を開けると、ひかるが買ってきた飲み物が入っていること。
帰宅すれば、おかえりと声が返ってくること。
そのすべてが、〇〇の日常になっていた。
だからこそ、工事終了の連絡が来た日の夜、〇〇は言葉にできない寂しさを覚えた。
「明日で工事終わるって」
夕食を食べている途中、ひかるが静かに言った。
「そうなんだ」
「予定より少し早かったみたい」
「よかったな」
口ではそう答えたが、〇〇自身、まったくよかったとは思っていなかった。
ひかるも嬉しそうではない。
それどころか、明らかにテンションが低かった。
「明後日から戻れるって」
「そっか」
「うん」
会話が続かない。
いつもなら仕事の話やテレビの話をするのに、その日は二人とも黙って食事を続けた。
〇〇には、ひかるが落ち込んでいる理由がなんとなく分かっていた。
自分も同じだったからだ。
帰らないといけなくなる。
ひかるが自分の部屋へ戻れば、この生活は終わる。
玄関に並ぶ靴は一足減り、朝起きても隣には誰もいない。
ただいまと言っても返事はない。
これまで通り、会うには予定を合わせなければならない。
今まで普通だった生活へ戻るだけなのに、それがひどく寂しく感じた。
翌日。
仕事から帰ると、リビングの中央に段ボールが置かれていた。
初日に二人で開けた箱だ。
ひかるは床に座り、自分の荷物をまとめている。
「ただいま」
「おかえり」
笑顔を作っていたが、やはり元気はなかった。
〇〇は上着を脱ぎ、ひかるの隣へ座る。
「もう荷造りしてるの?」
「明日帰れるから」
「急がなくてもいいだろ」
「でも荷物多いし」
ひかるは服を畳み、段ボールの中へ入れる。
初日にあれほど多いと笑った荷物が、今は一つずつ部屋から消えていく。
洗面所にあった化粧品も減っていた。
ソファに置かれていたクッションも、すでに箱の中へ入っている。
少しずつ、ひかるが来る前の部屋へ戻っていく。
「荷物まとめないと」
ひかるは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
しばらく黙って作業したあと、〇〇を見上げる。
「〇〇、手伝ってくれる?」
〇〇は返事をしなかった。
ひかるが首を傾げる。
「〇〇?」
「ひかる」
「ん?」
「帰るなよ」
ひかるの手が止まった。
「え?」
「このまま一緒に暮らしたい」
驚いた目で〇〇を見つめる。
〇〇も自分がこんなに真っすぐ言えるとは思っていなかった。
けれど、荷物が片づけられていくのを見て、ようやくはっきりと分かった。
この一か月を、期限付きの思い出で終わらせたくない。
「いいの?」
ひかるの声は少し震えていた。
「一緒に暮らして分かった」
〇〇は、ひかるの手を握る。
「ひかるがいるといないとじゃ全然違う」
「うん」
「おはよう、いってきます、おかえり、ただいまが返ってくるのが嬉しい」
「私も」
「一緒にご飯食べたり、くだらない話したり、隣で寝たりするのも全部好きになった」
ひかるの目が少しずつ潤んでいく。
「多分一週間ももたないと思う」
「なにが?」
「ひかるがいない生活に耐えられない」
そう言うと、ひかるは泣きそうな顔で笑った。
「そんなに?」
「そんなに」
「私、朝起きないよ?」
「知ってる」
「物も片づけないし」
「知ってる」
「〇〇のプリンも食べるかもしれない」
「それは許さない」
「半分なら?」
「交渉するなよ」
ひかるは笑いながら涙を拭った。
〇〇は握っていた手を離さず、改めて伝える。
「これからも一緒にお願い」
「うん!私も思ってたから」
「ほんと?」
「でも〇〇の部屋だから、わがまま言ったらダメだと思ってた」
「言ってくれたらよかったのに」
「一か月だけって約束だったし、工事が終わったのに帰りたくないなんて言えないもん」
「じゃあ俺から言えてよかった」
「うん」
ひかるは嬉しそうに頷いた。
「私もね、帰るの嫌だった」
「分かってた」
「分かってたなら早く言ってよ」
「俺も今日まで迷ってたから」
「なんで?」
「俺の都合だけで決めていいのかなって」
「私はずっと一緒にいたかったよ」
「じゃあ決まりだな」
〇〇は立ち上がり、玄関へ向かう。
下駄箱の上に置いてある鍵を手に取り、ひかるの前へ戻った。
それはこの一か月、ひかるが使っていた合鍵だった。
「これ返そうと思ってた」
ひかるは寂しそうに鍵を見つめる。
〇〇はその手を取り、鍵を握らせた。
「この鍵は正式にひかるのだから」
「うん!」
ひかるは鍵を胸元で大事そうに握りしめる。
「本当にいいの?」
「何回聞くんだよ」
「だって嬉しくて」
「家賃とか生活費とか、細かいことはこれから決めよう」
「家事も分担しようね」
「ひかる、片づけ苦手だろ」
「頑張る」
「本当に?」
「〇〇が手伝って」
「結局俺もやるのか」
「二人でやれば早いよ」
「まあ、それでいいか」
ひかるは段ボールの中に入れたクッションを取り出し、再びソファへ置いた。
服も箱から戻し始める。
「今から全部出すの?」
「だって帰らないもん」
「明日でもいいだろ」
「今日戻したい」
「さっきまで一生懸命詰めてたのに」
「〇〇も手伝って」
「仕方ないな」
二人で再び荷物を広げる。
初日と同じように、家の中は荷物でいっぱいになった。
けれど、あの日とは違う。
これは一か月だけ置いておく荷物ではない。
これからずっと、二人で暮らすための荷物だった。
荷物を片づけ終えた頃には、日付が変わりそうになっていた。
風呂を済ませ、二人で寝室へ入る。
ひかるはいつも通り壁側へ横になり、〇〇が隣へ来るのを待っていた。
〇〇がベッドへ入ると、すぐに腕へ抱きついてくる。
「これから毎日一緒に寝られるね」
「今までも一か月毎日寝てただろ」
「期限がないのが嬉しいの」
「そうだな」
「明日の朝も、明後日の朝も、その次も一緒」
「喧嘩したら別々かもしれないぞ」
「嫌」
「まだ喧嘩してないだろ」
「喧嘩しても一緒に寝る」
「怒ってても?」
「怒ってても抱きつく」
「それなら仲直り早そうだな」
ひかるは〇〇の胸元へ顔を寄せ、幸せそうに目を閉じた。
少ししてから、もう一度顔を上げる。
「〇〇」
「ん?」
「これからもよろしくね」
〇〇は何も言わなかった。
代わりにひかるの頬へ手を添え、そのまま優しく唇を重ねる。
ひかるは少し驚いたように目を開いたが、すぐに目を閉じ、〇〇の服を握った。
短いキスだった。
唇が離れても、二人の距離は近いままだった。
ひかるの頬は赤くなっている。
〇〇は額をそっと寄せ、小さく笑った。
「よろしく」
ひかるも嬉しそうに笑い、もう一度〇〇へ抱きついた。
期限付きだったはずの同棲は、その日から二人の日常になった。
