「光と闇と、魔法使い。」第41話
命の価値
「全く役にたたないねえ!」
夫に怒号を浴びせ、和代は猛烈な勢いで駆け出す。「仕方ねえだろ! ちょっと目を放した隙に行っちまうんだから!」友明も応戦するが、すぐに怒鳴られた。
「隙を作ってどうすんだい! 柚に何かあったらタダじゃおかないよ!」「何かって……変な考えするんじゃねえ!」
奇流の処刑の一報が辺りに届いた時、真っ先に家を飛び出したのは柚だった。それを友明が取り押さえた。柚を部屋に閉じ込め、必死になだめる。
「お父さん! お母さん! 開けて! 開けてよ!」
涙声で叫ぶ柚は、部屋の扉を何度も叩いた。しかし父は扉を強く抑え、それを許さない。
「落ち着け柚! とにかく落ち着け!」友明も叫んだ。
「……落ち着く? 奇流殺されちゃうんだよ? どうして落ち着けるって言うの⁉ お父さんもお母さんも、奇流に私の世話を押し付けた! それなのに奇流を見捨てるって言うの⁉ 最低! 許さない!」
いつも大人しい柚が取り乱す。柚の希望である奇流。大切な人である奇流。そんな奇流が、あと数時間で民衆の前で斬首刑だ。柚は狂いそうになりながら、目一杯扉に体を打ち付けた。
「違う! 柚、違うんだ! 奇流を見捨てるなんて思っていない!」
父親は扉の向こうの娘を必死に説得する。しばらくして扉を叩く動きが止まった。そして呻く柚の声が届く。
「奇流……奇流……!」
奇流は必ず帰ると約束した。柚は自分の非力さを嘆く。もし私が強ければ、奇流の役にたてたのだろうか。こうして待つだけではない、強い女だったら――。そんな柚に声をかけたのは空乃と風丸だった。学校で沈む彼女に、休み時間の度に会いに行った二人。信じて待つ柚ちゃんは、誰よりも強いよ。空乃はそう笑い、風丸も優しい笑顔を浮かべる。
そんな事はなかった。自分の無力感に、吐きそうになるのを堪えるので精一杯だ。奇流、奇流に会いたい。
「ちょっとあんた!」
城の門番に、和代は掴み掛った。「何だ貴様!」すぐさま剣を突き立てると、友明が立ちはだかる。
「黒くて肩くらいの髪の毛の、こんくらいの背丈の女の子来なかったかい」
父親は手で柚の背丈を表現する。兵士は「……ああ、さっき来た。ワタライを出せとえらい剣幕だったな」そう答えると、和代は叫ぶ。
「それでその子はどこに!」兵士はうんざりとした様子で返した。
「あまりにも酷く叫ぶもんで、カキザキ様が連れて行ったよ。何だあんたら、その子の両親かい」
兵士はにたりと唇を歪めると、愉快そうにあざ笑う。
「残念だったな。カキザキ様に見つかったのが運の尽きってやつだ。あの人は……こう言うのも何だが、狂っているからな」
兵士がくつくつと喉を鳴らすと、もう一人の兵士もつられて笑った。柚の両親は呆然と立ち尽くす。
「さあ帰りな」
そう促されると、友明ははっと我に返り兵士に詰め寄った。
「奇流は! ワタライ奇流はどうなるんだ! あの子は本当に処刑されるのか!」
兵士達は溜息をつくと、面倒くさそうに吐き捨てる。
「当たり前だろう。法を犯しているんだ。それにワタライなんて、元々生きる価値がないんだよ」
生きる価値。柚の両親に突き刺さる。柚の心に寄り添ってくれた奇流。自分を悲観せず、穏やかに笑う奇流。例えどんなに蔑まれても、踏ん張ってきた奇流。
和代はあれから考えていた。涼の子供ではないと奇流に言われた日、十年以上前の景色を脳内で再生する。柚が生まれてすぐに、ワタライ家に一人の男の子が誕生した。無愛想の涼が見せた笑顔を覚えている。好んで外に出ない涼が、生まれたばかりの赤子を抱いて妻と立っていた。気分転換に散歩して通りかかった和代は、そんな二人に声をかけた。
「おめでとうございます」
涼は一瞬はっとした様子を見せたが、すぐに軽く会釈をした。そして美月はにこりと微笑むと、柚を見て祝福を返す。「可愛い」美月がそう漏らすと、和代は頭を下げた。「柚って言います。この子は?」美月は答える。「奇流です。仲良くしてね、柚ちゃん」美月に抱かれた赤子の薄っすら生えた銀髪に、優しく風が通り過ぎた。
晴天が眩しい、そんな日だった。
「二人の笑顔を、あたしは覚えているよ。奇流、あんたは間違いなく、愛されて生まれてきた」
柚の母親はぽつりと漏らした。そして兵士に掴み掛ると、ありったけの大声で叫んだ。
「とにかく柚と奇流に会わせてくれよ! 王族は子供を……この国の未来をそんな簡単に殺すのか!」
兵士は舌打ちをした。すぐさま剣を引き抜くと、和代に向かって振り上げた。友明は体を投げ出すが、もう一人の兵士に呆気なく取り押さえられる。「やめ――」悲痛な願いも虚しく、それは容赦なく振り下ろされた。もうこれ以上――。友明は思った。
――もうこれ以上、柚を悲しませないでくれ――。
和代は覚悟した。柚の笑顔が浮かぶ。ごめん、柚。ごめんね。そして奇流にも謝罪した。
奇流、ごめん。頼ってばかりで、ごめん。脳内の奇流が、唇を動かした。
――大丈夫だよ。
和代は思わず目を開けた。
「どいてどいてどいて――!」
けたたましい声が響く。何かが猛スピードでこちらに迫る。兵士二人も思わず手を止めそちらに視線を向けた。するとそれは飛び上がり、つられて皆が顔を上げる。そして数秒の時間をかけて眼前に現れた時、一同は唖然として口を開けた。
兵士の顔にありったけの力を込めた蹴りを落とす。一方の兵士がすぐに取り押さえようと動くが、何かが足を払った。状態を崩した兵士の顔に、飛び膝蹴りがめり込んだ。兵士は声にならない声を上げる。時間にしてほんの数秒の出来事だった。
兵士二人を気絶させ、ぱんぱんと手を払う少女は口を開いた。
「弱すぎるんですけど! 風丸君、あたち、王牙に入れるかちら」
「僕も膝蹴りの精度に磨きが……あ、違う。空乃ちゃん、およしよー」
柚の両親は呆気に取られて言葉が出ない。二人が以前柚を助けてくれた時も柚は言葉を濁しながら、いじめグループをこつんと軽く懲らしめたと聞いた。その時はただただ二人に対する感謝しか頭に浮かばなかったが、予想以上の懲らしめだったのだろう。和代は「あ、はは……」と夫に顔を向けてぎこちなく笑う。友明もまた「あはは」と苦笑いするに留まり、空乃と風丸を見つめた。
「奇流ちゃんのピンチに空乃ちゃん参上!」「僕も来ました」
空乃と風丸は両手を上げて元気よく発する。そして柚の両親を見ると、胸を張り鼻を鳴らしてこう言った。
「あたち達に任せて」
両親はしばらく何も言わなかったが、少しして互いに顔を見合わせると、二人に向かって深々と頭を下げる。
「柚と奇流を、よろしくお願いします……!」
空乃は拳を鳴らす。そして風丸と頷きあうと、城内めがけて駆け出して行った。
