「光と闇と、魔法使い。」第26話

 

 家に帰る気がなかった奇流は、空乃の家に寝泊まりさせてもらった。家族は心配するだろうか。しかし合わす顔がない。一方空乃は一人暮らしだった。詳しい話は奇流にもわからないが、家族はいないと以前聞いた事がある。
「ねえ、奇流ちゃん」
 柚の家への訪問の翌日、朝食の準備を終わらせた空乃は、ご飯に卵を落として切り出した。
「柚ちゃんの事なんだけど」
 奇流は箸を口元に近づけて止まる。
「いいの?」
 卵を崩し、空乃は視線を落としたまま尋ねた。
「何が」
 わかっていて奇流は返した。醤油を手にし、茶碗に向かって一回りさせる。
「柚ちゃん置いて行くの?」
 奇流は再び動きを止めた。柚の笑顔が浮かぶ。そして「……仕方ないだろ」とぽつりと漏らした。
「ただでさえおじさんもおばさんも、柚が色々あった時に悩んだ。ましてや今回は国中の敵のワタライの問題だ。王牙も出てきた以上、何かあれば命が危ないだろ。そんな事に柚は巻き込めない」
 そう言って勢いよく箸でご飯をかき混ぜる。
 奇流の横に陣取ったスイも、黙って奇流の話を聞いていた。奇流は続ける。
「本来お前や風丸を巻き込むのも、俺は辛い」
 空乃は何か言いかけて止めた。しかしやはり我慢できないとばかりに、すぐにちゃぶ台をばんと叩いて叫んだ。
「少しは柚ちゃんの気持ちも考えなさいよ!」
 空乃の剣幕に奇流はひるんだ様子も見せず、箸を置いて反論した。
「俺の気持ちも考えてくれよ。柚を連れて行ってどうなる? 柚には残って待っていて欲しい」
 空乃はちっと舌打ちをした。「それも勝手な話だわ」と吐き捨て、茶碗を持ち無我夢中でかき込んだ。奇流は空乃に鋭い視線を向けたまましばらく黙っていたが、ふっと表情を緩める。
「……わかった。せめて柚にはきちんと伝えるから」
 奇流の言葉に、空乃はかきこむ手を止めた。そして「うん」と呟くと、「柚ちゃん、奇流ちゃんの事大好きだから」と付け加える。しかし奇流は悩んだ。昨日の別れ間際の和代の様子と、柚と友明のやり取りを知っている以上、再び自分が行っていいものか。
「今日学校に行ったら柚ちゃんと話して、うちに寄ってもらう。それなら奇流ちゃんも話せるよね」
 空乃の提案に奇流は安堵した。しかしすぐに別の考えが頭に浮かぶ。もしこのまま帰らないと言われたら。
 柚は意外に頑固だ。奇流が関わる件であれば尚更だ。付き合いの長い奇流には想像できる。しかしそれは口に出さずに空乃の言葉に頷くと、きちんと柚に向き合う必要があると考え直した。奇流は様々な事を考えながら、食事を口に運ぶ。
 ふと雅恵の顔が浮かんだ。そしてすぐに涼の顔も。随分長い間会っていないかのような感覚にとらわれた。家を出てから数日の事なのに、十五の奇流にとってはかつてない出来事である。咀嚼しながら思案した。自分が帰っていないのを、周囲にいる兵士に気づかれているだろうか。点呼でばれているか。いや、カキザキが毎日家に来ているかもしれない。奇流は溜息をついた。
「ご飯の時に溜息つかない!」
 空乃の指摘に、奇流の背筋は真っ直ぐ伸びた。「はい、すみません」と頭を下げると、空乃は「うむ」とお代わりをよそい、茶碗を返した。
 
 その日の夕方、宣言通り柚を連れて空乃は帰って来た。風丸の姿もある。奇流は曖昧な笑みを浮かべた。柚は奇流を見た瞬間、ほっとした様子で何度も小さく頷く。
「奇流、よかった……」
「悪いな、色々と本当に。おばさんは……」
 奇流の言葉に柚は言った。
「大丈夫。お母さん夜にはすっかり元気だったし、奇流を心配してた。私も、多分奇流は空乃ちゃんと一緒だと思ったから、休み時間に捜しちゃった」
 柚は空乃に促されて腰を下ろす。空乃はなれた手つきでお茶を汲むと、柚に差し出した。
「そうそう、うちらが行く前に柚ちゃんから来てくれて。ね、風丸君」
 空乃もお茶をすすりながら横を向くと、ちょこんと正座した風丸がこくりと首を縦に振った。
「あのな、柚」
 奇流がすぐに切り出した。柚は姿勢を正し、奇流の言葉を待つ。
「俺はドクターを捜しに行きたい。だからマリベル村へ向かう」
 奇流は昨日話した内容を再度柚に向かって説明した。
「ドクターは城の人間に見つかったら、即刻処刑されるらしい。それは何としても防ぎたい。つまりこれは、どんな事をしてもドクターを捕らえたい王族と、どんな事をしてもそれを防ぎたい俺の戦いと言っても過言じゃないんだ」
 奇流の真っ直ぐな表情に、柚は唾を飲み込んだ。
「俺は命を懸ける。ドクターは俺に色々教えてくれた。俺はドクターがいなければ、この世界に対する希望も何も持てなかった。ドクターに俺は救われたんだ」
 柚は奇流の思いが痛い程わかった。かつての自分が奇流に救われたように。奇流は柚の生きる道しるべだった。失うなんて考えられない。だからこそ柚には――。
「命を、懸けるって」
 この言葉を聞き逃せなかった。

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