「光と闇と、魔法使い。」第10話
衝撃と訪問者
「点呼の時間ですよ」
帰宅した奇流に雅恵が言った。ワタライ家には定期的に、兵士が点呼にやって来る。ここ数年は毎日ではないにしろ、一生続く物だとわかっているから気分が沈んだ。町の出入口に兵士が常駐している以上、抜け出す者などあり得ないのだが。
「ワタライ涼、ワタライ奇流、ハナダ雅恵」
兵士の呼びかけに奇流のみ返事をし、定例の点呼は終わった。いない訳がない。そう兵士も思っているのだろう。淡々と、まるで記号のように字列をなぞるだけだ。奇流はこの時間がたまらなく嫌だった。
「兵長、兵長!」
乱暴に開かれた扉。その場の全員が音の方向に目を見張る。
「大変です、ワタライが……」
駆けつけた兵士の息は荒く、言葉が続かない。兵長と呼ばれた男はじれったそうに舌打ちをし、「ワタライがどうしたんだ」と苛立ちを露わにした。
「ドクターワタライが、いません!」
奇流は思わず立ち上がった。「ドクター」そう漏らすと、兵士の顔を食い入るように見つめた。
「町のどこかに」「いないですっ。捜しましたが、どこにもいないんです!」
返答した兵士は今にも泣きそうな表情を浮かべた。無理もない。城下街に一生幽閉が決まっているワタライ家――ことさら事件の張本人であるドクターワタライが行方不明ともなれば、下級の兵士は首を刎ねられかねないからだ。
「どこに逃がした」
兵長は先程までのやる気のなさから一転、目の玉を見開いて奇流達に問う。
「……逃がす?」
涼は鼻で笑う。「どうやって?」
兵長は再び舌打ちをし、手を大袈裟に振り上げ指示を出した。
「至急全住民の家を隅々まで捜索! 無論この家もだ!」
雅恵は無言で首を横に振り放心した。涼は足を組んでソファーに沈んだまま、微動だにしない。
奇流は状況を把握するのに精一杯だった。ドクターが消えた。どこにだとか、何故だとか、それ以前にドクターが身近にいないという事実に混乱していた。
この騒ぎで、即位式は中止になった。一国の頂点が決まる重大な行事でさえ、ドクターワタライの失踪事件はかき消す威力があるとわかる。
新しい日時は未定らしい。当然の話だった。国によって永久に幽閉されている人間が消えたのだ。
深夜近くまで及んだ捜索も空しく、ドクターは発見されなかった。兵長はぎりぎりまで粘ったが、最早どうしようもないと、この件を上に連絡。ワタライ家に新たな客人が来たのは、翌日の昼過ぎだった。
「王宮専属護衛団・王牙」
渡された名刺に視線を落とし涼は言う。それから顔を上げると、見るからに人の良さそうな男が笑顔で会釈をした。年は三十代半ばくらいだろうか。黒いおかっぱの髪型が印象的だった。
「まさか消えるなんて、思ってもいませんでしたので」
男は笑顔のままこう切り出した。
「私は気持ちよく眠っていました。最近不眠症でして、ぐっすり眠れないんです。なので薬を処方してもらったら、予想以上に深く眠りに入れたんですよ。でもね、そんな幸せな一時を、幾つも階級が下の役立たず共に叩き起こされて、こんな胸糞悪い所業ってありますかねえ」
男は内面の苛つきを一切表に出さない完璧な笑みを浮かべ、矢継ぎ早に伝えて奇流達を見渡した。
