「光と闇と、魔法使い。」第46話

ワタライのために、自分ができる事。

 中央広場はざわつき始めた。国を騒がせたワタライ家の人間が処刑される。人々はそれを一目見ようと次第に集う。そこには柚の両親の姿もあった。
「柚……奇流……」
 和代は両手を組んでいる。友明は肩を抱き寄せそっと見守った。人々のざわめきが辺りを包む中、二人は身を寄せ合って無事を祈る。
「イズミヤさん」
 声をかけられ振り返ると、雅恵が神妙な面持ちで立ち尽くしていた。二人はあっと驚き、雅恵に駆け寄った。
「ハナダさん! ……あれ、涼さんは」
 涼の姿が見えない事に気が付いた和代が尋ねる。雅恵はかぶりを振って口を開いた。
「……旦那様は出て行かれました」
 どこに、と聞く間もなく雅恵は膝から崩れ落ちた。二人は互いに顔を見合わせ、ただならぬ雅恵の様子に息をのんだ。「ハナダさん!」何度も呼びかけながら、肩を貸して群衆をかきわけ広場の隅に移動する。雅恵は息を荒く吐いてベンチに腰をかけた。
「私が全て悪いのです、私が……」
 雅恵は呻くように呟いた。和代は雅恵の背中をさすりながら話を聞く。
「何かあったんですか」
 雅恵は先程の出来事を説明し始めた。
 
「私が奥様を殺したのです」
 涼は呆然と立ち尽くした。何を言っているのか理解に苦しむ。そんな表情を浮かべて、雅恵を見据えた。
「奥様は、度々外出なさっていました。ワタライ家に対する風当たりは強い。そんな中毎日毎日夜ごと外出なさる。旦那様もお気づきでしたでしょう」
 雅恵の言葉に涼はゆっくり頷いた。奇流が生まれる前だ。何度も問い詰めたが、美月は気分転換と言うばかり。昼間の外出ははばかれるので、が彼女の言い分だった。それを言われると涼はそれ以上何も言えなかった。
「ある日私は……奥様の後をつけました。すると城の傍で、一人の男と落ち合う姿を見たのです。それは城の兵士でした」
 涼は沈黙した。雅恵は堰を切ったように続けた。
「帰り道、待ち伏せした私は奥様を問い詰めました。すると奥様は最初こそしらを切ろうとなさいましたが、譲らない私に根負けしたのか話してくださいましたよ。ワタライ家の自由と引き換えに、あの男に体を許したのだと……!」
 雅恵は震える体を両手で押さえながら吐き捨てた。
「そんな約束、叶うはずがないでしょう? 一介の兵士に何故そのような力がありますか。考えなくてもわかりきった話なのに、何度訴えても奥様は男を信じていた。そんな中……奇流坊ちゃまは生まれた」
 涼は目を閉じた。あの日――。子供ができたと告げられた時、涼の心は黒く染まった。自分の子供ではない確信があったからだ。妻の不審な行動以来不信感を募らせた涼は、夫婦の営みを拒んだ。そんな中の妊娠。美月は言った。「ごめんね。ワタライのために、私、生むから」と。
 ワタライのために。涼は愕然とし、真っ直ぐに自分を見つめる妻に何も言えなかった。ワタライの自由のために体を許し、表向きにワタライの血を途切れさせないために、ワタライの血はない男の子供を生む。一見とても歪で、誰にも理解できない話だ。しかし自分を受け入れなくなった涼を見て、美月はワタライが途絶える事に恐怖した。そしてワタライの子供として、別人の子供を身ごもったのだ。
 数か月後、ワタライ家の復興のために、彼女は跡継ぎを誕生させた。もしかしたら美月は途中で気が付いたのかもしれない。一介の兵士にそんな力がない事に気が付いた上で、それでも僅かな希望にすがってしまったのか。それは絶対に許されない話だ。
 しかし涼は美月のワタライに対する気持ちに負けた。負けたから許した。許したから、奇流が誕生した。涼以上にワタライを取り戻そうと必死な美月を初めて知り、そんな彼女をワタライの業に縛り付けていたと猛烈な無念さが体を支配した。
「案の定男はワタライを自由になんかしない。騒がれるのを危惧したのか、奇流坊ちゃまの出産には口出しをしなかった。奥様は満足気でした。この子がいつか必ずワタライの名誉を取り戻すわ。私に自信満々にそうおっしゃっていましたよ」
 雅恵は当時を思い出しながらゆっくりと続ける。涼は大きく呼吸をした。
「私は許せなかった……! 必死になっていたのは旦那様。奥様は安易な口車に乗り、他の男の手に堕ち、挙句子供を身ごもる……旦那様を思うと許せなかったんです。そしてワタライの名誉を取り戻すために生まれた奇流坊ちゃまが、不憫で不憫で仕方がなかった! もちろん一介の家政婦である私が、こんな事を思うだけでも差し出がましいのは承知です。しかし私は長年ワタライ家に仕えてきた意地がある! 誇りがある! そんな中の奥様の行動に、当時の私は怒りを募らせ……」
 そしてぽつりと漏らした。
「裏の手段で買った薬と、奥様の持病の薬を……すり替えました」
 涼は呆然とただ雅恵を見つめた。不思議と自らの妻を殺めた目の前の彼女を、責める言葉が出てこなかった。涼は自らの過去を思った。生きていくのに困難ばかりの状況で、雅恵はいつも涼を叱咤激励し、その度にやる気を取り戻させてくれた。皆が去ったワタライ家で、雅恵だけは残ってくれた。彼女は長年悩んできたのだ。涼が奇流誕生の真実を知らないと勘違いして、彼女は主の妻を殺めてしまった。
「雅恵さん」
 涼の言葉に、雅恵は顔を上げない。ただ肩を震わせ嗚咽を漏らし、自らの罪を悔いていた。
「本当の事を教えてくれて、ありがとう」
 そう言うと雅恵の横をすり抜け出て行った。雅恵は顔を上げ振り返ったが、涼の姿は消えていた。
 
「私が、私が旦那様を裏切ったから……」
 雅恵は両手で顔を覆い、今にも消え入りそうなか細い声で何度もそう呟く。二人は背中をさすり、「ハナダさん」と何度も呼びかけた。
「その上奇流坊ちゃままで……もう私は……」
 雅恵は顔を上げた。指の隙間から多数の人々が見える。好奇の表情を浮かべ、今か今かと処刑を待つ群衆に恐怖し、すぐに固く目をつぶる。
「奇流……」
 和代は唇を噛みしめた。ワタライ家の闇は彼女が思った以上に根深かったのだ。あの日見た幸せそうな家族の風景は、目に見えない様々な事情が渦巻いていたのだ。例え全てを知らなかったとは言え、奇流はいつも前を向いて歩いてきた。柚の手を取り、柚の心の支えになってくれた。そんな彼に、柚の両親は気づかぬうちに寄りかかりすぎたのかも知れない。まだ少年の彼に、自分の娘の為とは言え色々と背負わせすぎたのかも知れない。二人の心に後悔の念が渦巻いた。
「……涼さんは一体どこに行ったんだろう」
 和代の言葉に、友明はかぶりを振る。しかし雅恵は両手を顔から離し、ぽつりと漏らした。
「恐らく、奇流坊ちゃまを捜しに」
 その言葉に和代は「えっ」と驚きの声を上げた。和代の説得には無反応だったからだ。
「旦那様……旦那様……!」
 雅恵は何かを祈るように両手を合わせた。その手は微かに震えている。柚の両親は城に目を向けた。
「この処刑を、とにかく止めなきゃ」
 和代は、自分達の希望を託した二人の幼子に思いを馳せる。
 しかしその二人は、今まさに命の危機を迎えていた――。

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