「光と闇と、魔法使い。」第13話
跡取りの覚悟
「坊ちゃま」
家に着くなり雅恵が声をかけてきた。奇流は立ち止まると、神妙な面持ちの雅恵に「どうしたの?」と問いかける。
「……私は、ずっと旦那様に仕えてきました」
雅恵は一段と低い声色になった。両手を胸の前で組み、俯き加減に続けた。
「二十五年前のあの日、我が家に民衆が詰めかけました。ワタライは消えろ、ワタライは死ぬべきだと、辛辣な罵声を私達に浴びせました。旦那様はその時、今の奇流坊ちゃま程の年齢でした」
雅恵の言葉が詰まった。当時を思い出しているのか。目頭に指を当て、息を深く吐き出して再び続ける。
「私は旦那様の手を取り逃げようとしました。しかしそんな私を押しのけ、旦那様は民衆に向かって土下座を――」
途切れ途切れになる告白を、奇流は固唾をのんで見守った。
「土下座をして言ったのです。どうか今日のところはお引き取り願います。後日我々ワタライ家は、然るべき処罰を受けます。どんな処罰も受け入れます、と」
想像して奇流は「それで皆は……」と続きを促すと、雅恵は目を開けて真っ直ぐ奇流を見つめた。
「あまりの旦那様の剣幕に民衆は静まり、少ししてから帰って行きました。それからも嫌がらせは続きましたが、その度に旦那様は誠意を持って対応されたのです。憧れだった父親の失態に、一番ショックを受けたのは間違いなく旦那様でしょう。それなのに、彼は私にいつも気丈に振る舞っていました。雅恵さんは心配しなくていい。自分が必ずワタライ家を復興させるんだと」
まだまだ幼い涼のワタライ家の跡取りとしての覚悟は、奇流の想像をはるかに超えていた。
奇流はしばらく沈黙を続けていたが、雅恵に向き直ると声を出した。
「父さんは何で諦めたの?」
情熱を持ち、復興を願い、突き進んでいた父親。そんな彼が常に冷たい表情を浮かべて過ごしている。彼の心はいつ挫けてしまったのか。
「……奥様が、亡くなられてからでしょうか」
雅恵の口から出たのは、奇流が聞く事を許されなかった母親の話題だった。奇流は思わず「母さん」と声を漏らす。
「奥様は旦那様の生きる希望、とでも言う存在でした。太陽の如く明るく、旦那様はそんな奥様に全幅の信頼を寄せていました。二人は元々幼馴染だったのです。あの事件以降、旦那様から当たり前のように人が離れていった中、奥様だけは違いました」
雅恵はどこか懐かしみ、優しい笑みを浮かべた。しかしすぐに顔つきを変えると、奇流の肩に手を置いて言った。
「しかしそんな奥様は……。旦那様を裏切ったのです。詳しい話は私の口から申し上げられません。が、彼女は旦那様の心を傷つけた。それ以来旦那様は無気力になり、全てを諦めてしまったのです」
ふうっと吐いた息が重かった。雅恵の告白を一言も聞き逃さまいと、奇流は黙って耳をそばだてた。
「……坊ちゃまには非常に酷ですが、旦那様はあなたが誕生するのを望んでいませんでした」
奇流は耳を疑った。
「父さんが、どうして」
雅恵に迫り答えを求める。しばらく苦悶の表情のままの雅恵だったが、意を決して口を開いた。
「それは――」「雅恵さん」
雅恵は気まずそうにすぐに顔を背けたが、代わりに奇流が涼に詰め寄った。
「どうして俺が生まれたか、教えて欲しい」
涼は何も言わず伏し目がちだったが、やがて溜息をついて前髪をかき上げた。雅恵は眉間に皺を寄せている。
「愚問だな」
出てきたのは予想通りの物だった。
「子供が欲しいと望んだからだ。それ以外に何がある」
やれやれと言った様子で奇流を見下した。奇流は口を引き結ぶ。しかし、しばらくしてなおも食い下がった。
「俺が生まれてはいけなかったのかよ。だから父さんは俺を敵視するのか? 俺が何をしたって言うんだよ!」
目を見開いてまくし立てる。そんな奇流を、涼も雅恵も黙って見ていた。息が荒くなる。握りしめた拳を震わせ、返事を待つ。それでも涼は無言を貫いた。
「俺は……父さんの子供じゃないのか?」
今にも叫びたくなる衝動を必死に抑え奇流は尋ねた。
違うと言って欲しい。否定して欲しい。もし肯定されたら、一体自分は何者なのか、その答え探しをしなくてはいけない。
「お前は、ワタライ家の人間だ」
重く呟く涼は、少しの間沈黙し付け加える。
「……俺の血は、流れていないがな」
雅恵は顔を手で覆い、むせび泣いた。奇流はその場に踏ん張らないと、今にも倒れてしまいそうな衝撃を受ける。
今まで自分は当たり前に、ワタライ奇流として生きてきた。涼を父に持ち、英雄であったドクターを祖父に持ち。十五年間当たり前に過ごしてきた日々が、根底から崩れ去る気がした。
「俺、俺は」
何とか会話を続けようとするが、後に続く言葉が見つからない。奇流の動揺は目に見えて、そんな息子を涼は冷たい視線で突き刺した。
「なあ、奇流。他人の心配をする必要はないじゃないか。お前があいつを捜す必要もないし、ましてや危険を冒して町を出る必要なんてもっとないんだ。あいつは王牙が見つける。それでいい。……それがいいんだ」
奇流はぐらつく視界に内心舌打ちをした。「父さん」噴き出す思いをぶつけんばかりの響きだった。
「それでも、俺は……父さんは父さんだし、ドクターはドクターだ。家族だ。他人と切り捨てられる訳がないんだ。家族が危険な目にあえば、それを救いたいと思うのは自然じゃないか?」
消え入りそうな声は、脆かった。今にも崩れそうな自身だったが、それでも奇流は耐えた。
「……ドクターを、捜しに行くよ」
涼も雅恵も何も言わなかった。奇流は固く目をつぶる。ドクターの顔がそこにある。いつも笑顔で迎えてくれたあの穏やかな姿。学校に行けない奇流に、様々な事を教えてくれた。いつだってドクターは、奇流の拠り所だったのだ。それが家族だ。
奇流はかっと目を見開いた。そして足早に進むと、リビングの扉に手をかける。
「坊ちゃま!」
雅恵が慌ててその手を取った。
「坊ちゃま、どこに」
雅恵は困惑の表情を浮かべていた。いつも物静かな彼女から想像できない様子に、どうか思い直して欲しいと言う強い願いが見えた。
しかし雅恵の懇願を、奇流は受け入れなかった。無言のまま扉を開けると、諦めた雅恵の嘆息が聞こえる。涼は奇流の動きを見つめながら、「勝手にしろ」と呟いた。
