「光と闇と、魔法使い。」第3話
ドクターワタライ
「ドクター」
奇流はその足で一軒の小さな家に向かった。奇流の自宅のすぐ後ろにあるそこは、古い木造の平屋だった。商店街に行き柚を見送った後、道を戻りここへ来る。日課と言える奇流の行動パターンだ。
ドアノブに手をかける。長い年月のせいなのか建てつけが悪く、ちょっとやそっとの力では開かない事を彼は知っている。一度軽く手前に引いてからノブを右に回す。奇流が知っている、すんなりと開けるコツだった。
「奇流」
みしみしと鳴る廊下の向こう、開きっぱなしの扉の奥から聞こえた。飾り気が一切無い室内。
一際目を引くのが壁一面を覆う書棚だ。無数の書物が一寸の隙間もなく埋められ、何度訪ねてもそこは圧巻の景色だった。部屋の中央に位置するテーブルとソファー。奇流は書棚から目線を移した。柔和な笑みを浮かべソファーに腰かける男に、奇流は笑顔で駆け寄った。
「ドクター、おはよう」
ドクターと呼ばれた男は挨拶を返す。所々白髪が交じり、笑うと目尻に皺が寄った。
「今日も柚ちゃんは元気かい」
ドクターはテーブルに置いてあるポットからお茶を淹れ、奇流に差し出した。
「うん」
息を吹きかけ、冷まし冷まし口に運ぶ。「商店街に行く度に、嫌な目にあっていないかい?」と心配そうに問うドクターに、奇流はお茶を飲む手を止めた。嫌な事――とは恐らく、魚屋であった出来事の類だろうと思い当たる。奇流に好奇の視線を浴びせ、心ない言葉を放つ者がこの町にはたくさんいる。
「……本当にすまないね」
俯き黙り込んだドクターを、奇流は明るい声で否定した。
「ドクターが謝る必要なんかない」
奇流は湯呑を持つ手に力を込める。しかしすぐに「熱っ」とテーブルに置くと、一拍の間の後、自身の頭をくしゃくしゃとかいて続けた。
「だからさ、ドクターがそうやって落ち込むと、俺も悲しくなるんだよ! 過去の話は何となくしかわからないけどさあ。そうやって後ろ向きになるんじゃなくて、もっと前向きに行こうよ」
鼻息荒く迫る奇流に、思わず仰け反るドクターは、しばし目を丸くしていつもの柔和な笑みを浮かべる。
「ありがとう、奇流」
奇流は白い歯を剥き出しにした。
「礼なんかいらないよ。いつか必ず、自由になれるから」
そう、自由に――。
奇流は自らに言い聞かせるように反芻した。
