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『北国の残響』第四話|北国の残響

──跋 あとがき 


今回、
まったく意図せず目にした
沖田総司の記事がきっかけで、
私は数十年ぶりに
幕末へと思いを馳せることになった。

かつての彼らは、
私より年上だった。

だが今、
ほとんどの者が
私より年下になってしまった。

社会にメスを入れる文章を
書き続けてきた私の視座で
改めて新撰組を見つめると、
彼らは変わらず純度が高く、
血生臭い時代には似つかわしくないほど
**「思いの結晶」**のように美しい。

ジュブナイルを貫いた彼らは、
ある意味で幸福だったのだと確信し、
私はこの三編をまとめた。


奥羽越列藩同盟──もう一つの日本

近藤の死後、
東北戦争は激烈を極めた。

その渦中で、
東北・北陸の諸藩は
奥羽越列藩同盟という
巨大な連帯を結成する。

会津・庄内の赦免を求めて始まった
小さな合縦は、
仙台、米沢、長岡などを巻き込み、
三十一藩による
**「東日本連合」**へと膨らんだ。

それは、
単なる軍事同盟ではない。

・独自の官制
・独自通貨の構想
・プロイセンとの連携
・北白川宮能久親王を
 「東武天皇」とする案

新政府とは別の、
もう一つの皇国を夢見た者たちの、
北方の理想郷だった。

北陸(越後)が加わったことで
日本海側の補給線が確保され、
土方歳三や旧幕府軍が北上し、
最終的に蝦夷地へ至る
道筋が生まれた。

この「北の戦線」は、
私の系譜である
北陸と東北が結びついた歴史そのものでもある。


会津の帰結と、リーダーの不覚悟

しかし、
この同盟は敗れた。

新政府軍の
圧倒的な物量の前に、
東北・北陸の諸藩は
**「賊軍」**とされ、
苛烈な戦後処理を受ける。

会津の出来事は、
筆舌に尽くし難い。

白虎隊の最期も、
籠城戦で女子供や老人が
自決へ追い込まれた光景も、
どれ一つとして
美談にしてはならない。

慶喜の不覚悟に
踊らされた容保の責任は重い。

実直であったとか、
名門の血筋がどうとか、
そんなことはどうでもいい。

外圧の中で常識が崩れ、
価値観が上書きされるとき、
リーダーに問われるのはただ一つ、

「何を守るために、何を捨てるか」

その判断を誤ったことこそが、
会津藩の悲劇の核心だと
私は考えている。


私の血に流れる北陸と東北

私の母方の祖母の家は、
かつて新撰組が従属した
会津藩から、
北の果て・蘭島へと渡った家系だった。

鰊漁の網元であった時代もあったが、
その根には、
没落した武士階級の影が
静かに沈んでいた。

私が物心つく前から、
母が台所で口ずさんでいた
「会津磐梯山」。

オーハラショースケさん
ナンデーシンショーツーブシタ

意味も知らず、
ただそのリズムが好きで、
「磐梯さん」という言葉を、
私はそれを
“山”とも知らずに
聴いていた。

あの歌は、
どの家庭でも歌われているものだと、
幼い私は疑いもしなかった。

今は知っている。
会津の悲劇を。

言葉と文化を奪われ、
北へ追われた人々の歴史を。

斗南藩の凄惨な日々を経て、
彼らは
北海道へ渡らざるを得なかった。


語られなかった歴史と、北の沈黙

不思議なことに、
この大地に渡った多くの人々は
自分たちの過去を
ほとんど語らなかった。

語りたくなかったのかもしれない。
語る余裕が
なかったのかもしれない。

半年も冬が続くこの大地で、

生きることそのものが、
戦いだった
のだから。


北の果てに残った“残響”

北陸と東北の系譜から
歴史を眺めるとき、

土方歳三という男が
最北端まで逃れ、
攻め、
戦い、
散ったことに、
私は道民として
妙な親近感を覚える。

彼らが描き得なかった
**「北海道共和国」**という
もう一つの国の夢。

土方が箱館で見た幻影は、
奥羽越列藩同盟の志が
北の果てまで届いた
**“残響”**だったのかもしれない。


血に溶けた会津、そして未来へ

会津の思いは、
私の血の中に溶けている。

過去は、
もうそこにはない。

むしろ、
知らないほどに、
私は誇り高き日本人として、
薩長土を恨むこともなく、
時代のうねりを呪うこともなく、
未来を信じて生きている。

それはきっと、
曾祖父母が胸に秘め、
語らずに守ってくれた
沈黙のおかげだ。

だから私たちは、
前だけを向いて生きていける。

北の風に消えた声たちが、
今も静かに、
私たちの背中を押してくれている。


それが、

「沖田の孤悲」
「近藤の不撓」
「土方の凛冽」

この三部作を貫いて流れていた、
もう一つの声だった。


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