時代を超えて残る記憶、プライスレスな体験!!/大阪・関西万博 EXPO2025
今年の夏は色々な意味で記憶に残るものになりました。7月に訪れた大阪・関西万博(EXPO2025)では酷暑のため遂に日傘デビュー。最初は抵抗がありましたが、老若を問わず男性の日傘は日常の風景になった感があります。連日35度を超える猛暑日、特に内陸部では40度を超えるところも。北海道の帯広や北見でも40度に迫る気温を記録、海風でヒートアイランドになりにくい沖縄が避暑地になるかもしれません。不可逆的な変化が起こる臨界点を超えてしまったのではないかと心配です。
1970年の大阪万博(EXPO1970)のテーマは「人類の進歩と調和」。高度経済成長期の日本において、科学技術の進歩と人類社会の調和を象徴するテーマでした。父親の仕事の関係で当時は北海道に居住、小学校6年生の夏休みに家族で訪れました。ウクライナへの軍事進攻により、EXPO2025ではロシアは出展していませんが、当時はアメリカとソ連の宇宙開発競争の展示場の様相を呈していました。1969年のアポロ11号による月面着陸から持ち帰られた「月の石」が初めて一般公開され世界中で大ブームに。ソ連は有人月面着陸ではアメリカに先を越されましたが、無人月面探査(ルナ計画)、宇宙滞在技術(ソユーズ)、先行していた有人宇宙飛行(ガガーリンの功績)をアピール。冷戦期の宇宙開発レースを象徴する舞台の記憶が高揚感とともに甦ります。長蛇の列を数時間並んでやっとの思いで見る事ができた「月の石」ですが、小学生の頭脳ではその偉業を理解することができず、「月の石」と言われれば「これがそうか!?」と・・・。「火星の石」と言われても「へぇ~~!?」と、その程度の感動だったと思います。
しかし、EXPO1970開会の翌月に発生したアポロ13号の事故は、鮮明に頭に残っています。1995年に公開された同名の映画を観て、記憶が整理されたのかもしれません。アポロ13号は1970年4月11日 13時13分(米国東部標準時)打ち上げ。後から思えば不吉な数字が並んでいました。
【アポロ13号宇宙船の構成】
1.司令船(Command Module:CM)
愛称オデッセイ。大気圏に再突入し地球に戻る部分。
2.月着陸船(Lunar Module:LM)
愛称アクエリアス。月面から司令船(CM)へ戻るためのエンジンを持つ上昇段(Ascent Stage)と、月面着陸するための脚と大推力エンジンを持つ下降段(Descent Stage)で構成。下降段は月面着陸後に置き去りにされる部分。
3.サービスモジュール(Service Module:SM)
推進用エンジン、燃料電池、酸素タンクなどが搭載された部分。
電気系統のトラブルで、サービスモジュール(SM)の酸素タンクが爆発。電力の大半を喪失し、酸素・水供給が不足、二酸化炭素濃度が危険レベルまで上昇するという事故でした。月着陸船「アクエリアス」の二酸化炭素フィルターは円筒形でしたが、司令船「オデッセイ」は角型。互換性がなくそのままでは使えない状態だったそうです。ヒューストン管制センターは船内にある物(ダクトテープ、プラスチックカバー、靴下、バインダー等)を使って即席のアダプター作成方法を伝授。この時のNASA技術チームのリーダーの言葉「その部品が本来何のために造られたかではなく、いま何に使えるかを考えろ。」が忘れられません。この柔軟な発想と現場力によって、「四角いフィルターを丸い穴に合わせる」アダプターが完成。宇宙飛行士3名の命が救われました。常に最悪の状況を想定し、想定外を想定するような危機管理能力の高さに、アメリカの科学技術の底力を感じます。
また、事故により月を回って地球に戻る自由帰還軌道からは大きく外れ、そのままでは大気圏に再突入できないコースでした。月面に置き去りにされるはずだった月着陸船「アクエリアス」の下降段と上昇段のエンジンを非常用の推進装置として活用し、自由帰還軌道に戻すことで地球への帰還が可能に。つまり、月着陸船「アクエリアス」が本来の目的(月面着陸)ではなく、救命艇として使われたということです。まさに水瓶のように生命維持装置として活用されたのです。電力喪失により司令船「オデッセイ」のコンピューターは停止、月着陸船「アクエリアス」のコンピューターは生きていたそうですが、常時コンピューターに頼る航法はできない状態。ヒューストン管制センターで行われる軌道計算を基に、船内では計算尺などアナログを駆使しながらマニュアルで姿勢制御。映画でもリアルに描かれていました。大気圏再突入前に宇宙飛行士は司令船「オデッセイ」に乗り移り、月着陸船「アクエリアス」とサービスモジュールは大気圏再突入前に切り離し。大気圏再突入時の通信途絶時間(ブラックアウト)が予定の3分を大きく超え、管制センターは息をのむ静寂に包まれていました。緊張が極限状態になり6分に達しようとした瞬間・・・ようやく通信が回復。雑音の向こうからノイズ混じりの声が突如割り込みました。「ブラックアウトを抜けたぞ」と船長の短い言葉。緊張から解放された管制センター技術者たちの歓声と涙が交錯するシーンは感動的です。劇的なこのシーンは映画の演出だけではなく、世界中の視聴者が体験した歴史的瞬間です。当時大ヒットしていた「Aquarius / Let the Sunshine In」のメロディーを聴くたびに、司令船「オデッセイ」の帰還シーンが頭に甦ります。この事故は、NASAや関係者の間では単なる失敗とは捉えず、「名誉ある撤退(Successful Failure)」と言われているそうです。
EXPO2025のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。少子高齢化、気候変動、医療・介護問題といった課題に対応するため、バイオテクノロジー、AI、脱炭素といった技術にフォーカス。EXPO1970でも展示されていた「人間洗濯機」ですが、家電の進歩が生活向上の象徴だった時代と、入浴を補助する医療・介護機器としての技術開発といった、同じモチーフであっても時代背景の違いが反映されている展示でした。
後日、お盆休みの頃、大阪メトロ中央線が電気系統のトラブルにより運転停止になったとのニュースを目にしました。関係者を含む約3万人が、陸の孤島となった会場に足止めされ帰宅困難者に。ポルトガル館では、自発的にレストランや多目的ホールを開放、食事や休憩の場を提供し翌朝5時半頃まで対応。また、オランダ館がミッフィーとの写真撮影や照明の演出で特別な時間を演出。想定外の状況でもポジティブな体験で、ストレスを和らげ、記憶に残る体験に変えることができたと。ポルトガル館館長の言葉「通常は当然ルールを守って運営していますが、あの日は通常ではありませんでしたから・・・。ルールは守らなければなりませんが、破らなければならない時もある。」が印象に残りました。非常時の対応には、この柔軟さが必要でしょう。チェコ館ではパビリオンの屋上テラスが開放され、夜通し会場で過ごした人たちの間で、屋上から見た夜明けの景色が格別だったと感動の声が。アポロ13号のような事故は別ですが、国籍に関係なく想定外を乗り越える経験は、誰にとってもプライスレスな体験です。






























2025.07
