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【読書感想文】花びらとその他の不穏な物語


端的に言えば、これはかなり癖の強い
フェティシズムがテーマの短編集です。

とても読み易い文章で、
読んでいて謎の中毒性があると感じました。


各話はこんな感じ。

「眼瞼下垂」→眼瞼下垂フェチ男の苦悩
「ブラインド越しに」→元彼の部屋を覗き見
「盆栽」→サボテンに親近感を抱く男
「桟橋の向こう側」→本物の孤独を探す少女
「花びら」→トイレの残り香の主を探す男
「ベゾァール石」→抜毛依存症の女


作者は、グアダルーペ・ネッテル。
1973年生まれ。
現代メキシコを代表する女性作家だ。


私は彼女の本を読むのはこれがはじめてだが、
トップバッターの「眼瞼下垂」で、

「私のお話ってこんな感じよ!よろしくね!」

と、割と圧が強い自己紹介をされたような気持ちになった。
お、おぅ…承知したぜ。




「眼瞼下垂」は、眼瞼下垂の手術医からの依頼で、患者のビフォーアフター写真を請負うカメラマンの話。

彼は、眼瞼下垂のビフォーと、お目目パッチリアフター写真をひたすら撮り続けているうちに、ビフォーに魅力を感じ、アフターに人工的な不快さを感じるようになる。

一見、バランスがとれて見える。だが、その目をよくよく見るとーー特に同じ人間の手で修整された何千という顔を見てくるとーー、おぞましいことに気づく。どの目も、どことなく似ているのだ。それはまるで、リュラン医師が患者たちに、かすかだが見紛うことのない目印をつけたかのようだった。

「花びらとその他の不穏な物語」p14


お恥ずかしい話だが、私は眼瞼下垂をよく知らず、ネットで調べてみたら、すぐに形成外科や美容外科の宣伝の波に飲まれてしまった。

ビフォーアフター写真もたくさん出てきた。
(このお話を読んだ後に見ると、なんだか複雑な気持ちになってしまう…。)

この本を美容外科の待合室に置いたら、
手術を思い直す人が出てくるだろうか。

それとも、このカメラマンが特殊なだけ!
と、鼻で笑われてしまうだろうか。




「ブラインド越しに」は、向かいの集合住宅に越してきた元彼をこっそりと覗き見る女の話。

映画「裏窓」を彷彿とする人も多いだろう。
どうしたこうしたという話よりも、この設定自体が話の全てだ!感がある。実際、話も短い。




「盆栽」は、なんと東京が舞台。
男の妻の名はミドリ。園丁の名はムラカミ。
当然、「ノルウェイの森」のオマージュだ。
(作者が影響を受けたらしい)

そして、青山植物園が出てくる。
調べると、どうやら「シェアグリーン南青山」の事を言っているようだ。
その写真を見て、そのイメージを頭にインプットしながら読んでいると、まるで村上作品を読んでいるような気になってくる。

いや、ミドリは反則だって。
どうしたって、ケーキを無茶振りする、あのミドリのイメージが頭から離れないって。


男は園丁から、植物と人間の関係が、生きている者同士の関係と同じだと言われる。
それがきっかけで、男は植物にある種の人格を見出し始め、サボテンと自身を重ね合わせる。
そして、自身のコンプレックスを、「仕方ないか、自分はサボテンだから」と受け止められるようになった。

しかし、男のサボテンの自認に、ミドリは反発し、それを受けた男は、彼女はつる植物なのだと気付いてしまう。
そして、ロッシーニの「泥棒かささぎ」を聴いて、ミドリがつる植物の盆栽なのだと気付き、数ヶ月後、彼らは別れてしまう。

この曲は、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」第一部のタイトルにも使われている。
(何故その曲がタイトルになっているのかは、私には分からないが…。)

「泥棒かささぎ」のストーリーは、
『無実の罪で死刑を宣告された召使いの女性ニネッタが、最終的にカササギの盗みが発覚して救われる物語』という、「ハッピーエンドを持つ悲劇」なんだそうだ。

ミドリと別れて、つる植物から解放されたハッピーエンドといったところだろうか。



「桟橋の向こう側」は、15歳の少女が、小さな島で「ほんものの孤独」を探すお話だ。

「ほんものの孤独」なんて言葉を聞くと、
浦沢直樹の漫画『MONSTER』のヨハンがシューバルトに行った所業を思い出してしまう。
(あの時のヨハンの美しさはヤバかった…!)

少女は、イケてる叔母カップルが激安で買ったという別荘のある島での彼らのバカンスに付いていくが、少女と同世代の陽キャがやってきて、早速険悪になる。

しかし、その陽キャの母親が末期がんという事を知り、程なくして陽キャは母親を亡くす。
島を去る時の陽キャの瞳な中に、少女は「ほんものの孤独」を見出す。

厨二病だったけど、現実見えたので、もうアホな事は言いませんっていう話かな?
(↑なんの余韻もない説明)




「花びら」は、女性トイレに侵入して、使用した女性たちの妄想に夢中になる男の話だ。

いきなりアウトだ。とんでもなくアウト。
ていうか、この一文を書いたら鳥肌立ったわ。

そして、描写もきったない。
そりゃそうだ、トイレだもん。
女性の作者がこれを書いたとは信じられない。

コイツは(※嫌悪感でこう呼ばせて頂く)、レストランのピークタイムに女子トイレに侵入し、気に入った“痕跡”を残した女性を“フロール”と呼び、彼女を狂おしく探す。(うう…キモい。)

そして、ようやくその痕跡を見つけると、今度は彼女の境遇をそこから読み取って苦しむ。
(マジでキモい。)

しかし、彼女を見つけて一目見た瞬間、コイツは興味を無くす。彼女のその後の行動についても、コイツは冷淡、いや無関心ですらある。

え、何この話?不快さしかないんだけど。
作者は何で、よりにもよってこんな不快感MAXな話を書いたんだ?
それとも、人間の本質とは、弱さや身勝手さ、キモさにこそ宿るとか、そういう事を言いたいのだろうか?

でもね、こういう人が、日本で、イオンのトイレで、貴女の隣の個室にいたら…⁉️

なんて考えると、途端にこの話はクリミナルホラーになるんですよ…ヒィー‼️(ゾワゾワッ)



「ベゾァール石」の話の前に、そもそもベゾァール石って何?という話から。

ベゾァール石は、山羊の胃から取り出す石のことで、たいていの薬に対する解毒剤になると言われているらしい。
(どうやらハリーポッターで登場しているらしく、ファンの間では常識だそうだ。)

薬物中毒で入院した女性が、医師の勧めで日記を書くところから、物語は始まる。

彼女の依存癖は、9歳の時に自分の毛を抜くことに快感を覚えたところから始まった。
そこから、アルコール、マリファナ、コカイン、エクスタシーと依存対象が変わっても、毛抜きは止まられなかった。

思春期になる頃には、ハゲを隠せないほどになっており、周りからは気まずい目で見られ、両親は優等生の妹に救いを求め、彼女にとって毛を抜く行為は、ベゾァール石と同価だった。

17歳になった頃、彼女は「ごまかしのプロ」になっており、社交性を身に付けてモテモテになり、モデルの仕事までするようになるが、毛抜き依存の秘密を守る為、特定の男性とは付き合っては来なかった。

しかし、同じモデル事務所のビクトルという男が、彼女の悪癖を承知の上で付き合いたいと言ってくる。

「ぼくたちは深いところでよく似かよっているんだ。髪は抜かないけれど、ぼくにもほかの癖がある。考えてごらん、ぼくみたいなことをきみにしてあげられる人はとまこにもいないよ」

「花びらとその他の不穏な物語」p120

そして、ビクトルとの同棲が始まり、程なく彼女は、彼の指を鳴らす癖に我慢できなくなる。

しかし、彼を愛するあまり、その苦痛から解放される手段として、彼女は彼との別れではなく、薬物を選択してしまったのだ。
そして、決定的な暴力が起こり、現在に至る。

日記の終わりでは、彼女とビクトルが果たして今生きているのかどうかは分からない。

要するにわたしはずうっと昔から、同じものを探し続けているのです。完璧な心の平安を得るための処方箋を。

「花びらとその他の不穏な物語」p136



物語は以上である。


読み終わって、
「確かに不穏だ、タイトルに偽りなし」
と思った。

しかし、「異常な人たち」で片付けられない何かを感じたことも事実だ。

世間から隠されたモンスター性にこそ、美しさを感じる、という作者・ネッテル。

私には到底理解できない感覚であるが、もし興味を持たれた方は、一度この不穏で奇妙なネッテル・ワールドへ、思い切ってダイブしてみてはいかがだろうか。





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