私だけの幸せの探し方
子供の頃、四葉のクローバーを見つけるのが、得意だった。
遠くから、地面を眺め、緑の濃くなっているところに、狙いをつける。
そして、あとは、ひとつずつ丁寧に、目を凝らしていくだけ。
すると、不思議なことに、ひっそりと四つの葉っぱが浮かび上がってくる。
そして、幸せの戦利品を手にした私は、自信を持って、家族に差し出すのだ。
「ほら、どうぞ」
あの頃は、それが何の意味があるとか、何の役にたつとか、そんなことは気にせずに、夢中で四葉のクローバーを探したものだった。
そういえば、私の子供たちも、幼稚園の頃、折り紙で作った名前のない作品や、道端のお花とかを「おみやげ」といってくれたっけ。
「ありがとう」…なんて口ではいいながら、別のことを考えていた私。
大人になると、社会的に評価されないことには、価値を見出さず、知らず知らず、求められるカタチに、自分を押し込めていくようになる。
楽しいなぁとか、美しいなぁとかいう、個人的な感情さえも、「今、なにが流行っているかな」とか、「他の人はどう思うかな」などと、他人の目が気になって、自分の表現を控えたりする。
でもそれは、社会を生き抜くための、知恵でもあるだろう。
求められる人になれ。
相手のニーズを汲み取れ。
顧客が困っている時がチャンス。
そうやって、自分の感情は後回しにして、評価される人間になろうとする。
効率よく経済を回すために、少しずつ何かを削って生きていくのが、大人なのだろう。
だけど、だんだん、うっすら、あの頃の気持ちが戻ってきている気がする。
勇気を出して、サイズの合わない既製服は脱ぎすてて、居心地のよい場所や、心を癒すものを、探さなくてはいけない。
ひたむきに四葉のクローバーを探していたあの頃のように。
そう思いつつ、今日も日本経済をぐるぐる回しながら、家路に着く私。
明日の朝食のためにと、立ち寄ったパン屋さん。
棚いっぱいに並ぶ、様々な種類のパン。
目を凝らして、みんなが喜びそうなものを探す私。
ユニークな形のパンを眺めていると、明日の朝沸かす、熱いコーヒーが思い浮かび、思わず笑みがこぼれる。
そして、それを美味しそうに食べる家族の顔を想像すると、あの日誇らしげに差し出した、四葉のクローバーを思って、幸せな気持ちになるのだ。
