実家の日本人形が怖かった話
実家に帰るたび、どうしても視線を感じる。
廊下の突き当たり、少し開いた襖の奥。
そこに、あの日本人形はいる。
子どもの頃からずっと、同じ場所に。
あの目が苦手だった。
日本人形って、どうしてあんなに“ちゃんとした顔”をしているんだろう。
整いすぎていて、表情がない。
笑っているわけでも、怒っているわけでもないのに、じっとこちらを見ている気がする。
特に夜。
電気を消して、部屋に戻る途中、どうしてもあの前を通らないといけない。
そのたびに思う。
「今、目が合った気がする」
もちろん、気のせいだとわかっている。
でも、足は自然と早くなる。
不思議なのは、家族は誰も怖がらないことだ。
「あれ?あの人形、怖くない?」
と聞いても、
「別に?」
「普通じゃない?」
と、あっさり返される。
むしろ「いい人形だよ」とまで言う。
祖母にいたっては、たまに埃を払って話しかけている。
あの光景のほうが、少し怖い。
大人になってから気づいたけれど、日本人形の怖さって「見た目」だけじゃない。
そこに“何かありそう”と思わせる余白がある。
西洋の人形みたいに明るくデフォルメされていない分、現実に近くて、でも完全に人間ではない。
その微妙なズレが、想像を呼び込む。
「動くかもしれない」
「見ているかもしれない」
そんな考えが、勝手に頭に浮かんでくる。
じゃあ処分すればいいかというと、それもできない。
いわゆる“いい人形”だ。
簡単に捨てていいものではない、という空気がある。
それに、日本人形には「魂が宿る」という話もよく聞く。
信じているわけじゃないけれど、わざわざ試したいとも思わない。
結局、今もあの場所にいる。
久しぶりに実家に帰ると、
やっぱり最初に気になるのはあの人形だ。
位置は変わっていないか。
顔は、こんなだったか。
そして、目が合う。
子どもの頃と同じように、少しだけ背筋が冷える。
たぶんこれからも、完全に慣れることはない。でもそれでいい気もしている。
怖いままの記憶って、なぜか少しだけ大事にしたくなるから。
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