【映画】名無し
原作・脚本・主演:佐藤二朗。
その右手で触れたものは見えなくなり、命あるものなら死んでしまう、という右手を持つ男の話。
右手に持った見えない凶器で無差別大量殺人を犯し、最後はこの男も死んで終わり、と言う話です。
もちろん、男の不遇な境遇は描かれるし、振り回される警察の茶番も描かれますが。
要するに、なんなの?
というところが示されません。
匂わせ、はあるけど、なんとなく「ありがちな解釈」に誘導されてるような気もする展開。
私は「これだけの惨劇を描くなら、なにかしらの暗喩に違いない」と思って観ていて、でも最後までよくわからなかったのでパンフレットを買って佐藤二朗のインタビューを読みました。
すると
-あえて僕がいろいろと説明はしたくなくて、観た方がそれぞれに何かを感じていただけるはずだと思っています。
いやいや、それはずるいでしょ、と思いました。
それならもう少し、どっちつかずな展開にするべきなのでは?と。
映画では(原作漫画の初めの方が映画の公式サイトから読めるのでそれも読みましたが)、本人の意思で犯行を行っているようにしか見えない。
いくら主人公が特殊に生まれついて劣悪な成育歴を持ち不遇な生活を強いられている人だとしても、無差別大量殺人を正当化する理由にはならないし、自分の意志に反してやってしまう事だというならそういう表現が必要です。
右手の持つ特殊能力は本人の意思に反しているかもしれないけど、それを使うかどうかは本人のコントロール下にあるわけですから。
映画では、MEGUMI演じる一人の女性だけが主人公の生きるよすがだったのに、その女性から自分を否定されたことがきっかけで蛮行に走るようになる、ように見えました。
絶望からの自暴自棄だったとしても、社会への復讐的な思いだったとしても、絶対に許容できない行為をしているので、観客として仮に「何かを感じ」たとしても、自分自身の中でそれを肯定できないのです。
そうなると結局は「佐藤二朗はこういう殺人鬼を演じたかっただけなんじゃないの?」となってしまうわけで。
でもそれって、要するに佐藤二朗を理解しようとすることを放棄することになるわけで、それってこの映画の中の構造と同じってこと?
と、そこまで考えて、ちょっとゾッとしました。
もしそうなら、佐藤二朗って天才かも、と思うし、そうじゃないなら、もうちょっと丁寧に作らないとダメよ、とダメ出ししたいです。
同じく佐藤二朗原作・脚本で監督もやってる作品に「はるヲうるひと」というのがあるのですが、テーマ的には共通項を感じます。
(主演ではないですが佐藤二朗本人も出ています)

こちらの方はちゃんとわかりやすかった。
表現はやっぱり過激だけど、内容的に自分の中に受け止めて咀嚼できるものでした。
「名無し」で佐藤二朗作品に興味を持った方は、「はるヲうるひと」も観てみたらいかがでしょうか?
