見出し画像

【LTRレポート】祇園祭・月鉾(つきほこ)の記録 - 2025年、京都市

はじめに

 2025年7月10日、ロングタイムレコーダーズの関西支部メンバーは、京都市下京区月鉾町の月鉾保存会を訪問しました。祇園祭の前祭(さきまつり)巡行を前に行われる月鉾の鉾建て工程を準備風景として記録、曳き初め、宵山、巡行と合わせて動画とレポートを作成し一般に公開するとともに、NPOの活動記録としてアーカイブするのが目的です。

祇園祭と山鉾について

 祇園祭は毎年7月の1か月にわたって行われる八坂神社の例祭。祭祀の中心は神様が神輿に乗ってお出ましになる神輿渡御(みこしとぎょ)です。山鉾巡行はこれに先立って歌舞音曲の神賑わいを行い、京の町を清めるために行われます。前祭(さきまつり)は7月17日に23基の山鉾が、後祭(あとまつり)は24日に11基の山鉾がそれぞれ巡行する慣わしです。

 貞観11年(869)全国に疫病が流行した時、卜部日良麻呂(うらべひらまろ)が御霊(ごりょう:非業の死を遂げた死者の怨霊)の祟りであると占いました。人々は御霊が疫病を流行らせており、荒ぶる御霊を歓待、慰撫し、別の世界に送り返す御霊会(ごりょうえ)を行うことで鎮めることができると信じていました。そこで同年6月7日に長さ二丈(約6m)の矛を当時の国の数にちなんで66本立て、牛頭天王(ごずてんのう:祇園精舎の守護神、転じて疫神とされた)を祀って鎮魂の神事を行ったと「八坂神社社伝」に伝わります。さらに、6月14日に洛中の男児が神輿を神泉苑(二条城の南にある広大な自然の泉をもつ朝廷管轄の庭園)に送って御霊会を行ったとあり、これが祇園祭の始まりとされています。(福持、pp.591-592。八木、pp.19-22)

 山鉾は神霊を招く存在と考えられています。平安時代に矛、つまり槍状の武器であったのが、南北朝から室町時代にかけて形状を変えます。現在のような山鉾が確認されるのは15世紀の「月次祭礼図」(東京国立博文館蔵)が最初で、鉾と舟形の屋台が描かれています。応仁の乱で中断するも、明応9年(1500)に巡行の順番を決める鬮取式(くじとりしき)が始まり、行事としての形式も整えられました。安土桃山時代以降は、京の裕福な町衆の経済力を背景に外国から渡来した豪華絢爛な幕類を懸け、錺金具(かざりかなぐ)や彫り物にも贅を尽くすようになっていきます。(福持、p.593)

月鉾について

 山鉾34基中もっとも大きく重い鉾。鉾頭に上下24㎝の18金製三日月を掲げ、真木(しんぎ:鉾の中央に高くそびえる柱)の上部に設えられた天王座(てんのうざ)には月読命(つきよみのみこと)が祀られます。右手に櫂を持ち、月を仰ぐ姿で舟に乗っているといわれますが、非公開。

 大屋根の鬼板(屋根の先端)には三本足の八咫烏が、妻飾(屋根の下の三角形の部分)には左甚五郎(江戸時代初期の伝説的な彫り物職人)作と伝わる気品ある白兎の彫り物が。屋根の軒裏は円山応挙(写生を重視した京都画壇円山派の祖)が金地に描いた天明4年(1784)の草花図4枚、屋内の天井絵は岩城九右衛門(月鉾改造に尽力した町内の富豪)による天保6年(1835)の風雅な源氏五十四帖扇面散図(せんめんちらしず)です。
 四本柱は漆塗地に唐草文様錺金具が美しく、やはり天保6年(1835)の作。軒桁の下面は水紋と海松(みる:松葉状の海藻)、巻貝や二枚貝を象(かたど)った見事な細工の錺金具で、下絵は松村景文(江戸後期、京都の四条派の絵師)の手になります。
 巡行の際、鉾に乗せられる稚児人形「於菟麿(おとまろ)」は明治45年(1912)九世伊東久重が制作したものです。
 それらに加え、軒下の天水引(てんみずひき)は円山応挙の孫、応震(おうしん)による下絵の双鸞霊獣図(そうらんれいじゅうず)の刺繍、櫓の前懸は17世紀のムガール帝国製、幾何学文様の胴懸は18世紀のコーカサス製など貴重な品々が枚挙にいとまがないほど数多く使われています。規模だけでなく、歴史的、芸術的な価値も高いのが‶動く美術館〟といわれる所以であり、現存する鉾では随一の絢爛豪華な鉾とされています。(河原書店、pp.94-98)
参照URL

 これらの装飾の様子は動画『祇園祭 月鉾 2 宵山と山鉾巡行』で紹介させていただきました。

月鉾の構造と鉾建て

 祇園祭の山鉾は、祭りの始まりに合わせてそのつど組み立て、終わればバラバラに分解して保管されます。もっとも特異な点は、木造で釘を1本も使わず、藁縄(わらなわ)で部材同士を固定する縄絡み(なわがらみ)という伝統技法でつくられること。これにより、移動の際の衝撃が分散され、揺れても主要な材は破損せず変形の余地を残すやわらかさと強度を併せ持つ構造体が実現したといえるでしょう。
 鉾は、囃子方が乗る上層の舞台と屋根、それを支える下層の櫓(やぐら)、車輪と軸組、そして中央に立つ真木から成っています。
 サイズは、全高(真木の鉾頭まで):約26.8m、屋根の高さ:約7.6m、幅(上層の軒含む):約3.8m、長さ(車輪含む):約6.8m、車輪の大きさ:直径約1.9m、轍幅約17㎝、総重量は約12トンで、すべての鉾のなかでもっとも大きく重いことで知られています。(近藤、pp.66-67およびpp.72-75)

 鉾建てには真木立ての儀式を含めて約2日半を要し、3日目の午後に地元の方々が曳き初めを行います。作業にあたるのは、作事三役(作事方)。手伝い方(てったいかた)、大工方、車方という役割分担があり、先ず手伝い方が下層の基礎構造部分となる櫓を組み立て、次に大工方が上層の囃子台(囃子方が演奏する舞台)と鉾屋根を組み上げます。いずれも寺社仏閣、京町家など日本の伝統建築を専門とする大工集団。鉾の本体が仕上がったら、最後に車方が車輪を取り付けます。なお、真木の組み立てと水引や胴懸などの飾り付けは保存会のメンバーの方々が中心となり、仕上げていました。

 以下、鉾建ての作業概要を説明します。

月鉾の鉾建ての作業概要

 7月10日朝9時、快晴で気温36.6℃を記録する猛暑日。下京区月鉾町の四条通はすでに一部の地域で交通が規制され、鉾の部材や脚立、工具類が路上に並んでいました。

 初日、手伝い方が下層の櫓の組み立てを始めます。上部が内側にやや傾斜した4本の柱に水平材の貫(ぬき)を通し、四方の垂直面と上面にそれぞれ筋違(すじかい)を入れます。使用する材はヒノキで、接合部分の要所にカシの楔(くさび)が打ち込まれます。部材同士を固定する縄絡みの手法は独特で、数本ずつ縦巻と横巻を交互に行って鏝(こて)状の治具で締め上げ、木槌で叩いて縄間の隙間を詰めることで強度を確保するというものです。作業中、藁くずが絶えずあたりに舞っているのが印象的でした。(近藤、p.67)
 縄は全長7㎞に及び、どう巻くかは鉾ごとに、また巻く場所によっても異なるそうです。結び方は縁起の良い生き物を模し、月鉾では東西が雄蝶(おちょう)結び、南北が雌蝶(めちょう)結び、櫓の上部は鶴結び、下部は亀結びといわれます。(河原書店、p.99)
 最後に2本の長い梃子(てこ)を櫓の片側に固定します。これは翌日、櫓を真横に倒して真木を据え付けるための準備です。櫓の足元には回転軸となる丸太材とそれを支える柱が取り付けられました。

 2日目、櫓を90度回転・転倒させる作業が始まります。「ヨー・ヨーイ・エンヤラヤー」の掛け声とともに、ウィンチで櫓が徐々に傾き、木材が軋むギシギシという摩擦音が緊張感を高めます。無事、横倒しになるとさっそく真木の部材が運び込まれます。
 真木は全長26m。令和7年(2025)、上部の竹が新調されたそうです。真木の下部は2つのヒノキが相欠きに接合されており、金属の輪と麻布で留めた上に白い縄を巻き付けます。竹はヒノキの上部に接合され、割竹で補強した後、縄を巻いて固定します。
 真木の先端に三日月を設置、その下に月読命を祀る舟形の天王座を取り付けます。組み立ての終わった真木は全員で櫓の中央に設置し、外装用の藁縄を巻き付けます。その上に赤熊(しゃぐま)という独特な形状を持つ藁の飾り物を9個付けます。赤熊は、仏塔の先端に付けた九輪(9つの輪)に由来する重要な要素とのこと。
 一方で、これと並行して榊の枝を束ね、中心を縄で絞って左右均等になるよう整形します。榊は真木のほぼ真中(9つある赤熊の下から4つ目と3つ目の間)に取り付け、中央に白弊(はくへい)を一串、榊には400枚の紙垂(しで)を飾ります。このようにして真木の装飾ができ上がると、四方から真木を櫓に固定するための禿柱(かむろはしら)を設置して、真木立ての準備が整います。

 この日の午後2時、鉾建ての最大の見どころである真木立ての儀式が始まります。月鉾保存会理事長と理事が紋付き袴に着替えて待つうち、厨子に収まった月読命の御神体が運ばれて来ます。神様なので、人々が見下ろさないよう赤い布で隠され、理事長自らが真木に据えます。関係者全員による再拝二拍手一拝、櫓に乗った手伝い方の「ヨー・ヨーイ・エンヤラヤー」の掛け声とともにウィンチが回り、櫓と真木を垂直に立てます。途中、月読命を覆っていた赤い布がヒラリと舞い落ち、真木は高く昇って行きます。儀式が何事もなく終わると、関係者全員による鏡開きを行い、大勢の見学者にも祝い酒が振舞われます。この開放的な雰囲気が、月鉾保存会の大きな魅力のひとつです。

 祝杯を楽しむ間もあらばこそ、次の工程へ。高所での作業となるため大工方が足場を組み、鉾屋根・囃子台の設置に取りかかります。まず上層の床、柱、手すりなどを組み立て、次に屋根の部材、逸品ぞろいの装飾の数々が手際よく取り付けられていきます。先述した円山応挙の筆になる草花図、妻飾の白兎の彫刻、鬼板の八咫烏などがしかるべき場所に。午後の陽光を受けて煌めく金箔の部材はいずれも華麗で、この場面を見るためにわざわざ訪れるファンもいるほど。大屋根の上に目を向けると、真木の禿柱に八坂神社の神紋が入った赤い布の網隠しが付けられていました。

 一方、下層部では2本の長大な車軸の受桁(うけけた)を櫓に設置します。これは石持(いしもち)と呼ばれ、自動車のシャーシ機能に加えて鉾の重心を下げて運行を安定させる役割も担います。材は柔軟性と強度にすぐれたアカマツで、本体の全重量を受ける重要な部材です。月鉾の石持は、34基ある鉾のなかでも最大。長さ:7.5m、高さ:60㎝、幅:29㎝、重量:1.5トン(1本)にもなるそうです。最後段階に入り、石持の下部に車軸を1本ずつはめ込む作業が行われます。(河書店編、p.17およびp.97)

 3日目に車方が登場。車輪の取り付けは鉾建てのもうひとつの大きな見せ場でもあり、多くの見学者が集まっていました。車輪の大きさは直径約1.9m、轍幅約17㎝、重さ500㎏以上。車輪の材は固いカシで、弧を描く外回りの大羽(おおば)7組と、これを内側で連結する同数の小羽(こば)を組み合わせた構造になっています。中心から放射状に21本の棒材の矢(スポークス)が伸び、軸受け部は鉄製。車輪表面は漆塗りを施して黒く染まり、車軸の接合部には潤滑に動くよう菜種油を塗っています。(近藤、p.140およびpp.156-160)

 車輪の取り付けは、作事方全員の力を結集して行います。最初は車軸の高さを車輪に合わせる作業。長い梃子を使い十数人がかりで鉾を浮かせて、脚立と車軸の隙間に木板を必要な数入れて高さを調整し、車輪の穴位置に合わせます。高さ調整を終えると車輪の取り付け作業に。車輪は倒れると下の人が大怪我をするほどの重さなので、経験を積んだ車方が数人がかりで慎重にゆっくりと運びます。最後に、車方が治具と人力で一気加勢に車輪を所定の位置へ。車輪が4つとも無事に付くと、車軸を支えていた脚立と板木は取り外され、約12トンの重量がすべて車輪にかかった状態となります。
 その後、各部の手入れや装飾品の設置を保存会メンバーが先導して行います。車輪は鉋(かんな)で削って形状を整え、仕上げ塗装。海老結びの縄で石持を飾ったり前掛や胴懸などの懸物類や曳き初めの綱を取り付けたりと、さまざまな作業があります。この頃には祇園囃子の音があちこちから聞こえ、年に一度の祭に向けて高揚感が一気に高まります。

 囃子方が鉾に乗り込み、塩で道が清められると、いよいよ曳き初めです。最初に引くのは愛らしい小学生たち。綱を跨がないことが注意点です。すでに沿道は多くの観客であふれんばかり。手伝い方が音頭取をつとめ、大工方は屋根方として大屋根の上で目を配り、保存会会員や関係者は小学生たちを誘導します。音頭取の「ヨー・ヨーイ・エンヤラヤー」の掛け声に合わせて鉾がゆっくりと動き出し、囃子方が演奏を始めると、方々から歓声と拍手が。鏑梃子(かぶらてこ:かぶら型の形状の梃子)という独特の道具を手にした車方は、車輪のそばで慎重に鉾の進行を制御しています。こうして子供たちは無事に曳き初めの大役を果たすことができました。彼らの歓声と関係者の満面の笑みが、鉾建てが首尾よくいった喜びと巡行への期待を雄弁に語っているようでした。

動画 祇園祭 月鉾 1 鉾建てと曳き初め

月鉾の内覧、宵山、巡行の様子

 翌々日、月鉾の内覧が許され、端正な稚児人形と豪華な懸物に彩られた月鉾の内部を記録させていただきました。その内容は、前述の「月鉾について」をご参照ください。
 加えて、宵山と巡行の様子も記録させていただきました。令和7年(2025)の前祭はあいにくの雨日和でしたが、月鉾町のスタート地点から四条通りを行く様子、四条河原町、御池通り、四条通りでの辻回し、新町通りを下っていく月鉾の各場面を、一般観客席から録音録画しています。

動画 祇園祭 月鉾 2 宵山と山鉾巡行

◆◆◆◆◆◆◆◆

 月鉾の鉾建ての一部始終を見学し得たうえ、月鉾内部の素晴らしい装飾、さらに宵山や巡行までも映像に収めることができたのはたいへん有意義であったと感謝いたします。
 伝統建築の技術・技能を継承される作事方の棟梁と大工の方々、歴史的に価値ある月鉾の運営に取り組んでこられた月鉾保存会の理事長はじめメンバーの方々の統制のとれた仕事ぶりや熱意には、尊敬の念を抱かずにはいられません。末尾になりますが、月鉾保存会、作事方の方々、関係者の方々のご理解とご協力に謝辞を申し上げて結びとさせていただきます。

                                        (京)

参考文献

植木行宣監修、福持昌之『山鉾屋台の祭り研究辞典』思文閣(2021)
近藤豊『祇園祭の鉾と山 鉾立と細部意匠』大河出版(1970)
河原書店編集部『祇園祭手帳前祭編』河原書店(2019)
八木透『京のまつりと祈り』昭和堂(2015)


いいなと思ったら応援しよう!