「正論」を飲み込むほど、「自信」が消えていってるかもしれない話
過去に人から指摘されて
ムッとした経験はないでしょうか。
(僕は数え切れません)
不快なことを言われたあと、
その言葉がいつまでも頭に残ることがある。
言い方には腹が立つ。
だけど、指摘の内容自体は正論。
そのため、
丸ごと否定することも、
丸ごと受け入れることもできない。
人のアドバイスは、
純度の高い情報として渡されるわけではない。
確認できる事実
相手に求める行動
原因についての推測
その人の経験から生まれた主観
苛立ち、皮肉、優越感
人格評価
これらがグチャグチャに絡まった、
カオスなものとなって飛んでくる。
厄介なのは、そのカオスな球の中に、
受け取るべき正論が入っていること。
ここでいう正論とは、
少なくとも確認できる事実や、
行動を直すうえで筋の通った指摘を指す。
発言者が正しいと思っていることすべてではない。
正しい部分が、残りの成分まで正しく見せる
たとえば仕事中に、
〇〇ができていない。
何度言っても理解しないな。
だからいつまでたっても駄目なんだよ。
...と言われたとする。
まず、
「〇〇ができていない」は、
間違いのない事実かもしれない。
「何度言っても理解しない」は、
相手の推測の部類に入ってくる。
「いつまでたっても駄目」は、
事実からかけ離れた主観による人格評価になる。
この三つは、根拠も扱い方も違う。
ところが一続きの言葉として投げられると、
最初の指摘が正しいぶん、その後に続く推測や人格評価まで正しいように感じやすい。
嘘を見抜かれにくくするために、
本当のことの中へ嘘を混ぜるやり方と、
構造がよく似ている。
ただし、ここに混ざっているものが、すべて意図的な嘘とは限らない。
発言者自身が、事実と自分の解釈を分けられていないこともある。
問題は、正しい事実が、
まだ検証されていない主観(仮説)を押し通すチケットになってしまうことにある。
正論に便乗して
正しいことを言う行為と、
問題を解決する行為は違う
正しい指摘は、問題解決の材料になる。
しかし、正しいことを言っただけで問題が解決するわけじゃない。
皮肉や人格評価まで混ぜて投げると、
受け取った側には二つの作業が発生する。
一つは、
指摘された事実を理解し、
行動を修正する作業。
もう一つは、
傷ついた自分を立て直し、
どこまでが事実だったのかを仕分ける作業。
改善へ向けられたはずの注意が、
言葉の解毒にも使われる。
言った側は「教えた」と思っていても、
実際には情報の仕分けと感情の後処理を相手へ渡している。
それでは、正論の一部が正しくても、
伝え方まで含めた全体は問題解決に適していない。
傷ついたことは、毒の判定ではない
ここで間違えたくないのは、
「傷ついた言葉はすべて間違っている」と
判断すること。
正しい指摘が痛いこともある。
痛みから分かるのは、
自分がその言葉に反応したということ。
しかし、その言葉が正しいか間違っているかまでは決めてくれない。
ここで毒と呼んでいるのは、
痛みを伴う指摘そのものではない。
改善に必要のない侮蔑や、
根拠のない人格評価を指している。
だから、傷ついた瞬間にその絡まったカオスな球を丸ごと捨てるんじゃなくて、まず「これは正論に混じった混合物だ」と認識して、自分の中心へ流れ込むのを止める。
そのうえで、何に傷ついたのかを見る。
指摘された事実が痛かったのか?
見下されたように感じたのか?
一つの失敗を、自分全体の価値にまで広げられたことが嫌だったのか?
傷を正確に見るからこそ、
受け取るものと切り離すものを分けられる。
受け取るものと、
受け取らないものを分ける
確認できる事実は受け取る。
具体的な助言は検討する。
原因についての推測は、事実と照らし合わせる。
皮肉や根拠のない人格評価は、自分の中へ通さない。
「自分は見下されたと感じた」と
「自分は見下される程度の人間だ」は
別の話になる。
「今回はできなかった」と
「自分には能力がない」も同じではない。
否定された一部分と、
自分の存在全体をイコールで結ばない。
使える事実だけを受け取る。
相手が言葉に混ぜた苛立ちや侮蔑まで、
自分の一部として引き受ける必要はない。
問題を解決したいなら、
発言前に事実と主観を分解する
意見を伝える側にも、
同じ仕分けが必要になる。
というか、本来は発言する側が相手を不用意に傷つけないために言葉を精査すべきなんだけど、まあ大体の人はそれが出来ない。
何が確認できる事実なのか?
相手にどの行動を変えてほしいのか?
なぜ、その修正が必要なのか?
こういった部分は、
混ぜずに伝えたほうがいい。
そこへ、
「何度言っても」
「そんなことも分からないのか」
「そんなんだから」
といった言葉を足しても、
修正すべき行動は明確にならない。
皮肉や人格評価を足せば、
伝わる内容は問題解決だけじゃなくなる。
イラ立ちや相手との上下関係まで一緒に伝わる。
正論そのものが悪いわけじゃないけど、
正論と一緒に、自分のエゴまで相手へ処理させることが問題だということ。
傷ついたことから目をそらす必要はない。
傷を認識する。
投げられた球を丸ごと飲まず、
事実と解釈と感情にほどく。
使える事実は受け取る。
検証できない決めつけと侮蔑は、
引き受けない。
相手が混ぜて投げてきたものを、
すべて自分の一部にする必要はない。
っていう考え方が、少しでも浸透すれば対人ストレスが減るのになーって思う。
