4年半で5県6市1町に移り住んだ結果、地元への復讐心が消えてしまった
タイトルの通りだけど、
4年7ヶ月(2021年8月〜2026年3月)で、
5県6市1町に住んだ。
埼玉を離れて福岡へ行き、
福岡に移住したと思ったらすぐに山梨に移住し、山梨県内で何度か住む場所を変えた。
一時期は山梨と鎌倉との二拠点生活も経験し、今は長野にいる。
こうして並べてみると、移住が好きで、いろいろな土地を軽やかに渡り歩いてきたように見えるけど、別にそんなこともない。
「移住最高✨️」というより、引っ越さざるを得ない理由がその時々で起こって、その結果こんな遍歴になってるだけ。

↑引っ越しすぎると、免許証の表面だけでは住所を書き足りず、裏面に記載してもなお僕の場合はスペースが足りず、付箋をさらに2枚貼り付けられた。
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実際、新しい場所で暮らすことは好き。
知らない土地の空気や人間関係に少しずつなじんでいくことには、今でも面白さを感じるもの。
だけど、僕が移住を繰り返してきた理由は、そんなにポジティブなものでもない。
地元が、負の感情の象徴になっていた

埼玉そのものに、
明確な不満があったわけではない。
振り返ってみると、
僕が反発していたのは土地ではなく、
そこで過ごした時間だったのだと最近言語化した。
中学に入ったあたりから、
なんとなく周囲の空気を読みながら
過ごさなければならなくなった。
何を言えばクラスで浮かないのか。
どう振る舞えば周りになじめるのか。
自分がどうしたいかよりも、
その場で期待されているものを先に考えるようになった。
いじめとかとは無縁だけど、
楽しい学校生活とも無縁で慢性的に息苦しい。
それに、学校教育の中で「優秀」とされる定義も自分に合わなかった。
与えられた基準の中で評価され、その評価に合わせて自分を調整していく
もちろん、それが得意な人もいる。
彼ら彼女らは立派な社会適合者だと思っている。
学校で優秀だった人たちですら
「自分は社会不適合者なんで(笑)」
とか、ほざくやつがいるが、
お前らみたいな勉強ができて集団行動が得意なやつが社会不適合だったら、勉強も集団行動もろくにできなかったこっち側の人間は何て表現するんだよと思う。
とりあえず、自分にとっての学生生活は、自分の個性を少しずつ削ぎ落としていって、用意された枠に押し込んでいくような感覚。
不思議なことに、社会人になって1年半で会社員としての限界を迎えて、消去法で独立してからの方がのびのびと生きられるようになった。
ビジネスにはビジネスの厳しさがある。
定期的にどうにもならないことに死にたくもなる。
それでも、
誰と関わるのか、
どこで暮らすのか、
どんな生き方を選ぶのかを、
少しずつ自分で決められるようになった。
そうやって大人に近づくほど自由を感じ始め、
自由を感じるほど学生生活で感じていた息苦しさへの恨みは濃くなった。
そして、その感情はいつの間にか、
地元である埼玉と結びついていた。
社会人になる頃には、
僕の中で埼玉は、ただの出身地ではなくなってきてた。
空気を読んでいた自分や、
決められた「優秀さ」に合わせられなかった自分を思い出させる、負の感情の象徴に変わってた。
県外で幸せになることが地元への復讐...と思ってた
昔から、県外に憧れがあった。
特に、山が近くにあり、
自然を身近に感じられる場所。
一度は埼玉で就職した。
それでも、県外で暮らしたいという気持ちを諦めることはできなかった。
今になって思えば、僕にとって移住は、新しい暮らしを手に入れるためだけのものではなかった。
埼玉を離れた場所で、
自分を押し殺すことなく生きること。
それによって、
「あの頃、自分を正しく評価できなかった環境の方が間違っていた」
と証明したかった。
県外で幸せになることが、
地元へのこの上ない復讐になると、
うっすら考えていた。
移住を経て遠くへ行くほど、
自由になってる感じがした。
山のような自然のある場所で、
自分の望んだ暮らしを実現できれば、
過去の自分を救えるような気もしてた。
そうして埼玉を飛び出して、
福岡へ行き、山梨で暮らし、鎌倉との二拠点生活も経験した。
そして最終的に長野まで来た。
5県目の長野で気が済んでしまった
2026年の3月に長野に引っ越した。
ところが、移住した当日に言葉にし難い違和感があった。
5県目の移住を経て自分の中に起きたのは、達成感とかはなくて、もっと「無」に近い感じ。
その「無」が何なのかは、
2ヶ月後に参加した高校の友達の結婚式で分かってしまった。
それは、
地元への復讐心が、
ふわっと消えてしまったこと。
心底「もういいや」と思った。
2026年になって、今まで1回も招待されたことのなかった結婚式に3回も招待された。
(おそらく僕たち1996年世代で堅実に生きた人は、30歳を迎える2026年が結婚ラッシュなのかもって思ってる)
結婚式に招待してくれた人たちは全員が心から祝える仲の人しかいないので、行く度に心から祝福できた。
そういった結婚式に招待してくれるような友達との関係性を再確認して、地元へのありがたみみたいのが湧いてきた。
何かを許したわけじゃなく、
過去の経験を肯定できるようになったわけでもない。
学校で感じていた息苦しさが、
実は必要なものだったと思えるようになったわけでもない。
なんなら今でも学校教育は心底カスだと思ってる。
ただ、もう地元を敵にしておく必要がなくなってしまった感覚。
さすがに5県目にもなれば、
「あー、夢の理想郷なんて存在しないんだな」
みたいのが分かるし、それを思うほどに、
「3年前に住んでた〇〇市とか、友達と〇〇したときが楽しかったんじゃん」
と、過去にいたあの場所がいい場所だったんじゃん、と彩られるようになった。
埼玉に住んでた頃から考えると、
十分遠くまで来た。
住みたかった場所に住み、
自分で暮らしを選んだ。
県外への憧れを、憧れのままにしないで、実際に自分の足を運ぶことができた。
昔は「鎌倉」を雪のかまくらと勘違いして勝手に北海道にあると思い込んでたし、
山梨は家族旅行で
よく訪れる憧れの場所だったし、
長野は小学生の頃の自分が地図帳で見て、
遠過ぎて途方もなく感じていた場所のはず。
あとサマーウォーズの印象が強い。
そう思ってた場所に実際に住めたことで、
気が済んでしまった。
埼玉から離れた場所で幸せになることで、
何かを証明しようとしなくてもよくなった。
なんかこう、自分のなかにいた
「県外への執着心を燃やす幼少期の自分」が成仏してしまった感覚がいちばん近い。
離れてみて、地元にあったものを知った
そうやって復讐心が消えたあと、
不思議なことに今まで微塵にも見えなかった地元の良さが見えるようになった。
ずっと埼玉県外に出たいと思っていたけれど、自分は思っていた以上に恵まれた場所で暮らしていたのかもしれない。
たとえば、僕は社会人1年目から3年目までは、仕事のために仕方なく埼玉の川越に住んでいた。
しかし、最近川越を訪れてみて、
東西南北すべての方角へのアクセスの良さに驚く。
駅周辺は商業施設もたくさんあって、
ホームタウンでもあるので、ほどほどの家賃でほどほどの家にも住める。
何よりご飯に誘ってくれる友人がたくさんいる。
以前は当たり前すぎて見えていなかったものを、離れてから知ることになった。
もちろん、
移住によって得たものはたくさんある。
その一方で、失ったものもたくさんある。
まず、お金は死ぬほどかかる。
賃貸といえど、初期費用や退去費用だけで何百万払ってんだろう。
あと、当たり前だけど人脈。
場所を移るたびに、
関わる人は減っては増え、
増えてはまた減った。
長野へ来たことで、
また会う人が減った。
それでも、
埼玉や山梨、福岡からも
今もなお連絡をくれる友人がいる。
何度引っ越しても切れなかった関係を見て、ようやく、その存在の大きさが分かるようになった。
新しい土地で何を手に入れたかよりも、何度移動しても残ったものの方が、自分にとって大切だったのかもしれない。
しょうもない話、
過去にいたあの場所とあの関係性こそ、すでに理想郷だったんだと。移住を経ても手に入らなかったものに今さら気づくという。
5回目の移住を経た変化
結論、
4年7ヶ月で5県6市1町に住んだ結果、
地元への復讐心が消えてしまった。
地元を見返すために幸せになる必要がもう無い。
遠くへ行けば行くほど、
地元から自由になれると思ってた。
けれど実際には、
十分遠くまで来たことで、
地元を敵にすることから自由になれた。
移住の末に手に入れたのは、
理想の土地そのものじゃなく、
復讐心なしで暮らせる自分になったこと。
そして、自分のもとに今も残っている土地や人とのつながりに、失いまくってようやく気づけたこと。
そして、これにスッキリしてしまった今、長野にもずっとはいないんだろうなと思い始めてる。
なんなら、長野に移住した日の夜には
「ずっとはいないかも」と気づき始めてた。
懲りずにまた新拠点を開拓する可能性もあるし、復讐心が溶けた埼玉や、3年半住んだ山梨にまた移り住む可能性もある。
ただ、今まで「1年後の自分がどこで何をしてるか」って予測が当たった試しがないので、次もまた予想の範囲外にいるかもしれないけど。

