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おすすめ本『アート脳』

アートは、心を慰めるだけではなく、人を回復させる力なのかもしれない

最近読んで、文化施設に関わる人にも、教育や福祉、地域づくりに関心のある人にもすすめたいと思った本がある。

スーザン・マグサメン、アイビー・ロス著『アート脳』である。
日本語版はPHP研究所から2024年に刊行された。著者のスーザン・マグサメンは脳科学・神経美学の研究者、アイビー・ロスはGoogleのデザイン部門で活躍してきた人物である。原題は Your Brain on Art: How the Arts Transform Us。邦訳版では、アートが脳や身体、感情、学習、コミュニティにどのような影響を与えるのかが、科学的な知見と豊富な事例を交えて紹介されている。

この本の中心にあるのは、アートはぜいたく品ではなく、人間がよりよく生きるための基本的な力であるという考え方である。

わたしたちは、アートというと、美術館で絵を見ること、音楽ホールで演奏を聴くこと、舞台芸術を鑑賞することを思い浮かべがちである。もちろん、それもアートである。けれど本書で扱われるアートは、もっと広い。

音楽を聴く。
歌う。
踊る。
絵を描く。
詩を読む。
物語に触れる。
香りや光、色、音、手触りを感じる。
空間を美しく整える。

そうした日常のなかの美的経験も、わたしたちの脳や身体に働きかけるものとして捉えられている。

本書では、アートが健康、メンタルヘルス、学習、記憶、集中力、コミュニケーション、コミュニティ形成に関わることが紹介されている。章立ても、「幸福感を育む」「メンタルヘルスの回復」「体を癒す」「学習を拡張する」「コミュニティの構築」など、アートを生活や社会の実践に結びつける構成になっている。

特に印象的なのは、アートが「心の気休め」ではなく、脳や身体に実際に作用するものとして語られている点である。

たとえば、音楽が記憶を呼び起こすこと。
歌うことが産後うつの回復を助けること。
美術館に行くことが、医療や福祉の現場で処方のように扱われていること。
感覚的に豊かな環境が、学習や記憶の定着に関わること。

こうした事例を読むと、アートは「余裕がある人のための趣味」ではなく、むしろ不安や孤立、疲労、喪失、回復の局面にある人にこそ必要なものなのではないかと感じる。

文化施設に関わるわたしのような立場の人間が読むと、この本はとても勇気づけられる。

なぜなら、ホールや美術館、図書館、地域の文化活動が、単なる娯楽施設やイベント会場ではなく、人の心身の健康、学び、つながり、回復力を支える公共的なインフラとして考えられるからである。

文化事業は、しばしば「不要不急」と言われる。
予算が厳しくなると、真っ先に削られやすい分野でもある。
しかし本書を読むと、アートは本当に不要不急なのだろうか、と問い直したくなる。コロナ禍を経て、より、そう思う。

人が人として生きるために、感覚がひらかれること。
自分の内側にある感情に気づくこと。
他者と同じ時間や空間を共有すること。
言葉にならないものを表現すること。
美しいもの、面白いもの、不思議なものに触れること。

それらは、経済指標だけでは測れない。
けれど、人間の生活の質を深いところで支えている。

『アート脳』は、アートの価値を精神論ではなく、脳科学や神経美学の視点から説明しようとする本である。その意味で、文化芸術に関わる人だけでなく、教育、医療、福祉、まちづくり、組織づくりに関わる人にも開かれた一冊である。

また、ビジネスパーソンにも読みやすい。集中力、記憶力、創造性、やり抜く力といったテーマにも触れられており、アートを「仕事と関係のないもの」としてではなく、日々の働き方や学び方を支えるものとして捉え直すことができる。

この本を読んで、わたしはあらためて思った。

文化施設の役割は、ただ公演を開催することだけではない。
人が回復する場所をつくること。
人が誰かと出会い直す場所をつくること。
言葉にならないものを受け止める場所を残すこと。
そして、地域のなかに「感覚がひらかれる余白」をつくること。

それもまた、文化施設の、公共としての大切な役割である。

アートは、生活の外側にある特別なものではない。
むしろ、わたしたちが生き延びるために、日々のなかに必要としているものなのかもしれない。

『アート脳』は、そんなことを静かに、しかし力強く教えてくれる一冊。


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