妻の海外赴任に帯同。私の決断
背景
3月末の羽田空港。学校は春休みで、親子の姿が多い。持っている荷物は多くはなく、国内旅行や帰省のような雰囲気だ。
空港に着いても、しばらく日本を離れるという実感はあまり湧かない。

妻は4月からニューヨーク近郊の日系企業の米国法人で勤務する。私も妻の赴任に合わせて3月末で7年間勤務した会社を退職し、アメリカに帯同している。
退職の挨拶をした方の中には、「仕事を続ける考えはなかったのか」「勇気ある決断だね」という話もいただいた。自分の中でよく考えて決めたことではあるが、うまく言語化できなかったり、恥ずかしかったりして言えなかった部分もある。整理するためにも、ここにまとめてみようと思う。
海外に住む機会はあるか?
第1に、海外で生活することはこのような機会がなければ、私の人生であり得ないだろうということだ。私は県域の地方新聞社で、記者職として働いていた。仕事にはやりがいを感じていたし、何もなければ積極的に辞めたいとは思っていなかった。一方で、県内には多数の拠点があるが、県外は東京くらいで海外赴任の可能性は低い。仕事を続けていたら、海外に住むことはないだろう。
私はもともと海外生活を希望していたわけではないし、自分でそれを切り開くほどのバイタリティーもないと思う。しかし「海外で生活したくない」とも思っていない。キャリアが中断するのは不安だが、この機会を生かそうと考えた。これまでは仕事を含め、ローカルな視点で社会を見つめてきた。住む場所を変え、違う視点から見ることも大事なはずだ。
家族としての生活を大切に
第2に、仕事と家族での生活のどちらが大切かということだ。今の私たちには子どもはおらず、2人での生活が家族生活である。子どもが学校に通っていたり、親の介護が必要だったりすれば判断は異なったかもしれない。英語初心者の私では足手まといになりかねないが、慣れない海外生活は2人の方が安心できるはずだ(妻がそう思っていると願う…)。
今後も書き記していきたい
搭乗した便は全日空のジョン・F・ケネディ(JFK)空港行き。やや気流が荒れていたためか、定刻からやや遅れた午後11時ごろに着いた。名建築として知られる空港だが、夜間で外観を見ている余裕はなかった。屋内は蛍光灯かLED照明か分からないが、白っぽくてなんとなく無機質。年季も入っていた。(JFKで写真を撮るのを忘れていた…)
前職では退職前に確認したところ、7年間で約1230本の署名記事を出稿していた。2日に1本以上で、署名が入らない記事も含めればそれ以上になる。今は書くことは仕事ではないが、退職の挨拶を伝えた方の中には「上野さんだから気づき、伝えられることがあるはず」との嬉しいメッセージもいただいた。こうした言葉を励みにしながら、感じたことなどをできるだけ書き記していきたい。
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