子供のためのパリ美術館(226)気づきの涙/ラ・トゥール 三回のうそ 【ジャックマール=アンドレ美術館】
「わたしは、その人を知りません」
「おまえはイエスを知ってるだろう」
「一緒にいるところを見たわ」
兵士と女の人がペテロに三本の指をつきつけて問いつめます。
ペテロは三度聞かれて、三度とも「知らない」と答えました。捕えられたイエスを見て、怖くなってしまったのです。

イエスを見捨て、うそをつく自分。恐怖と自分の弱さにゆがんだ顔。
イタリアの画家カラバッジョは、ペテロがうそをついたその瞬間を、強い光と闇の中に劇的に描きました。
今日は、そんなイエスの一番弟子だったペテロの絵を、もう一枚見てみましょう。
フランスの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールはこの出来事をどのように描いたでしょう。
なぜそこに、一羽のにわとりがいるのでしょう。

にわとりが鳴いたとき
足元にはランタン。頼りない炎がゆらゆらゆれて寒そうなはだしに、重く質素なサンダルが見えます。

「イエスのことなど知らない」とうそをつきなんとか捕まらず家にたどり着いたペテロは、暗闇の中に座りこんでいます。
ランタンのゆらめくあかりは、年老いたペテロを静かに照らします。
突然、目を見開いて真っ黒な闇を見つめるペテロ。

赤くふちどられくぼんだ目から、涙がこぼれ落ちました。
何か気がついたのでしょうか?
ペテロはいったい何に驚いているのでしょう。

そこには一羽のにわとり。
「にわとりが鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言うだろう」
イエスが言った言葉を、ペテロはその時思い出したのです。

ラ・トゥールは、ろうそくのかすかな光と影で形を作り、できるだけシンプルによけいなものを描きませんでした。そして、たくさんの色を使わず筆のあとが見えないくらいなめらかに描きました。

ゆらゆらと炎にゆれる暗闇の中、ラ・トゥールの静かでおさえられた表現は、弱いひとりの人間の深い後悔と悲しみ、そして「気づきの涙」を私たちに伝えたのです。
おしまい

GEORGES DE LA TOUR
Saint Pierre repentant, dit Les Larmes de saint Pierre 1645
The Cleveland Museum of Art, Cleveland
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
悔悛する聖ペトロ(聖ペトロの涙)
1645 クリーヴランド美術館-パリジャックマールアンドレ美術館企画展
イエスが最後の晩餐の夜に捕らえられた際、使徒ペテロは彼のことを知らないと三度否認した。
キリストはその裏切りを赦したがペテロは深い罪悪感にとらわれ続けた。
ラ・トゥールはこのペテロを、過去の行いを思い返し絶えず悔い改めの中に生きる老人として描いている。
ペテロの赤く縁取られた目と、ランタンの不確かな明かりは、不安に満ちた眠れぬ夜を思わせる。
抑えられた色調と簡潔な形の表現が、ペトロの沈痛な感情を視覚的に伝えている。
カラヴァッジョに影響を受けた他の画家たちとは異なり、ラ・トゥールはフランス北東部で比較的孤立した環境で活動しており、イタリアの巨匠との具体的な関係は今なお明らかではない。

参考 ミケランジェロ・メリジ・ダ・カラヴァッジョ(Caravaggio)
The Denial of Saint Peter「聖ペテロの否認」Metropolitan Museum of Art
⚠️【最初に掲載した画像とこの画像について】
メトロポリタン美術館公式画像は、背景が非常に暗く「ほぼ黒」の状態で掲載。これは作品が持つ“極端な明暗のコントラスト”という意図をそのまま反映して作品本来の照明意図、画家の演出を忠実に再現している可能性が高いようです。実際、「テネブリズム」という画面の大半を深い闇で覆い重要な部分だけを強く照らす技法をカラヴァッジョは使い、人物の表情や手の動きに観客の視線を集中させ、物語の“決定的瞬間”を劇的に見せたのです。
ウィキペディア等で見られる比較的明るく指などがよく見える画像(記事中最初に掲載)は、デジタル補整され実際の作品の“視覚体験”、画家の意図とは多少ずれている可能性があります。
お読みいただきありがとうございました。
この聖ペテロの表情、この一枚でどのように感じられたでしょう。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、ルーブル美術館にあるイカサマ師の絵が有名ですからご存知の方もいらっしゃると思います。
現在開催中の企画展は、作品数が限られた絵の中から希少性の高い30点(日本からも東京富士美術館の煙草を吸う男)を展示したフランス国内では久しぶりの回顧展。ろうそくやランタンの光、暗闇(夜)、陰影(キアロスクーロ)による劇的でありながら静謐な世界を紹介しています。またこの展覧会は、ラ・トゥールが単にCaravaggioの影響を受けた“模倣者”ではなく、リアリズム・自然主義・精神性を兼ね備えた独自の表現者であることを明らかにしたいという主催者のテーマがあります。
「ラ・トゥールが描いているのは闇ではない。彼が描くのは“夜”である。
大地に広がる夜―それは、長い時を経て鎮められた神秘のかたちである。
ラ・トゥールは、暗黒の中にある静謐の部分を唯一解する者である。」
アンドレ・マルロー『沈黙の声』1951
搬入ショート動画15秒
Télérama 企画展紹介ビデオ5分
