見出し画像

礼宮人形の情報が出揃う~赤門さんに届け~

 昨日の朝はカーテンを開けてビックリ、ベランダに雪が吹きだまってました。一日中、吹雪いたりやんだりの繰り返しの中、トドックさんが来てくれました。雪で閉じ込められてる方々は大変でしょう。ラブはもうあきらめの境地らしく、のんびりとしてます。

さて、先日の私の記事「ミテ子が抱く人形」は思わぬ反響がありました、
私の意図を理解してくださり、同じブロガーのAkikoHS様が、更に情報を
検証して下さり、私の誤解を訂正しブログにあげてくれました。

下の写真の6/21は21枚中6枚目の写真であることが判明しました。

ミテ子と礼宮人形

さらに、エトセトラジャパン様が追加情報を上げておられます。

詳しい内容は是非お読みになってくださいね。
真実がドンドン補強され、近づいて行くことに興奮しますよ。
正に文殊の知恵です。

共通して言えるのは、私が誤解していた6月ではなく3月であること、
人形であるが、天下の朝日新聞がタイトルに礼宮と入れてることです。

しかもエトセトラ様は、お召し列車に乗るための皇族専用ホームがあり
ファンは近づけないこと、車から降りた時には女官がすでに礼宮人形を抱いてると写真付きで紹介してます。

これは、人形を礼宮に見せたいミテ子の思惑があるでしょう。

でもそれだけではないらしい、別の思惑の情報が読者さんから寄せられました。

それは、礼宮人形は香淳皇后への当てつけ、というものです。

過去、香淳皇后がお子様を生んですぐに亡くし、悲しんで人形を抱いてたことを知ったミテ子が、当時の香淳さまの様子を再現しあてつけたのではないかという説です。

下に再掲回顧録から抜粋して載せます。

【◆赤ちゃん人形仕込み事件
▸1966年(昭和41年)3月1日「葉山のご静養」に行く際の写真(ナマズは前年の11月29日誕生)
>仕込み用人形を女官に持たせて、皇族専用原宿駅ホームから葉山御用邸へ向かう
◆香淳皇后へのイジメ
1928年(昭和3年)3月8日久宮裕子(さちこ)内親王(昭和天皇第二子)薨去
>香淳皇后は1927年(昭和2年)9月10日、次女・久宮裕子(さちこ)内親王を出産されました。
いちおう正副の乳人二人が待機していたのですが、香淳皇后はご自身でおっぱいをあげておられました。
翌年3月、久宮さまは敗血症(当時は治療法のない病気)で薨去。
香淳皇后は赤ちゃんの我が子の亡骸を抱いて離さないため、女官達は無理に(亡骸から離して)別室に連れ出したそうです。
>亡くなられた後、香淳皇后がさっちゃんの代わりにと、同じ重さのお人形をご所望され、抱いていたそうです。】

もえぎ様、ありがとうございます。

ここではっきりするのは、どんな思惑があったにしろ
表向きには礼宮とされたのは人形だった、というのはほぼ間違いがないこと。何故、表向き礼宮としなくてはならなかったか?
ここに礼宮の出自の秘密が隠されてるだろうという事です。

人形を使ってまで取り繕う必要があるという、大きな疑惑があること事態がDNA検査を求める立派な根拠になるという事でしょう。

ミテ子の胸の内に、香淳さまへの当てつけなどがあったかもしれません。
これは否定もできません。
もしそうなら、どこまで意地の悪い女だ、ということですね。

拙ブログに力を貸してくださり補強をしてくださった
AkikoHS様、エトセトラジャパン様、読者様に、この場から感謝申し上げます。どうかこれらの記事が、どうか赤門さんに届きますように。

今日はここまで

       今日も読んで頂きありがとうございます。❤️

いいなと思ったら応援しよう!