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1⃣ 一般参賀あれこれ~ 賢い女は嫌いな上皇~

  🎍 あけましておめでとうございます。

         本年も宜しくお願い致します。🎍


孫のお泊りやら色々ハプニングやアクシデントのあった年末年始、それらは追々書くとして、どっと疲れてしまいました。箱根駅伝も終わり私の正月もこれで終わり、日常モードに切り替わります。
ラブも初めて孫と生活してみて、そのちょっかいには参ったようで、お疲れモードで逃げていましたが、たまらず唸ったりしてましたよ。ラブからグイグイ行くのはいいのですが、構われるのは嫌いという猫のような犬ですから自分のペースを乱されると嫌なんですね。元旦夕からやっとホッとした様子でしたよ。

令和8年の皇室の幕開けも、色々話題がありましたねえ。
何から話そうかと思うほどですよ。

ボンが初めて正月宮中行事に臨むとあって興味深々で、報道もまた
そういう見出しも多かったようです。
箱根駅伝ではボンと同じ年齢の子も走ってましたが 
インタビューを見ていてもしっかりした受け答えと様子や顔つきから、
ボンはホントに19歳?と思いましたよ。
幼すぎませんか。中学生にしか見えません。

このボンを引き立てるための一般参賀の立ち位置変更だったろうと思いますが、その目論見を自分でぶち壊したミテ子様ですよ。
そのミテ子さんは明日に回すとして。今日は明仁上皇のお話です。

一般参賀の1回目、私はNHKの映像をまず見ましたよ。

天皇皇后両陛下が長和殿ベランダにお出ましになったお姿を拝見し、
ああ令和だなあ、と今までより令和を強く実感しましたよ。
令和の安定感が盤石のものとなった、という事なんだと思います。

皇后陛下の濃い水色のドレス姿は、澄んだ青空の皇居上空ともマッチしていてとても素敵でした。それよりなにより
皇后陛下の表情は年々、晴れやかになっていってると感じ嬉しかったですよ。

敬宮様はアイスブルーのドレス姿で、爽やかさが伝わるドレスでしたね。
お出ましの順番や立ち位置には言いたいこともあるけれども、
敬宮様はそうした思いも吹き飛ばすほど、上皇ご夫妻に礼を尽くしておいででした。

両陛下にお気遣いされながら上皇夫妻が長和殿にお出ましされましたが。
一回目ではミテ子さんは上皇につかまらず歩いてて、オヤまあ、と思いました。
矢張り疑惑の大腿骨骨折でしたね。下がられる時こそ上皇の肘をつかんでましたが、お出まし中は自力できちんと立ち向きも変えられてましたよ。

さてその一回目、
上皇ご夫妻に立ち止まってお辞儀をされ後ろを通られる
敬宮様を見る上皇の、何と冷たい顔だったでしょうか。
あれが孫に向ける表情でしょうか?
「ゆくゆくは愛子に天皇になってほしい」と言ったとされる方の表情でしょうか?

これは有料記事にためタイトルだけご覧になってください。
記事を書いてるのは高森明勅氏です。

下の画像は、NHKの映像のSCです。

NHK一般参賀1回目 お辞儀を終えて後ろを通られる敬宮様 完全無視の上皇
敬宮様の姿に送った上皇の視線
長和殿前の国民に向き直った上皇の笑み

私は上皇には、学歴コンプレックスの他に女性蔑視があると思っています。それが雅子皇后に冷たかった伏線で、
学歴コンプレックスを巧みに刺激し操ったのが上皇后だったと、
そして上皇を、雅子皇后を虐める共犯者にすることで、
誰にも注意が出来ないという鉄壁の状況を作り上げたと思っています。

上皇は、実は学習院大学に行きましたが卒業はしておらず高卒です。
エリザベス女王の戴冠式に出席のため、大学卒業を諦めて英国他欧州などの訪問で帝王教育を優先したという説もあります。
昭和天皇が大学卒業の肩書にあまりこだわらなかったともいわれています。

また、上皇は幼少時、小学・中学時代には戦争の最中、軍国主義一色の中で軍人が扶育官についていたという環境下で育ってもいます。
軍国主義の中にあっては女性の地位は低く、
女は産み育てるものとしてしか見られてない時代でもあります。

昭和時代の天皇家には、
長子であり第一皇女とし照宮茂子内親王がいらっしゃり、
明仁上皇とは8歳上の姉という方です。
成子内親王は聡明で天皇の器と言われた方で、女であることを惜しんだと言います。
明仁上皇は、おそらくこの姉と何かにつけて比較されて育ってきただろうと、特に軍人の扶育官は将来の天皇明仁さんを奮起させるために、
成子内親王に負けてはならないと日常的に意識したり話題にしたりしたのではないか、と私は思ってるわけです。
上皇は賢い女は嫌い、と私が思う根拠です。

そしてまさに雅子皇后や敬宮様の聡明さは、
明仁上皇には決して面白いことではなく、
上皇后の意地悪さを見ても黙認しながら一方では、
内心でその鬱屈した気持ちを晴らしているのではなかったか、
と疑ってもいるのです。

あの一般参賀の折に、後ろを通られる敬宮様に向けた冷たいまなざしを
私は忘れることができません。

1925年12月6日生まれ、1961年7月23日没、の成子内親王(降嫁し東久邇茂子様)は、今年生誕100年にあたるそうです。

この方にまつわる話はたくさんあり、どれも興味深いものです。
私たちが知ってるのは亡くなって悲嘆にくれてる香淳皇后に、静養先まで追いかけてミテ子が文句を言いに行ったとか、
49日前に軽井沢に当時の皇太子ご一家が遊びに行った話ですが。
成子内親王ご自身の逸話は、
なるほど天皇の器、と言われるだけはあると思うものばかりです。

これも有料記事ですから、ご興味があればウイキなどで調べて読まれたらいいと思います。

今日はここまで

      今日も読んで頂きありがとうございます。❤️

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