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ルイス唐揚げ配膳

ルイスは駅前二階の居酒屋で、
四百円の唐揚げを運ぶ夜を重ねている。

夜のフロアは、四百円の唐揚げの湯気で曇っている。
床には焼酎の輪が乾き、
テーブルには油の島が残る。

ルイスは胸の名札を、
週末ごとに世界のどこかで走っているつもりの顔で、
揚げ場と客席のあいだに運ぶ。

香水のきつい女の客が、
グラスを持つ手首の内側に、
きついにおいとは別の、安っぽい日焼け跡を残している。
唐揚げの皿を置いた瞬間、その手が名札を指でなぞり、
「ルイスさん」と呼ぶ。
心の中でつけていた「成金香水おばさん」という呼び名が、
喉の奥で小さく軋む。

隣の席では、スーツの男が、
揚げた肉の煙が背広に染みるとこぼしている。
反対側の席では、
唐揚げのにおいが服に移ると顔をしかめる客がいる。
注文のベルが鳴るたびに、
同じ皿が、別の不満の呼び名でテーブルを回る。

休憩室では、冷めた唐揚げが山になり、
缶コーヒーと紙コップがそのふもとに転がる。
「この店さ、においの動物園だよな」
「揚げ場の檻。香水の檻。柔軟剤の檻」
ルイスも「動物園っすね」と笑う。
自分の名札も、その檻の札だとは思わない顔で。

「さっきの成金香水おばさん、部屋ごと買ったみたいな匂いでさ。
こっちの揚げ油まで借金みたいに見えたわ」
誰かがそう言い、
ルイスも、その笑いに自分の声を足した。
檻の内側から話しているつもりで。

新人が「クレーム来たらどうするんすか」と聞く。
「簡単っすよ」
ルイスは、いつもの冗談みたいな顔で言う。
「こういうの全部、キッチンで新人が一回落としたって話にすんの。
新人くんが落として、店が頭下げて、『良い店だな』と思わせれば、
唐揚げの伝票を増やしてもわからないから」

ことばの中で落とされた皿の話が、
そのままクレームの電話口まで運ばれていく光景を、
ルイスは想像している。

団地の台所で、
母が黙って唐揚げを揚げていた夜を思い出す。
冷凍の安い肉が油に沈み、
四百円もかからない夕飯の音が続いた。
ルイスにかかる教育費と理想の罵声が両親のあいだで一巡したあと、
油のはねる音ばかりが残った。

「普通の人って、こういうにおいを誰かに押しつけて歳取るんすよね」
ルイスが、わざと偉そうに言う。
自分もその列の端に立っているのを、
言い切ったあとで思い出す。
母の台所も、このフロアも、
同じ油の重さで自分の服を引っ張っている。

閉店間際、店の前の路地には、
吐き気をこらえた笑い声が細くこぼれている。
タイムカードの前で、ルイスは列の先頭に立つ。
押し跡が一つ増えるたび、
逃げ足の本数も増えていく。

エレベーターの箱は、朝がいちばん匂う。
揚げ物と香水と柔軟剤が混ざり、
口を閉じたまま出される夕飯みたいに空気を埋めている。
団地の台所で冷めていった唐揚げのにおいと、
箱の中の空気が、少しずつ同じ重さに寄っていく。

壁の注意書きの紙の角は、
ルイスが押しつけた脂で汚れ、
フロアの油の島と同じ色で染みていく。
「強い香りのご使用はお控えください」
「料理のにおいが残ることがあります」
印刷された文字が、丸くなった角のほうへ沈んでいく。

タイムカードを押す音が、
今日も一歩分、列を進める。
速そうな名前を胸にぶら下げたまま、
ルイスはその音を合図にエレベーターへ向かう。
箱の中で、自分の名札を指先で一度なぞり、
昨日の悪口を喉の奥にしまう。


解説ポエム


駅前二階の安い居酒屋で、ルイスは四百円の唐揚げを運ぶ夜を積み重ねている。皿ごと客の不満を運び、香水のきつい客を心の中で成金香水おばさんと呼び、裏では笑いながら流儀を新人に教える。失敗をことばの中で新人に落とさせ、店が頭を下げて、伝票が増える仕組みをうまく回す。その手際の良さは、客の匂いを笑いものにしながら、自分の汗や油の重さを見ない技にもなっている。

ルイスの頭のどこかには、団地の台所で母が黙って唐揚げを揚げていた夜が残っている。教育費と理想の罵声が両親のあいだで行き来したあと、音を立てて跳ねていたのは安い油だった。今の揚げ場とあの台所が、同じ値段の肉と匂いでつながっていることに、ルイスは薄く気づいている。

朝のエレベーターの箱には、揚げ物と香水と柔軟剤が重なった空気が詰まる。壁の注意書きは、ルイスの脂で角から丸く汚れ、強い香りを控えるように印刷された文字がゆっくり沈んでいく。匂いを出す側と迷惑を受ける側が、そこで混ざっている。

クレームを新人の皿に乗せ直し、悪口を喉の奥にしまい、タイムカードを押していちばんに逃げる。そのたびに、逃げた分の足跡が増える。人はどこまで、匂いと責任を他人に押しつけながら生きていけるのか。ルイスが胸の名札をなぞる癖は、その問いに触れそうになって、そっと手を離す合図にも見える。

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