仕事についての個人的意見🖋️
私たち人間は何のために生まれたのだろうという問いの答えに、『仕事をするためだ』と言う人は多いと思います。
仮に、1ヶ月全ての人間が仕事を休んだら、スーパーやコンビニに品物がなくなって食べる物や生活必需品が手に入らなくなり、大変な騒ぎになることでしょう。
古代から絶えず働きながら命を次世代につないできたのが、人間社会です。
日本でも、縄文期の後期(3000年前)くらいから中国から稲作の技術が九州北部に伝わって全国に広まったとされています。
それまでは、狩猟、採集によりその日に食べる物を取ってきて消費する生活をしていたため、食料の保存という観念はありませんでした。
しかし、稲作の始まりと共に、流通経済が始まり、『富の概念』が発生しました。
米は長期保存できたため、衣類や家屋、農機具などとの交換ができるお金としてみなされるようになりました。
私たち現代人が抱く『仕事の観念』を縄文人は、すでに持っていたということです。
私たちは、平和な時代になってから、少しでも生活をラクにするために、毎日働いていますが、縄文人が考えていたのは、衣食住を安定させるためだったと思います。
ひとたび天災が起こると、米や野菜の収穫量は一気に減って、餓死者が続出します。
現代の先進国諸国が、食べ物に困らないのは、食料の保存の技術と日々の労働によって安定的に生産しているためです。
食料の冷凍保存などは、技術の最たるものです。それも電気の発明がなければ実現しませんでした。
18世紀の半ばから始まったイギリスの産業革命により、暮らしが豊かになり人口も増えはじめました。
人口が増えるということは、時代の旋回スピードが上がるということです。
日本でも、江戸時代までは鎌倉時代とさほど変わらない街並みでした。技術革新も幕末に海外から多岐にわたる技術が入るまでは、変化はありませんでした。
人口が幕末、明治で一気に増えたことで、考える頭脳が増えたのです。
江戸時代までの封建社会では、いくら考える頭脳があっても、国そのものが考えることを許しませんでした。
農民に生まれれば死ぬまで農民。武士の家に生まれても、その身分に甘んじて、出世することを望まなければ、当然、向上心はわきません。結果、考える頭脳の絶対数は少なかったはずです。
江戸時代初期の人口が1200万人。
現代の日本の人口が1億2600万人。
単に、10倍の人口になったわけではありません。資本主義社会によって、学校教育も充実した上での10倍だから、頭脳の質的には100倍以上の力を得たことになるのではないでしょうか。
単純に考えて、10人で家を造るのと、100人で家を造るのとでは、10分の1の時間ですみます。
人口が増えるということは、仕事が早くなるというメリットがあるため、世界でも人口が増加してきました。
しかし、メリットがあるということは同時にデメリットも存在するのも世の常です。
私が小学生の頃、世界人口は44億人と言っていました。現代は82億人です。
わずか40年で2倍の人口になったわけです。あと、30年で、さらに倍の人口の160億となったと仮定したら、様々な弊害が懸念されます。主なものとして、食料不足とエネルギー不足です。
いくら空腹だからといって、キャパ以上に食べれないように、物事には適量があるようです。
今が、地球環境や人類を維持する限界の人口に達しているように思います。
仕事をするのが人類の目的だと思われているのは、それぞれが他者の役に立つことで、対価を得て生活することを古代より秩序として構築したためです。
何故、そうなったかは、1つの家庭で、米を作ったり、野菜を作ったり、魚を釣ったり、服を作ったり、家を建てるには、時間的な限界を初期人類は知ったからです。
人間の生きる時間は有限であり、他者の協力なしには生きれないことを知っていました。
だから、『分業』という概念ができて、あらゆる仕事が生まれたのです。
また、仕事が生活をするための必要な活動であると共に、暇や退屈をしのぐためにしているという側面もあるようです。
初期人類がしていた活動と言えば、その日に食べる物を採ってきて空腹をしのげれば、それだけでよかったのです。
しかし、稲作で共同作業をする中で、富の概念を知ったり、資本主義の観念を抱くようになったはずです。
人間というのは、とかく平等を好むものです。
自分と他者を比較しながら、自分の性格や能力を知ろうとします。
現代でも、同じ作業をしていて、自分よりも作業が遅い人と、同じ賃金では平等性を感じることはできないし、頑張るモチベーションは上がりません。
能力の定義は、同じことを他者よりわずかな時間でできることです。
そのため、現代の製造業や営業職、運送業などでは、歩合制が取り入れられています。
仕事が早い人がより対価をもらえる仕組みこそ、『平等の概念』であるし、資本主義の概念だと思います。
ロシア革命によって、共産主義というイデオロギーが流行しましたが、これは、共産主義を隠れ蓑にした独裁主義だったので、ソ連は崩壊しました。
やってもやらなくても、みんな給料が同じでは、誰も一生懸命働きません。たくさん働いているのに、そうでない人と給料が同じであるという現実こそ、不平等の象徴です。
そのため、戦後、2つに別れたドイツと朝鮮は明らかな経済格差となりました。西側陣営の西ドイツと韓国。
東側陣営の東ドイツと北朝鮮。
ドイツは東西冷戦が終わって統合しましたが、東ドイツを組み入れたことで、経済成長率は一気に下がりました。
朝鮮に至っては、韓国が先進国であるのに対して、北朝鮮は独裁国家であるため、貧富の差ははげしいものです。
みんなが、やりがいのある仕事につけて、頑張った分だけ対価をもらえる仕組みこそ、資本主義、民主主義の象徴です。
仕事をするのが、人類の目的であるけれども、仕事を自由にできる国家体制でなくては、面白くありません。
縄文時代の狩猟、採集による食料の確保にも、他者より多く獲物を獲得できる人が、もてはやされたはずです。
現代も、やり方は違うにしろ、他者より多く給料が高い人が、『勝ち組』として、社会での優越権があります。
数千年、数万年経過しても、生きる糧としての仕事は、人類を興奮させるし、限られた人生に、暇や退屈、孤独を感じさせることのない、古代から発明された共同事業だと思います。
#創作大賞2025 #エッセイ部門
