希望のない時代をどう生きるか(小説)
長いものでこの会社に勤めて25年が経過していた。30歳で入社したから現在55歳だ。後5年経てば退職金をもらって悠々自適に生活することをイメージしていたが、到底そうはいかない。
住宅ローン、カーローン、家電ローン、教育ローンなどローン地獄だ。
便利な世の中になって物質的な豊かさは得た反面、未来に対する不安はいっそう強くなったと言える。
昔はお金を貯めてからでなくては、物を買えなかった。労せずに物が手に入れられる自由は手にしたから、そのしわ寄せが未来に待っていることは、当然の仕組みと言えるだろう。
私が長距離トラック運転手になった時期は、まだかろうじて稼げる時代だった。バブル崩壊から10年は経過していたが、一般サラリーマンよりはまだ稼げていた。
月給で50万前後は平均的にもらっていた。ところが、1年経過するごとに毎年月給も1万ずつ安くなり10年で月給も10万安くなって、年収はボーナスも下がったこともマイナス加算され、150万も下がった。
特殊な技能を身につけていないため、他業種への転職はできないし、したところで、55歳にもなったおっさんを雇ってくれる会社などないだろう。
この先、何を希望にして生きたらいいのだろうか、という問いが常に頭から離れなかったが、自分だけではないことがかろうじて納得する材料だった。
年収は600万はあったので、平均年収430万よりは多くもらっていたからだ。それよりも安い給料の人も大勢いるはずだ。
私の家の家計は火の車だ。それよりも低い年収の人は、いったいどんな生活をしているのだろう、というのも気になっていた。
上を見ればキリがないが、下には限界がある。最低限の収入がないと生きていけないからだ。自分より下の年収の人にしか優越感に浸れないのもみじめなものだ。
妻の美姫は、こんな状況を打開すべくあくせくアルバイトをしていた。タイミーも活用しているから、空き時間もほとんど労働時間に当てていた。
『ね~、いつになったら私たちお金に困らない生活ができるんだろうね』
と言う小言も耳が痛くなった。数千回は確実に聞いているだろう。
先日も、美姫の不景気話を聞かされた。近所で同年代夫婦、上川さん宅の話だ。
上川さんの旦那さんと私は同い年で、団塊ジュニア世代だ。妻同士も1つ年下で同じく団塊ジュニアである。
妻らは、子供会の会合などで度々共同作業をすることがあったため、必然的に仲良くなった。
『上川さんの家は、隣に奥さんの実家があるから、旦那さんが正社員でなくてもやっていけるんやろうね』と美姫は羨ましそうに言った。
聞くところによると、旦那さんは、フリーター生活を20年続けているという。警備員やコンビニのアルバイトを掛け持ちしているそうだ。
私の友人もそうだが、みんな夫婦いずれかの実家の横か、すぐ近くに家を建てている。これには当然、意味がある。
年収が少ないし上がる見込みがないことを鑑みて、生活費の援助を親に頼ろうという算段だ。
ウチも例外ではない。親のすぐ近くではないが、隣町に住んでいる。車で20分でお互いの実家に行ける。
お金が足りない月は、美姫が実家に行って返さなくてもいい融資の相談をしている。
それくらい、どの家庭も貰っている給料でやりくりができていないのだ。
私も最初は、義父や義母に罪悪感を持っていた。が、もらいに行くのは美姫だし、回数が増えると、気にしたところで、現状を打開するだけの甲斐性もない。
上川さんの家は、隣が実家だから食費がかからないから羨ましいというのが、美姫が嫉妬する要因だ。それに、3年ごとに車を新車に買い変えることも羨ましがっていた。
上川さんの両親は市役所の職員だったらしく、貯金がたくさんあるから相当援助してもらっているのだろう、とも美姫はいつも言っている。
こんな下世話な話を聞かされると、憂鬱な気分しかならない。
しかし、私の友人で親と同居している人や隣に家を建てている人で、親の援助を話す人は1人もいない。私も、話したことがない。
その理由は、簡単に推察できる。いい大人が、年老いた両親の助けを借りて生きているということは、『大人になって、子供もいるのに親に援助なしでは生きられない半人前の人間』と思われたくないからだ。
私も毎月というわけではないが、支払いが多い月に、美姫がブツブツ言いながら、重い足取りで、借金の無心にいく。
美姫はお義父さんから、『お前たちは、最近、ぜいたくをしすぎてるんじゃないか』と小言を言われるらしく、その腹いせに私にあたる。
『私がお金を借りにいかなくていいくらい稼げないの?』と何度も言われたフレーズでまくしたててくる。
『労働時間に制限があるから、これ以上無理だって』という返答で、この建設的でない会話を無理矢理終わらせる日常にもうんざりしてきた。
団塊の世代に生まれた私たちの両親は、若い時は、未来に希望を持って生きていたと知っている。
両親たちから直接聞いたわけではない。
『団塊の世代』という言葉を発明した作家の堺屋太一氏の同名の小説を読んで知っていた。
私の父も呉服店を経営していて、私が子供の頃は羽振りがよかった。私が中学にあがるまでに車を5回も買い変えていた。2年に1度のペースだ。
私の家だけが例外ではない。サラリーマンも、給料は安定していたし、ボーナスも月の給料の3倍など、日本全体が未来に希望を持てる時代だったと言えるだろう。
それにひきかえ、今の日本の体たらくは、一体全体どういう事態なのだ。
GDPは中国に抜かれ、ドイツに抜かれ、もうすぐインドにも抜かれて、世界第4位に転落する。
高度経済成長期を支えた団塊の世代の人たちの労働時間が半端ではなかったことも知っている。
しかし、やればやるだけ対価がもらえるというのはモチベーションは上がるに違いない。
物価が上がっているから、当然、消費者の財布の紐は絞られる。
長距離運転手をしていたら、経済の動向を肌で感じることができる。特に高速道路でのトラックの台数が以前より明らかに少ないこと。それに付け加えて、3連休が待っている週は、以前までは、一週間ずっと爆発的に物量が増えていた。
ところが、昨今の連休前はいつもと変わらない物量だ。
明らかに人が動いていない証拠だ。人が動けば、当然、物が売れる。物が売れれば、小売店は在庫を補充するために発注する。
すると、運送業が運ぶ物量が増えるという簡単な仕組みだ。
夜の暗闇の中で、対向車から目に入る一筋の光の数々が、希望の光と感じていたが、その光も連続性が失くなり、不規則にポツンポツンとしか見れないことにも、寂しさを感じとっていた。
団塊の世代の父と母は、若い頃はよく旅行に連れていってくれた。海外にこそ行かなかったが、日本中の遊園地や温泉によく行った。
団塊ジュニアの私は、2人の子供たちを1度しか旅行に連れて行っていない。しかも、コロナに家族全員がかかって、入ってきた保険金が財源の沖縄旅行だけだ。
自分で稼いだお金で、旅行すらいけない。
美姫はマイホームを守るために、パート三昧の日々で疲弊している。その上、子供たちの教育にも真剣に考えている。
唯一の希望が、子供らの成長と言わんばかりに、佑斗を大学院に行かせ、妹の千夏を進学校の高校に通わせている。
こんな卑屈なことばかり考えていると、着信があった。スマホに山本想太と表示されている。
電話に出るかどうか迷ったが、とりあえず着信画面をタップした。
『やっと電話つながった。坂本くん、最近忙しい?時間あったら飯でも食いに行こうか。今日は土曜日やけん、仕事休みやろ?』と一気にまくしたてられた。
一瞬、迷ったが山本さんの勢いのある声に、圧倒され『いいですよ。どこに食べにいきましょうか?』と言うと、
『金もないけん、ファミレスにしとこうか。久しぶりにゆっくりと話もしたいけん』と山本さんも羽振りが悪そうなことを言った。
山本さんとは、私の勤める会社に以前いて、先輩の運転手だった。彼が会社を辞めても月に1度のペースで会っていた。
今は違う会社で長距離運転手をしている。が、1つ違うことがある。彼はキャリアアップした。大型牽引免許を取り、トレーラーで長距離を走っている。
年も3つ上で、運送業としての経験も私より10年長いので、頼りにしていた。道に迷った時などに、山本さんに電話をすると、最短ルートを分かりやすい説明で教えてくれる。20歳から長距離運転手で日本中走り回っているから、頭の中に地図が完全に入っており、ナビで検索するより正確だし、時間帯によっては通らない方がいい道などを逐一教えてくれる。
一番助かるのは、大型トラックがスムーズに走れる道路を教えてくれることだ。
大型トラックに乗っていると、間違えて狭い道路に入りこみ、『大型通行不可』の看板を目にすることがある。
こうなると最悪である。自分の後ろを走っている車に何台にも頭を下げて、
『道を間違えて通れませんでした。申し訳けありません。バックしてもらってもいいですか?』と言うと、怒った顔でしぶしぶバックしてもらったこともあった。
だから、夜に走っていてイレギュラーが発生した時に一番頼りにしているのが彼だった。
ここ最近、気分的に乗らなかったから、彼の誘いも断っていたが、何か面白い話でも聞けるかもしれないという期待が、彼と合うことを決断させた。
ファミレスに入るのも久しぶりだ。ここ1年外食もしていない。
土曜日の昼、駐車場はかなり空いていた。車を止めようとしたら、山本さんのアルファードが止まっているのが見えた。どうやら、先に来ているらしい。
ドアを開けると、ピンポーンという音とともに、『いらっしゃいませ』という若い女性の声が聞こえた。すると、一番奥の角から山本さんの手を振る姿が見えた。
久しぶりだけあって、はりきって早く来たのだろう。約束の11時30分より10分早い。いつも、待たされる立場なので、逆になるのは、妙な感じがした。
『坂本くんが遅くくるのは初めてやね。最近、調子が悪いんやろ?』
『慢性の金欠病で、首は回らんし身動きが取れんとですよ』と真面目な顔で言うと、大爆笑しだした。
『笑いごとじゃないですよ。マジで借金まみれなんですから』と少しふてくされて言った。
『まぁ、今日は奢るから、好きな物を何でも頼んでいいよ。』と言いながら、スープバーのカップをとり、コーンスープをついでいた。
『坂本くんはギャンブルもしないし、酒も飲まないのに、そんなに借金があるということは、単純に考えて、もらっている給料以上に支出が多いということやね。まぁ、久しぶりにあったばかりで、いきなり暗い話は辞めようか。それよりも、建設的な話をしようか。
以前も、坂本くんは、最近、家を建てている人は、どちらかの両親の家の横や近くに建てている人が多いって言ってたよね。俺も、その意見には賛成してるよ。
金に困った時の保険のように、親に頼っているよね』
山本さんは、奥さんが島根県出身だから遠いし、山本さんの両親は彼が学生の頃に離婚しているらしい。お父さんとは、家を出ていってから1度も会ったことがないらしい。お母さんは、福岡にはいるものの、年に1度しか会っていないと聞いたことがある。
この物価高で、給料も上がらない中、彼から『お金がない』という言葉を聞いたことがないし、それどころか一緒にご飯に行くと、いつもご馳走になっている。
また、彼は車によくお金をかけていて、私が知っているだけでも、10年で3回は買いかえている。
『山本さんがお金に困っているということを聞いたことがないけど、かなり倹約されているんですか?』
『まぁ、ウチは子供が1人だし、車以外にはお金をかけてないかもね。特に趣味にお金をかけることもないし、食べる物も特に外食で美味しい物を食べようとも思わないから、食費も抑えてるかもね。
自分が使いたいところにお金を使ってれば、それでいいんじゃない』
『なるほどですね』と言いつつ、うちの家計をイメージしていた。今、もらっている給料で、どんなにきりつめても、毎月5万ほど赤字である。美姫がお義母さんに借金の無心に行かないですむようにもっていきたいが、物価高も追い討ちをかけて、なかなか思うような収支にはならない。
『今の日本は生活がしにくいですね。お金が足らないから稼ごうと思っても、労働時間に規制がかかって働かせてくれない。足らない分を補うために夫婦共働きに必然的になるけど、『103万円の壁』があって、それ以上働くと扶養から外れないといけないでしょう』
『坂本くんたち夫婦は、まだ自分に甘えていると思うよ。耳が痛い話かもしれんけど、お金が足りないなら、節約するか、稼ぐかのどちらかしかないよ。節約するのが無理と思うなら、休みを返上して、タイミーなども活用して働くしかないよ。それでも足りないなら、両親が頼れるなら頼ってもいいと思うよ。俺には頼れる親がいないから自分でなんとかしているだけやけど、坂本くんには頼れる親がいるんやろ?』
この年にまでなって親に頼るしか方法がないことに、情けないやら、恥ずかしいやらの感情がわき上がるが、そんな常識は、戦後、奇跡的な復興をなしとげてきた昭和初期生まれの人たちが築いたことではないか。
私たちの親(団塊の世代)も、高度経済成長の中で、やればやっただけ稼ぐことができた。今は安定した公務員が人気が高いが、その世代は『給料が安い公務員にはなりたくない』と言ってたそうだ。
現代のインドのように、若い労働人口が多かったから、日本全体が質の高い労働で、物を生産できていたのだろう。
高齢化社会になり、私が働いている会社でさえ、定年退職して再雇用された嘱託職員であふれている。65歳をすぎると、私の会社ではトラックに乗せないから、ターミナル内でのピッキング作業をしている。
運送会社というのは、運転手が外貨を稼いでこないと赤字である。社内でたくさんの作業員がいても、金は入ることなく出ていくだけだ。
『そう言えば、サガラ運輸も前からいる人間が減ったんじゃない』と私の頭の中を覗いたことを彼が言ったので驚いた。
『辞める人間は増えるのに、入ってくる人間はいないから大変ですよ。いくら大手でも、給料は安いし、社内規則は厳しいから、面白くないですよ』
すると、山本さんはニッコリ笑って、
『ウチの会社に来たらいいやん』と言った。
私には1つのこだわりがあったのは確かだ。1つの会社に長く勤めること。今の会社に入るまでに、10社ほど転職した。両親からも、『石の上にも三年』ということわざをよく聞かされていた。
私の親たちの世代は、『終身雇用』の空気に包まれていた。誰もが日本という国の没落など疑いもしなかったからだ。
しかし、現実として高齢化社会は数十年前に予想されていたにも関わらず、何の対策もとられないまま訪れた。
何か現実的に起こってからしか動かない後手後手に動いているのも人間の特徴だ。常に問題は予想していても先送りにされる。
終身雇用という観念も、その時代に生きた人たちの、未来の予測が欠けた観念だったと言えるだろう。
日本人が伝統を重んじる民族というのも、子々孫々と受けつがれる縦社会的な風潮が浸透しているためだろう。
親の言うことに固定観念を抱かせられ、『こだわり』として、1つの哲学として定着させられる。
しかし、哲学の本来の目的は『疑うこと』だ。
時代は常に変化している。彼の、
『ウチに来たらいいやん』という単純な誘い文句で、様々な思案が巡らせられていた。
なんか、肩に乗っかっていた重い荷物が、急にすべり落ちたようで、急にお腹が空いてきた。
サラダバー、スープバー、ドリンクバーを注文して、ステーキと、ご飯の大盛りを注文した。
急に元気になって注文しだした私に、
『いくらおごりと言っても、少しは遠慮せないかんばい』と慌てて言った。
『まぁ、本当にウチの会社に来てくれるなら、俺も、紹介量3万円もらえるから、儲かるからいいけど』と上機嫌だった。
おごりのステーキは美味しかった。久しぶりに外食に来たこともあるが、気分的に盛り上がっている時は、格別だ。
ここ数年、日本経済の落ち込みと平行して、私自身も経済的な余裕がなく、心も余裕がなくなりイライラすることが多かった。
山本さんの生き方が羨ましく思えることもあった。彼は、居心地の悪い場所からはすぐに撤退する。新天地を求めて動くユダヤ人のようだ。
しかし、誰もが安定した場所に定住したいという願望はある。何故なら、その方が安定した未来を想像しやすいからだ。
でも、それに甘んじていたら鳥かごの中の鳥と同じだ。人間が与えるエサを食べ続けた鳥が、突然、自然にかえされたら、エサの捕り方を学習していない鳥はたちまち死んでしまうと言う。
私はその鳥かごの中の鳥と同じ状況にいるかもしれない。大きな会社にいれば、つぶれる心配がないから、そのぬるま湯にドップリ浸かって抜け出せなくなりそうだ。
今の生活が壊れるかもしれないという恐怖も、会社を辞めることをとどまらせていた。
しかし、終身雇用の風潮が崩れつつある今、これまでの価値観は通用しなくなる。
これからの未来は予測不能だ。時にはモンゴル民族のような流動生活も必要かもしれない。
未来は自分の力でしか切り開けない。だが、1人ではなかなか飛べないものだ。一緒に大空を飛んでくれる友がいれば、百人力だ。
もっとも、私たちが飛ぶのは真夜中の高速道路だが。
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