体罰厳禁が心を弱くした!?
昭和生まれの方は当然のごとく、家庭や学校で体罰を受けていたと思います。
父親からの暴力は当たり前で、学校の先生からもよく殴られていた光景を思い出す人も少なくないと思います。
現代で体罰に肯定的な意見を言うことは、批判されると思いますが、今回の記事では、体罰が全面的に悪かったという意見に対して、批判的なことを書いていこうと思います。
私ははっきり言って、体罰擁護派です。
とはいえ、全面的に良いと言ってるのではありません。
『愛のムチ』ならかまわないと言ってるのです。しかしながら、どこまでが愛のムチか、感情的な体罰なのかという線引きが難しいから、全面的な禁止になっている実態があります。
はっきり言って、言葉で言ってわからない子供を説得しても、理解しないのだから無意味です。
人間が行動を起こすのは、利益と恐怖をイメージした時です。
会社で働くのは生活するための金を得るためです。また、それを継続するためには、決められた業務をこなさなければ、解雇されるという恐怖や怒られないためにはどうすればいいかという事を考える必要があります。
昭和生まれの世代の方なら、学校で先生に殴られないようにするには、どうすればいいかをよく考えたと思います。
宿題をわすれた時、授業中に私語をした時、遅刻をした時など、本気の平手でビンタをされていたと思います。
私は高校の時、授業中にあくびをしただけで、『おまえ、なめてんのか』と言われて、髪が抜けるほどひっぱられて、グーパンチをされたことがあります。
寝ていた生徒は、グーパンチが5、6発入った上で、足蹴りが3発追加でした。
現代の暴力禁止の秩序からしたら、全く理解不能かもしれませんが、先生たちも暴力をふるっても、何のおとがめ無しなので、その時に機嫌が悪いという理由で、個人の感情で暴力をふるっている先生もいたと思います。
人間は恐怖を感じれば考えます。20世紀以降、急速に科学が発達したのは戦争と深い因果関係があります。殺されたくないと思えば、知恵をふりしぼります。というより、本気で物事を考えるようになります。それは生きたいという利益のためです。
恐怖も利益と同質の行動理由になるということです。
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