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希望という言葉を信じるのなら

 仕事帰り、駅前の幅の狭い道路で横断歩道を渡ろうとしている90歳くらいのおばあちゃんがかわいらしかった。

 口をモグモグさせて、しわくちゃな顔だけど、目がキリッとして、その目の奥に何か動物的な“鋭利な感じ”をたたえていた。
 いかにも老人風の焦げ茶色の服装で、腰は折れ、小柄で外見にこれといった特徴はないが、浅黒い顔に老齢の崩れたようなれた感じはまったくなかった。

 『渡るタイミングをはかりながら、小さく首を振り、通り過ぎる車をただ目で追っている』それだけだが、少し肌寒い雨上がりの夕刻にとても絵になる光景だった。

 コロナウィルスが蔓延し世界的な関心事となり、懸念され行動制限されていたとき大気汚染が減少した。人間の活動が鈍り化石燃料の消費が激減したのが要因だった。
 新鮮な空気が世界の都市に溢れ、鳥のさえずりが街に戻ったことをニュースで知った。他にもスペインの車道で猪が植え込みを掘りかえしたとか、ベネツィアでは濁った水路の水が澄み魚の遊泳が見られたとか。

 大雨や台風、猛暑など異常気象が頻繁なのは変わらない。天災は忘れた頃ではなく、忘れないうちにやって来る。コロナ禍では沈静化していた経済活動も、今はリーマンショック後以上に活発になっている。

 コロナ禍でもイスラエルを中心とする戦争やロシアの軍事進行はありえたのだろうか。
 ウィルスの脅威に晒され、おおいに自然を畏怖し、生命の危機に対し無力とストレスを感じていた時、人間は現在のような「正義」を声高こわだかに叫ぶだろうか。たしかにコロナ禍でもゆがんだ正義やストレスによる社会問題は頻発していたのだがどうだろうか。

 社会はどんな時も貧困と無縁ではなく、貨幣が生命の価値を牛耳る前から人間の“苦しみ”が尽きることはなかったろう。しかしあのおばあちゃんの否定し難い“かわいらしさ”は、人間はこういう生き物なんだよと『なにか』を語るようであり、もし「希望」という言葉があると信じるなら、人間は住み良い空気を守る程度には行動を抑制する努力をしてもいいのではないかと思わせるのだった。

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