ストーリーの空気はどこから腐るか。ゼンゼロ開発に、今すぐやってほしいこと
頭の回転が速そうなキャラが、愚行を犯す。
これほど物語への信頼を一瞬で失わせる出来事はない。
「賢い」という印象は、積み重ねで作られる。
台詞の切れ味、状況判断の速さ、他者への目配り。脚本はそれらを丁寧に積んで、「このキャラは頭が良い」という空気を作る。読み手はその空気を吸って、キャラクターへの信頼を育てる。
そのキャラが、突然、理知的判断が一かけらもない行動を取る。
読み手の頭の中で何かが弾ける。
なぜこれが起きるか。
答えは単純だ。脚本家がキャラクターではなく、プロットを動かしているからだ。
「この場面でZにこの行動を取らせなければ、次の展開に繋がらない。」——そう判断した瞬間、キャラクターの内側から行動が生まれることをやめる。プロットの要請に従って、キャラクターが操り人形になる。
操り人形は、賢くなれない。どれだけ台詞が巧みでも、行動がプロットの都合で決まっている限り、そのキャラクターの「頭の良さ」はハリボテだ。読み手は、それを感じる。言語化はできなくても、感じる。
物語の構造を、言語化しないまま空気として吸う人々がいる。
「面白い」「つまらない」と言語化できる人間は、実は多くない。批評を書く人、感想をSNSに投稿する人、考察記事を読む人——これらは全員、言語化できる層だ。
最大多数は違う。
彼らは物語を、空気として吸っている。良い空気の中では自然に呼吸ができる。不快な空気の中では、理由もわからないまま息苦しくなる。そして静かに、その場を離れる。
「なんか最近つまらなくなった気がする。」
「前は楽しかったのに。」
「なんとなく触らなくなった。」
言語化すれば、このような感想になるだろうか。
もちろん、言語化できる人も空気を吸っている。
ユーザーの離脱は、数字に遅れて現れる。視聴率の低下、課金率の鈍化、アクティブユーザーの減少。
原因が何だったかを数字が示す頃には、すでに空気は何ヶ月も前から腐り始めていた。
では、空気はどこから腐るか。
三つの段階がある。
最初に来るのは、キャラクターの一貫性の崩壊だ。先述の「賢いキャラの愚行」がこれにあたる。一度でも起きると、読み手の中にキャラクターへの不信が生まれる。小さなひびだ。まだ致命傷ではない。
次に来るのは、ご都合主義の露出だ。キャラクターがプロットの都合で動いていることが透けて見え始めると、物語の世界が「作られたもの」として意識に浮上する。没入が破れる。読み手は物語の外側に立たされる。
最後に来るのが、感情の着地点のなさだ。読み手が感情を乗せた先に、受け皿がない。盛り上がったのに報われない、緊張したのに解消されない、悲しんだのに意味がない——
これが続くと、読み手は感情を乗せることをやめる。
乗せても無駄だと学習するからだ。
感情を乗せることをやめた読み手は、もうその物語のファンではない。
この三段階は、順番通りに来るとは限らない。複数が同時に起きることもある。ただ、積み重なるほどに、空気は取り返しがつかなくなっていく。
ここで、少し遠い話をする。
マイ・リトル・ポニー フレンドシップ・イズ・マジック、通称MLPというアニメがある。2010年から2019年まで放送されたハズブロのアニメシリーズだ。
日本では知名度が低いが、英語圏では大人のファンを大量に獲得し、「ブロニー」と呼ばれるファン文化を生んだことで知られる。
シーズン5の第10話、「Princess Spike」(スパイクが暴走し、式典を混乱させる回)という回がある。
クリスタルエンパイアで大きな式典が開かれる中、疲れて眠るTwilightを守るよう頼まれたSpikeが、彼女を起こさないよう過剰に干渉し続ける。「Princess Spike」として勝手に決定を下し、式典用のクリスタル像を壊す。失敗を重ねる一方のSpikeを延々と見せられる回だ。
IMDbの評価は5.7前後。ファンの間では「Spikeキャラクター回として最悪クラス」「キャラクターを後退させた」と今も語られる。
MLPにおける失敗の代名詞的な回だ。
失敗の構造は明快だ。
Spikeは「成長したい、認められたい」という動機を持つキャラクターとして積み重ねられてきた。しかしこの回でのSpikeの行動は、その動機から生まれていない。
コメディの展開のためにSpikeが失敗し続けるよう、プロットがキャラクターを動かしている。結果、Spikeは後退し、視聴者は息苦しくなる。
ここまでは、よくある話だ。
重要なのは、Princess Spikeが孤立した失敗ではなかった点だ。
一つ前のシーズン4第24話、「Equestria Games」(大競技会でスパイクが空回りし続けるコメディ回)という回がある。
MLP世界のオリンピックにあたる大競技会の聖火点火役に選ばれたSpikeが、「自分を大きく見せたい」という動機から場に過剰に介入し、失敗を重ねるコメディ回だ。
Spikeの動機自体はキャラクターに即しているが、その動機が笑いの種として消費され、成長に繋がらないまま終わる。
視聴者はPrincess Spikeでこう感じる。
「またこれか。」
「またこれか」は、初見の不快感より根が深い。
初見の不快感は忘れられる可能性がある。
「またこれか」は、記憶の照合だ。
以前の不快感と今の不快感が接続され、パターンとして認識される。
パターンとして認識された不快感は、次の回への期待値を下げる。
期待値が下がった状態でテレビ視聴を継続する人は、少ない。
数字はここで初めて動く。しかし空気はすでに、Equestria Gamesの時点で変わり始めていた。
注目すべきはその後だ。
公式からの声明はなかった。「今後このような回は作りません」という発表も、方針転換の説明も、一切なかった。
ただ、変化だけがあった。
シーズン6第16話、「The Times They Are a Changeling」(スパイクが偏見に立ち向かい、成長を描いた好評回)。
Spikeは偏見を受けるChangelingのThoraxと出会い、周囲の反対を押し切って彼を守るために立ち上がる。
自分の臆病さと向き合い、他者のために勇気を出す。
歌もある。
成長を描いた好評回だ。
Princess Spikeとの違いは何か。Spikeの行動が、Spikeの内側から生まれている。プロットのためではなく、Spikeというキャラクターの動機と一貫性から、行動が導かれている。
発表はなかった。変化だけがあった。
これは何を意味するか。制作側が何かを測り、何かを判断し、動いたということだ。
何を測ったかは外からは見えない。ただ、数字と反応を受け取って、内側で修正が起きた。
その痕跡が作品の中に残っている。
では、何を測れば良いのか。
三つを提案する。
キャラクターの行動原理の一貫性。
各キャラクターの行動が、そのキャラクターの内側の動機から導かれているかどうか。
これは数値化が難しいように見えるが、シンプルな問いで測れる。
「この場面でこのキャラがこう動く理由を、キャラクター自身の言葉で説明できるか」。
できなければ、プロットがキャラクターを動かしている。
感情の着地点の有無。
盛り上がった感情が、どこかに着地しているか。
伏線が回収されているか、緊張が解消されているか、悲しみが意味を持っているか。
着地しない感情の累積を測ることで、読み手の「感情を乗せることをやめる」タイミングを予測できる。
不快感の累積。
個別の場面への不満ではなく、不快感がどの程度積み重なっているかを追う。一つの失敗は致命傷にならない。
ただし積み重なれば、空気が変わる。
この累積を定点観測することで、空気が腐り始めるタイミングを、数字が遅れて示したとき直ぐに察知できる。
ここからは後編。
三つの提案をゼンゼロで実際に当てはめてみる。
以下は一プレイヤーの観察だ。
同じゲームを遊んでいても、受け取り方は人によって異なる。
ただ、前半で論じた構造に照らし合わせると、私の不快感の輪郭がある程度説明できる。
【キャラクターの行動原理の一貫性】
ver.2.2の結末で、オルペウスと鬼火が、破られたメモを主人公のもとへ持参する場面がある。そのメモはイゾルデの遺書に相当するものだ。そして、誰かに破られた状態だった。
オルペウスは「内気だが実直」なキャラクターとして描かれている。鬼火は「厳しく、ときに激高するが冷静沈着」なキャラクターとして描かれている。
この二人が、なぜ破られたメモを組織外部の人間に見せたのか。
破った人間には、意図がある。
メモそのものを抹消せず、破った状態で残したということは、「見られてもいい、むしろ見られた方がいい」という意図が乗っている。
実直な人間であれば、その意図を読んだ上で、内なる闘志を燃やして犯人を探すのが筋だ。
厳しく冷静沈着な人間であれば、「外部に見せていいものではない」と判断して止めるのが筋だ。
キャラクター自身の言葉で説明させてみよう。
「彼女は本当にいい人だったんです。もっと知ってもらいたくて。」
軍人としての実直さと照らし合わせると、この行動はおかしい。
百歩譲っておかしくないとしても、一心同体の鬼火がその厳しさで止めなければおかしい。
「イゾルデにもっと同情してほしい」というプロットの意図が透けて見える。プロットがキャラクターを動かしている。
【感情の着地点の有無】
ver.2.0は、私の期待に応えた。今後、何かあるごとにダミアンと対立したり協力したりで、緊張感のある物語になりそうだという予感が生まれた。衛非地区でどのような冒険が始まるのかという期待に、ストーリーは応えた。緊張が解消されている。
ver.2.1も同様だ。2.0の期待をギミックに活かしながら、柚葉とアリスの物語を中心に、駆け引きをたっぷり楽しませてくれた。柚葉を助けるのにアリスが間に合った。人体実験の首謀者フェロクスを捕らえられた。目的はすべて達成した。緊張が解消されている。伏線が回収されている。
ver.2.0とver.2.1における讃頌会と主人公の関係は、お互い、希望する行動に対して障害になったという、消極的対決だったと私は認識している。
ver.2.2から変わった。
讃頌会が、主人公にとって「解決したほうがいい問題」として前景化する。主人公から向かっていく対象になった。
讃頌会の悪だくみを止めるために、市長のお墨付きの立場で軍事作戦に協力する。
しかし讃頌会には逃げられる。手がかりすらない。
イゾルデがなぜ死ななければならなかったのか、私には見えなかった。
伏線がばらまかれるだけで、盛り上がった感情はどこにも着地しなかった。
ver.2.3は、2.1で惜しくもベンチ入りするはめになった狛野に注目すれば、盛り上がって、緊張が解消され、着地できた。その点は評価している。
ただしそれ以外の部分に、脳が好意的解釈を拒み始めるような描写が積み重なっていた。
【不快感の累積】
私は六分街も澄輝坪も、どちらの街並みも好きだ。このゲームの舞台が好きだった。
好きなTVアレイがなくなったことは寂しかったが、今あるゼンゼロを楽しもうと思っていた。
ver.2.2や2.3の不快な描写も、これまで大きな不満がなかったため、好意的解釈、もしくは考えないことでスルーした。
転換点は11月14日の公式発表だった。
「空気が変わっていたこと」に、その日初めて気づいた。正確には、すでに変わっていた空気を、発表が可視化した。
不快感は2.2から積み重なっていた。しかし私はそれを、個別の不満として処理し、パターンとして認識していなかった。
発表を受けて、記憶の照合が起きた。
それまで個別に処理していた不快感が、一本の線として繋がった。
MLPの視聴者が
Princess Spike(スパイクが暴走し、式典を混乱させる回)で、
Equestria Games(大競技会でスパイクが空回りし続けるコメディ回)を、思い出したように。
この体験は、私の固有のものではないと思っている。人によって引き金は異なるだろう。
2.2と2.3を経て公式発表で記憶照合する人もいれば、1.5から1.7の流れで記憶照合する人もいる。2.3から2.5の流れで記憶照合する人もいる。
2バージョンも経ずにそこへ至る人もいるだろう。
引き金は違っても、構造は同じだ。
不快感が累積し、あるとき接続され、パターンとして認識される。
以上が、三つの提案をゼンゼロに当てはめた観察だ。
ゼンゼロ開発へ。
あなたたちのゲームのストーリーに、不満を持つプレイヤーがいる。
その不満の多くは、言語化されていない。
「なんか違う」「前の方が良かった」「このキャラ、こんなんじゃなかった」
——これらは全部、前半で挙げた三つのどれかが崩れたときの反応だ。
数字の悪化。空気はその前から腐り始めている。
MLPの制作側は、声明を出さなかった。ただ、測って、動いた。その証拠が作品の中に残った。
あなたたちも、測ってほしい。今すぐ。
物語の空気は、一日で腐らない。
じわじわと、静かに、腐る。
そして物語の読み手は、気づかれないまま、いなくなる。
これまでに書いてきたnote記事の積み重ねで、これを記した。
