50代からの「自分資産」を活かす人生設計──66歳、いまもシティボーイでいる理由
人生100年時代と言われて久しいですが、周囲を見渡すと「長生きの不安」が多いと感じます。それもそのはず。超長寿社会とは、私たち人類にとって“未体験ゾーン”なのです。このコラムでは、そんな時代を生きる私たちが、「自分」という資産をどう活かすかを、気ままに綴っています。
Vol.49|マーケティングプランナーとして「一緒に仕事をしたい人」であり続ける生き方
■シティボーイは「流行を追う人」ではなく「印象を大切にする人」
1970年代後半から80年代。雑誌『メンズクラブ』や『ポパイ』に影響を受けた、元祖シティボーイたちは、ただオシャレを楽しんでいたわけではありません。
彼らが身につけていたのは、都会の中で自分がどう見られ、どう人と関係をつくるかという感覚でした。
私も高校を卒業し、地方から東京へ上京しました。カッコよくなりたい。女の子にモテたい。アルバイトで稼いだお金で背伸びをし、失敗を重ねながら「自分で選び、試す」ことを覚えました。
この体験は、そのまま、今のマーケティングプランナーという仕事に直結しています。なぜならこの仕事は、完成したモノを売るのではなく、ゼロから1を構想し、社会に仕掛ける仕事だからです。
売るモノがない仕事。言い換えれば、最初に売るのは「自分自身」。
「この人、面白そう」
「この人と組んだら、何か起きそう」
そう思ってもらえなければ、仕事は始まりません。
66歳になってもシティボーイ感覚が変わらないのは、若さを保っているからではありません。“印象を設計し、更新し続ける”という思考と行動を、無意識に続けているからです。
■ネクタイと装いは、自分自身を企画化するためのツール
ビジネスのカジュアル化が進み、クールビズやリュック、スニーカーは当たり前になりました。それでも私は、21歳の社会人デビュー以来45年間、スーツやジャケット、そして年中ネクタイです。
ネクタイは、男性に残された数少ないオシャレアイテムであり、同時に最も分かりやすい「印象演出ツール」でもあります。
相手への敬意を示す
業種やTPOに合わせて空気を読む
自分を仕事モードに切り替えるスイッチ
私にとって、装いは単なる身だしなみではありません。自分自身を「ひとつの企画」としてプレゼンテーションする行為です。
だから夏でもネクタイを締めて、ジャケットを身にまとう。だからスタイリッシュでいることをやめない。それは誰かに見せるため以上に、自分を自分らしく整える、半世紀近く続けてきたルーティンなのです。
■一人ディスコとクルマは、感性をメンテナンスする時間と空間
今でも一人でディスコに出かけます。ナンパ目的ではありません(笑)
ソウルミュージック、特に黒いグルーヴ感がご機嫌なファンクが大好きで、爆音の中に身を置き、雑然とした空気や人の振る舞いを感じながら、自分の感性をチューニングする。
顔見知りのDJや常連との挨拶、ほどよい会話。帰りたくなったら、帰る。これは夜遊びではなく、感性のメンテナンスです。
マーケティングプランナーにとって最大の資産は、最新情報やAI以上に、「人が面白いと感じる感覚」です。この感覚を活かして「仮説」を創造する仕事は、人間にしか出来ません。
クルマも同じ。子供が巣立ち、再び2ドアのスポーツカーに戻りました。それは若返りではなく、人生のステージが一周して、「一人の男性」に戻っただけです。
オシャレをして仕事をし、ディスコにふらりと出かけ、目的もなく好きな音楽を聴きながらステアリングを握る。
このライフスタイルは、66歳でも仕事の現場を降りる気がない、という私の意思表示でもあります。
人間もワインと同じで、熟すと美味しいが、扱いが雑だと痛む。だから丁寧に、自分を扱う。
私にとってオシャレは、究極の自己満足です。それは「自分が心地よく、自分を大切に扱う」ということなのだと、この年齢になって、はっきり分かるようになりました。
ワインのように、成熟した年齢とライフスタイルは、とても美味しく、心に響くはず。私がオシャレをして出かけなくなる時は、人生を終える時です(笑)
■ 3つのポイント
1.若さを追わず、印象を更新し続ける
年齢に抗わない。年齢を活かして編集し、相手にどう映るかを考える。
2.オシャレは消費ではなく、自己編集
ワードローブを長く使い、組み合わせ、体型を保つ。服は消費財ではなく、自分の文化資産。
3.「面白そうな人」でいることを最優先する
評価より共感。安定よりワクワク。人を笑顔にすることが、フリーランス人生最大の価値。
鈴木 準
1960年生まれ。マーケティングコンサルタント・コラムニスト。
株式会社ジェイ・ビーム代表、一般社団法人日本元気シニア総研執行役。
㈱電通ワンダーマン(現:電通ダイレクト)を経て37歳で起業。
若い頃に「JJガール」とか「POPEYE少年」と言われた、昭和30年から45年あたりに生まれた「ABS世代(アクティブ・バブル・シニア)」の名付け親。
