その映画は、誰も知らない。
中学生のとき、劇団に通っていた。その劇団は芸能界から仕事が来るような大きいところだった。毎週日曜日、電車で1時間かけて東京まで通った。
自慢したいわけではない。だって、私はその劇団の落ちこぼれだったからだ。演技が上手いわけでもないし、壊滅的に体が固い。容姿も人並みだ。そんな私に、一度もオファーは来たことがなかった。
ある時、までは。
もうすぐ中2になろうとするときだった。母が、別の部屋に籠り電話で話し込んでいるのがすりガラス越しに見えた。困った様子であることは、おぼろげにわかってくる。電話を終えた母が、部屋に入ってきた。
「あなたに映画のオファーがあったみたいだけどね、断ったの」
二つの情報が一気に入ってきた。
「え? どうして? なんで断っちゃったの?」
「撮影が3月終わりっていうでしょ。もう塾の春期講習が始まってるから。それに……」
母は、クスクス笑って、続けた。
「誰も知らない映画らしいの」
その時の感情はその時名前をつけられなかったけれども、今あえて名前をつけるのならば「モヤモヤ」であろう。どうして私に判断させてくれなかったのか。けれども、母のその判断にうなずいたのは、実は劇団の活動に入団当初ほどの情熱が持てなくなってきたからである。
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女優になりたい、と私が言い出して勝手に劇団にオーディション申込書を送ったのは、小学6年生のときだ。芸能界に詳しいわけでもない、どちらかと言えばクラスでも目立たなかった私の突然の宣言に両親は驚いて、猛反対した。華やかな世界かもしれないけれども、見えないところでやりたくないこともやっている。芸能人になれるような顔立ちの人は生まれた時から決まっている。はっきり言って、無理だ。あらゆること、傷つくようなことも言って止めさせた。当時は分からなかったけれども、愛だった。
ただただ両親とぶつかった私は、どうして女優になりたいと思ったのか、言えなかった。
私が女優になりたいと思ったきっかけ。
それは、歴史の授業である。
小6から社会科で歴史を取り扱うようになった。初めて触れる今の日本のストーリー、キャラクターの立った歴史人物たちに私はどハマりした。自分で歴史人物のイラストを描いては、休み時間に友達に見せて、呆れられていた。
そんな私は、初めて大河ドラマに出会った。
実は、ドラマを見ること全般が、今まで苦手だった。
人から血が出るのも怖くて嫌。
アクションにハラハラドキドキしてしまうのも、嫌。
かといって、キスシーンを両親と見るのも、嫌。
だから、初めて一話ずつしっかり見たドラマは大河ドラマだった。小6当時は、「北条時宗」のドラマが放映されていた。授業で、ちょうど習ったところだった。二度の元寇が訪れた、と淡々と教科書に書かれていたのに、ドラマでは多くの人が戦っては圧倒的な異国の力に敗れていくシーンが描かれていた。一つ一つの文言に、ドラマがあって、時宗の葛藤があった。血が流れていても、それ以上に壮大なストーリーがあった。ドラマで泣くなんて、はじめてだった。
『北条時宗』の大河ドラマは、本放送と土曜日の再放送の2回とも、きっちりと見た。本放送前のBS放送もあわせて、3回見るときもあった。
そして、ドラマに出ていた俳優さんが、別のCMに出ていることに気づいた。当たり前のことに感動するとともに、歴史にもドラマにも浸かりはじめていた私は、こう思った。
「大河ドラマに出れば、歴史人物になれる」
歴史への溢れる情熱の向け先が、分からずにいた。小6ではあまり詳しいことを習わない。どうすれば、歴史にもっと近づけるのだろうか、と思っていたころの気づき。歴史人物そのものになればいいのではないか。そして私ぐらいの子役も、少年少女の頃を演じていた。あの時代に、入り込みたい。
新聞の端に、大河ドラマで演じている子役の顔写真があった。そして、こう書かれていた。
「劇団員、大募集! オーディション、随時実施中!」
反対されることをわかっていたのだろうか。こっそりと住所と名前を書いた。申込書を近くの郵便局まで行って、劇団宛に送った。
それで、後日「オーディションを受けにきてほしい」という分厚い書類が届いて、案の定両親は驚愕し、大反対したというわけである。ものすごい剣幕だったから、本当の理由を言えずにいたら、
「まあ、この時期はちやほやされたくなるものだ」
と、結論づけられて、それきりになった。私も、バカなことをしたものだ、と思ってオーディションを受けるのを諦めていた。
しかし、ある時のこと。
祖母宅に滞在中の母から電話がかかってきた。
「オーディション、伯母ちゃんがついてきてくれるってよ」
私には二人の伯母がいる。父の姉だが、母とも仲が良くて私と弟にはものすごく甘い。母が面白半分に私が劇団の申込書を送ったことを話したらしいのである。
すると伯母たちは、
「夢をあきらめさせるのは良くない!」
「オーディションだけでも受けさせた方がいい!」
と、主張してオーディション会場についてきてくれることになった。
父も、「まあ受けるだけ受けてみたら? 落ちたらしょうがないけどね」
どこかこの状況を楽しんでいるようであった。
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二人の伯母の付き添いのもと、劇団のオーディション会場に。一人の伯母は顔じゅうをにこにこさせながら、言った。
「みゆちゃんは、アナウンサーになりたいのよね」
「わ、わたしは……じ、じょ……」
「アナウンサーなんて、素敵じゃない」
いくら私に甘い伯母たちも「芸能界」を全面的に賛成しているわけではないようだった。「アナウンサーならいい」という気持ちがあったのだろうか。わざわざ長崎から着いてきてくれた伯母に、異論は唱えられなかった。
アナウンサー、俳優、女優、アイドル、さまざまな夢を持った少年少女が、歌唱テストに並んでいた。前にいた子たちが、「浜崎あゆみ」「鈴木亜美」などを完璧に歌い上げる中、私は最近合唱で習った「BELIEVE」の一節を地声で歌った。
たとえば君が傷ついて
くじけそうになったときは
かならず僕がそばにいて
ささえてあげるよその肩を
歌唱テストが終わって、面接になった。女性面接官はにこやかに私と伯母の前に座っていた。
「お母様からみて、お嬢様は……」
「あ、私、母ではなく、伯母です」
即座に伯母が否定する。
「失礼しました。お母様は、今日……」
「この子の母親は、あまり乗り気じゃないみたいで、私が来ました」
「そうですか、そういう方も多いですよ。それで、みゆ様は将来何を目指されていますか?」
「あの、アナウンサーを……」
ずっと、伯母と面接官が話していたのを、遮った。
「いえ、アナウンサーじゃありません。私は女優になりたいんです」
伯母と面接官の目線が私に集まる。面接官は微笑んで口を開いた。
「そうですか。誰みたいになりたいとか、目指す人はいますか」
「えっと……」
私は焦ってしまった。誰も知らない。北条時宗は見ていても、女優の名前を誰も知らなかった。TVで見て、もしくは友達から聞いて、学校で流行っていて、知ってる人、知ってる人……私は頭の中をかけめぐらせて、出まかせに話した。
「も……モー娘。です。モー娘。みたいな、女優になりたいんです!!」
この私の答えは、そののち、親戚中が集まるたびに伯母から笑い話として聞かされて、初めて聞いた人に「モー娘。は女優じゃないじゃん」と突っ込まれるのが定番であった。
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「モー娘。みたいな女優になりたい」は減点だったのか加点だったのか、今でもわからない。けれどもとにかくその1週間後、「劇団入団のご案内」というさらに分厚い封筒が届いた。
両親は、苦笑いした。「誰でも受かるんじゃないの?」と言っていたが、よく調べてみるとあのオーディションを受けた人の10分の1しか受からないらしい。
入団するためには、私立中学校に行くぐらいのお金がかかる。
「お金は、払うから。行くからにはちゃんとするのよ」
女優になることに賛成したわけではない。けれども劇団を通じて積極的な性格を身につけてほしい、と付け加えた。勉強もおろそかにしないように、とも言われた。
そうして、私は中学校入学とともに、劇団に入団した。決して、楽なスケジュールではなかった。まず、どの日も18時まで吹奏楽部の部活があった。それに加えて、週3回の塾がある。こんなスケジュールだった。
月曜日:部活➕塾
火曜日:部活
水曜日:部活➕塾
木曜日:部活➕ピアノ
金曜日:部活➕塾
土曜日:部活
日曜日:劇団
自分で決めたこととはいえ、休むどころか、それぞれの宿題をする暇さえない。成績も上を目指したいし、部活でも活躍したいし、劇団もしっかり通いたい。テスト勉強もある。どの分野も全力を尽くしたいのに、かえって中途半端になってしまうのを、もどかしく思いながら、毎日を過ごしていた。
そんな中、あんなに入団金を出してくれた両親には、決して言えない思いを抱えていた。
私は、劇団に向いていなかったのである。
まず、運動音痴で体の柔軟性が全くない。劇団のレッスンは「演技」と「ダンス」の組み合わせなのだが、この「ダンス」でいかに体が柔軟かが問われてくるのだ。私は赤ちゃんの時に母親にびっくりされたこともあるぐらい、体が固いのだ。体をしなやかに動かせないのは、ダンスだけではなく、演技の幅にもつながってくる。
また、色々とできないことも多い。私は演技のレッスンで「口笛が吹けない子を馬鹿にする女子の役」をやっていたのだが、私自身、口笛が吹けないので「ピーピー」と口で言いながら「あら〜あなた吹けないの〜?」という「お前が言うなよ」案件になってしまうのだ。
歴史人物になるために、こんなに体の柔軟さと、器用さが必要なんて、思わなかった。
部活でも、劇団でも、塾でも。
「みゆさんには、努力が足りない」と言われた。
その通りだった。
努力する隙間は、もう埋まっていた。
他の活動のことを、それぞれの先生は知らなかった。
でも、それを言ったら言い訳になってしまう。
誰も知らないことを、私は言えなかった。
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「誰も知らない映画らしいの」
母が断ったことについて、私はどこかほっとしていた。映画に出て春期講習を受けられなかったら、私は勉強にますます遅れてしまうだろう。部活も、中2になるにつれ、中心メンバーとして大会出場に向けて練習をしなければならない。出てみたいとは思ったが、日常の遅れの方が怖かった。また、落ち着いたときに、オファーが来るだろう。
しかし、その後一度もオファーが私に来ることはなかった。この映画を断ったことがよくなかったのだろうか、と、少しだけ思った。
そんな中、父親の大阪転勤が決まって、私たち家族は全員大阪へ行くことになった。大阪には同じ劇団があるかどうか、問い合わせてくれたが、ない、と言われた。
こうして、劇団とはあっけなくお別れになった。だんだん行くのに嫌気がさしていたけれども、普段過ごしていたら、見えない世界を見せてもらったことは、一生感謝してもしきれない。
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1年後、私は部屋でなんとなくTVを見ていた。そろそろ勉強に戻らなければ、と思ったタイミングで、ニュースは芸能ワイドニュースにうつり、レポーターが興奮した様子でマイクを握っていた。
「今年のカンヌ国際映画祭で、柳楽優弥さんが最年少主演男優賞を獲得しました!」
初めて聞く名前だ。しかし、母は画面に釘づけになっていた。
「あ、あの映画……ママが断った映画!」
「え!」
画面を見ると柳楽優弥さんが受賞した映画の紹介に入っていた。
「誰も知らない映画……って、この映画のことだったの!?」
そう。
その映画の名は、『誰も知らない』
今では、誰もが知る映画となっている。
【※注】 本作で触れた『誰も知らない』は、一般公募を含む大規模なオーディションで子役が選出された作品として知られています。当時、筆者が所属していた劇団では、制作側から「この子を選考(オーディション)に呼びたい」という打診が劇団経由で届くシステムがあり、それを母親が分かりやすく「オファー」と表現して筆者に伝えたものと思われます。当時の記憶の空気感を優先し、本文の表現はそのままにしております。
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