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「書く」に挑みつづける。人間であるうちに。

書くことでほめられたことは、ない。少なくとも、幼少期は。
作文で表彰され、全校集会で壇上に上がるクラスメイトが、はにかんだ表情でスカートを押さえている、その姿を遠く眺めていた。

一方、私は読書感想文で何を書けばいいか分からず、
「挿絵に出てくる卵焼きがおいしそうだった」
と、一文だけ書いて母に呆れられていた。だって、本当に何を書けばいいか分からなかったのだもの。

それでもなぜか、書くことに片思いはしていた。

小学校五年生の時の担任は、文を書かせる人だった。一人一人にノートを手渡して、なんでもいいから書いて、日記を提出しよう、と言った。当時確か33歳。今の私より年下か。大人に見える、今でも。それで、先生の独特の癖字でコメントがもらえるのが嬉しくて、書いては提出していた。

どんなこと書いたっけ。
「ハムスターが飼いたいけど飼えない」
「Sくんが好きだけど、KちゃんもSくんが好き」
「歴史が好き、特に源義経」
「どうぶつの森が好き。他のどうぶつからメッセージがもらえる」
「Kちゃんは完璧な子だ、ほんとになんでもできる」
「Kちゃんに一緒に走ろうと言われたのに、KちゃんはSくんを追いかけていた」

他愛もないことを書いてコメントをもらっていた。あの時は、先生は全員分日記読むの大変だろうな、と思ったけど、教師の立場からすると子どもたちの様子は微笑ましいし、表には出てこないトラブルも把握できていいのではないか。大人になるとそんな大局ばかり考えてしまう。

日記を提出し続けて、思った。
私、もしかして書けるんじゃないか。

書けない、というコンプレックスを脱した気がした。だから、地元の小中学生の作文が集まる文集「ひざし」に応募してみたけれど、箸にも棒にもかからなかった。

小学校を卒業して、日記を読んでくれる人もいなくなると、少し書いては挫折する日々が続いた。

さくらももこさんの「さるのこしかけ」を読んだ。日常を、こんなに面白くかけるのか、と驚いた。
「アンネの日記」を読んだ。自分と同じくらいの少女が、戦争に巻き込まれながら書き続けていたことを知った。
綿谷りささんと金原ひとみさんが最年少で芥川賞を受賞した。私と5つしか変わらないのに、小説を書けることに憧れた。

その度に、書きたい、と思った。私も、書く人になろう。

お小遣いでCAMPUSノートを買った。アンネと同じように、日記にキティと名付けた。それなのに、塾の宿題で忙しくしているうちに、書いていたことさえ忘れてしまう。日本は、少なくとも子どもにとっては平和だった。毎日同じ授業、部活、家族。書くことがなくなってきた。

いい大学に行ってから、書こうと思った。小説の巻末に書いている作者のプロフィールを見ると、大体の人は難しい大学を卒業している。本をたくさん読んで、たくさん勉強した後なら、書けるかもしれない。だから、受験勉強を優先することにした。高校受験は第一志望に受からず、大学受験では浪人したけれど、作家を輩出している「いい大学」には入ることができた。

大学ではフランス文学を専攻した。愛読書の作者と同じ学科で学びたかった。そこで、悟った。大学で書くことを学べるわけではない。書く人は、最初から書く人なのだ。

同じゼミで出会った恋人は、書く人だった。小説家を志望していることに、惹かれた。彼と結婚して、書くことを、託そう。私は文豪の妻になって、自分のことを書いてもらおう、そんなことを思った。

元来、なまけものなのだ、私は。書くことの苦しみを引き受けずに、書いたことによる栄誉だけ受けようとしている。

彼は、書くことの「業」に、一人で立ち向かっていた。大学、大学院、就職、すべて投げうって、読んでは書いていた。今ならそうした彼の行動がわかる。けれども当時の私には、書くことにも、人生にもそこまでの覚悟が持てなかった。普通に就活して、不動産会社に就職した。彼を養えるほど仕事ができるわけではない私は、就職しようとしない彼と、たびたびぶつかった。

彼と別れた後も、胸には彼の書く姿だけが焼きついていた。書くには、こんなに苦しんで、絞り出さなければならない。こんな浅はかな私に、書けるはずがない。書くことは、近づくほどに、遠ざかっていった。

書くことに蓋をしたまま、人生だけを進めた。時々、蝋燭のように書きたい気持ちが灯ることがあった。失恋から立ち直るためのnoteアカウントを作って、五日間だけ書いた。仕事をモデルにした、ファンタジー小説の冒頭を書いた。それなのに、その灯火をつかもうとすると消えてしまう。後には白い靄だけが残されていた。

いつもそうだ。私は書くことを後回しにしてしまう。
そんな中、2020年を迎えた。

新型コロナウイルスが全世界で流行して、今まで見たことのないような情景が広がった。コロナウイルスに対抗する薬はない。重症化すると死に至る。あんなに元気だった芸能人の訃報。日々増加する感染者数。手に入らないマスク。人がまばらな商業施設。次々とキャンセルされる取引先との商談。開催されるはずだったオリンピックの延期。世界中の人類がこの異常事態に直面している。

人類はこの病気に対抗することができず、いずれ全員滅亡してしまう……そんな未来を思った。感染していないうちから、自分自身の、死を思った。

死んだら自分の意識はどうなるのだろう。天国に行くことは信じていなかった。無となって消えるか、もしくは別の生命にリサイクルされる。どんなにいい大学の人が研究したって、死後のことはわからない。それなのに、誰にでも訪れる。

別の生命のことを思う。微生物、植物、魚、鳥、哺乳類。考えると、人間との違いを思ってしまう。栄養をとって、獲物を捕食し、敵から逃げて、次の世代のために繁殖する。生きるのに関係のないことをしているのは、人間だけではないのか。世界に思いを馳せることも、歴史を知ることも、他の動物を思うことも、他の動物にはない。もし思ったとしても、それを記録しない。

人間でいられるのは、この瞬間だけなのだ。

宇宙が爆発して、海ができて、化学反応で生まれた生命。いろんな方向に変化して、冒険して、発明して、争って、失敗して、そうして生まれた私という人間。人生一度きり、なんて言葉では表せない。人間という生命。人間であることを、謳歌するべきではないか。

人間を謳歌すること。それは、世界を知ること、そして書くことだと思った。

読書記録のためのはてなブログ、妊活記録のためのnote、英語学習のためのWordPress……媒体は移り変わっていったけど、「人間であるうちに、書く」という気持ちは忘れなかった。

最終的にnoteに落ち着いた。即時的な有益性がなくても書きやすい懐の広さ、読んでもらえる環境は、小学生の時、先生にコメントをもらっていた日記を彷彿とさせた。そうしてまた、同じような感情になった。

私、もしかして書けるんじゃないか。
いいや、そうじゃない。
下手でもいい、コンプレックスを抱えたままでもいいから、やってみたい。

それは、物語を作るということ。
それこそが、他の生命にはできない、人間にしかできないことだ。

人間について、考えていたときに、思ったことがある。人は、物語が好きだ。物語に人は心を動かされて、考えて、そこに含まれている意味を感じて、動き出す。物語の秘密を、知りたいと思った。

30年生きてきたら、さすがに書くことはあった。見聞きしてきたこと、選択しなかったこと、本で読んできたことから、いろんな物語を考えた。

愛妻家芸人の妻の物語。
エジソンが発明した電球にかぐや姫が宿る物語。
議事録で無双する新入社員の物語。
初恋の人が保険営業してきた物語。

書くだけ書いて、noteでは読んでもらっている。すると、欲が出てきた。世間に、出してみたい。本屋で置かれるような物語を書いてみたい。そのために、物語を考えつづけている。

そんな中、noteで出会ったみくまゆたんさんが「書く人生のはじめかた  文章力より大切な“書き続ける”ための心構え」という本を出版された。

「書く人生のはじめかた」というタイトルから、考える。
私の書く人生がはじまった瞬間は、いつだろう。

ずっと、書く人生をつかむために、遠回りしてきた。今も、まだ物語を仕事にできていない。書くことを人生にするには、至ってないのかもしれない。その瞬間は、訪れていないとも言える。

災害に、疾病に、戦争。人類としての危機を経験してきた。これからも経験しないとは限らない。書けない、と言っていた中学生時代のように、平和を手放しで享受できている時期ではなくなった。今、人間として生きていられることは、当たり前のことではないと思う。

だからこそ、考えること、知ることをやめない。
そして、「書く」に挑み続ける。
人間である、今の人生のうちに。

(了:3581文字)


この度は、読んでいただきありがとうございました。
「書く人生のはじめかた」著者のみくまゆたんさん、担当編集の岡本雄太郎さんが主催された「 #書く人生がはじまった瞬間 」noteコンテストに応募いたします。

この度は商業出版、本当におめでとうございます。ご活躍にとても元気づけられております。私も書く人生をはじめられるように、頑張ります。


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