どうしたって無理な10のこと|亜麻布みゆ編
苦手なことは山ほどある。
けれども、「どうしたって無理」と書いてしまうことで、本当に無理なことになってしまったらどうしよう。そんなのは、いやだ!
努力すればなんとかなりそうなこと、は外した。(節約とか片付けとか料理とか)本当に無理で人生で困ったこと、困っていることを中心に10個集めてみた。
そもそも、なんのために「無理なこと」を書いて、投稿するのか?
「みんなが書いてるから」以外の、私だけの理由がある。
それは、できないことを一旦認めて、その地点から再スタートするため、自分の立ち位置を確認する作業だ。
「どうしたって無理なこと」は、前向きな取り組みとも言える。
だから、一見ネガティブに見えるにもかかわらず、みんなに愛される企画に進化したのだろう。
第一発信者の、本田すのうさんに感謝しながら、10個集めてみた。
1.運動
これだけで1記事は書けるぐらい、運動苦手エピソードに事欠かない。
幼稚園の時、初めて自分が人より足が遅いことに気づいた。私の本名は「もしもしかめよ」に出てきており、それも遅いことを象徴しているようで、恥ずかしかった。
苦手なのは走ることだけではない。
球技、柔軟、鉄棒、縄跳び、高跳び、シャトルラン
…運動には色々あるが、その全てが苦手である。
50m走で10秒切ったことがない、逆上がりができない、二重とびができない、側転できない、跳び箱飛べない、腕立て伏せできない、平泳ぎできない…など、できない尽くしだ。
運動会で活躍できないばかりでなく、チーム戦で迷惑をかける。運動ができないと、小学校で詰む。初代ポケモンでヒトカゲを選んだ時と同じぐらい、最初で詰む。
唯一できる(?)のが、マラソン。
速いわけじゃない。むしろ遅い方だけど、あきらめなければいいだけの話だからだ。
小学2年生のマラソン大会では64人中64位だったが、学年が上がるにつれ50番台、40番台…と少しずつ順位を上げていき、高校生の頃は女子の人数が少なかったから、なんと私がマラソン選抜メンバーの補欠になってしまった。
この世で一番「あゆみ」の遅いものはない、そんな私が補欠。補欠だから実際に走ることはなかったけど、私が補欠かよ、って思い出したら笑える。
大人になったら、運動苦手でも、力がなくてもあんまり困らなくなった。
もちろん健康維持のために定期的な運動は必要だが、特に女子の場合は、力のある男性に力仕事を任せていることがある。特に、宅急便や引越し作業など、自分の能力だとできないことが多いことを代わりにやってくれている。
力のある方々に感謝。
2.算数
じゃあ、勉強ならできるのかって言われると、そうでもない。
算数が苦手。特に、計算と図形の問題がダメだった。
計算は、どこかで思い込みがあって、間違えてしまう。だから文章題なども解いていても、自分の計算能力を信用できない。
図形は、展開図から元の図形を想像したり、図形の裏側を想像したりするのがものすごく苦手だった。見えてるところしか見えない。想像自体は好きなんだが、想像に「正しさ」を求められると窮屈に感じてしまうのだ。
そう、正しさが苦手。
きっちり「これが正しい、正解ですよ」と言われると反発したくなってしまう。ちょっと曖昧さを残してるものが好き。
中学生の頃、英語や国語などの文系科目と、数学などの理数科目にものすごく成績の差があった。習熟度別にクラスが分かれている塾では、英語・国語で一番上、数学で一番下のクラスだった。こんなに差があるなんて珍しいよ、って先生からは冷やかされた。
それでも受験勉強を通じてちょっとはマシになったのは、数学の解法を物語として記憶してたからだろう。( #こうして私は受験を乗り越えた)完全に「数学的センス」が問われるのは、どうしたって無理だ。
数学は苦手だけど、解けない問題にチャレンジしようとする数学者の物語とか、科学の歴史とか、そういうの大好き。科学者の探究心があったから今の生活ができているのだ。
科学者に感謝。
3.運転
運転免許は持っているけど、ペーパードライバーだ。
そもそも免許を取るのに苦労した。
教習所のS字カーブとか、ギザギザとか、何度もやり直しになった。
運動と同じで、何か身体的な行動が苦手なのだ。
安全運転を心がけていたら、スピードをもっと出せと叱られた。ゆっくり運転するのは、逆に他の車に迷惑になってしまうのだ。
私は社会人になる前の春休みから新卒1年目の6月まで、教習所に通っていた。新卒1年目で叱られたことなどを考え合わせると、「スピードを遅くしすぎない」ことこそが社会人であると、なんとなく思った。
学生時代までは、なんでも丁寧にやることこそが是だと思っていた。
しかし、仕事はいろんな人のいろんな目論見によって成り立っている。そうすると様々な制約が生まれる。一つのことだけ抜きんでいても、他の人とのバランスを考えないと仕事はうまく進まない。大人っていうものの現実をここで見た気がした。
だから免許を取ったことは私の人生にとって大きな発見だった。
でもやっぱり運転は苦手。私が運転席に座ると、どんな優しい人からも叱られてしまう。きっと、危なっかしいんだろう。私が危なくなっても、他の人を巻き込むことはできない。
福岡は車社会で、公共交通機関では行きづらいカフェとか、遊び場とか興味がある。運転ができればもっと自由になるだろうが、今の私には難しい。必然的にどこに行くにも夫に任せることになる。
私の代わりに運転してくれる、全ての人に感謝。
4.記憶
2歳児を家で育てていると、今やってることを度々中断される。
中断された後に元々何をしていたのか、忘れてしまう。
育児中だけではない。仕事をしていても、電話などが入ったり、別のことを頼まれていたりすると、元々の気持ちを忘れてしまう。
今だって多分仕事しないといけないのに、noteの記事書いてる。
また、こんなポンコツな記憶容量なので、よく物を無くす。
よく、定位置を決めていたら無くさないとか、片付けをしたら無くさないとか、そんなことを言われることがある。
だが、私ような「本物」は、定位置を引っ越しても、元の定位置しか覚えてない。
例えば、片付けをしていて、ある貴重なものが変なところに置いてあったとする。
「あ〜こんな変なところに置いて〜」と反省し、移動する。
すると、後で思い出すのは「元々置いてあった変な場所」と「反省したその感情」だけで、新しい場所のことは全然思い出せないのだ。
そういうことが度々起こる。これ、どうにかできないかなあ…。
私の記憶をあてにするのが良くないのかもしれない。
そういえば、前の上司が「記憶ではなく、記録に残す」と言ってたのを思い出した。人間の記憶は当てにならないのだ。
当時の上司に感謝。
5.中庸
人間同士の、特に近い関係性で悩んでるのは、中庸、つまり「ほどほど」ができないことだ。何かを指摘されると、「過剰に」改善したくなってしまう。
「ここ」が汚れてる、と指摘されたら、「ここ」も含めた全体を隅から隅まで掃除してしまう、そんなイメージだ。
相手に当てつけだと叱られるまでがセットで、こんなことしてたら嫌われるんだけど、やっぱりやめられない。逆のことで叱られることに快感を覚えてしまうぐらいだ。
頭でやめようと思ってもなかなかやめられない。
やっぱり、私には「正しさ」への反発がある。何か「こうすべきだ」と言われると、逆のことに気づかせたくなってしまう。でも、反論するだけのチカラがないから、過剰に言われたことに従うことで「そこまでじゃない、自分は間違っていた」と相手に気づかせる、という卑怯な手法を取ってしまう。
だが、仕事では指摘されたら再発防止策まで提出してしまって、「そうそう、その調子だよ!」と褒められて、ちょっと拍子抜けした。
一緒に仕事はできるかもしれないけど、一緒に暮らしていると、叱られる。私と一緒に暮らせる人は、この私の面倒さに耐えうる人だけだ。
両親と夫に感謝。
6.手芸
不器用なので、「玉結び」はできても「玉留め」は幻か何かだと思ってる。
保育園の帽子にワッペンをつけたり、夫のスーツにボタンをつけたり、少しずつ手芸する機会は増えてきたけど、縫うところまで出てきても最後が心許ない。何回もやって、あんまり綺麗じゃない感じになってしまう。
手芸できる人はすごい。
私も自分の考えたキャラクターのぬいぐるみとか作ってみたい。
息子のお洋服とか帽子とか作ってみたい。
というか布から織りたい。(機織り体験はしたことあってそれはとても楽しかった。)
心の中のクリエイティブさに手先がついていけないのが現状だ。
これはできるようになりたいことの一つ。
最近は、幼稚園入学セットも既製品などを用意すればいいことになってきている。minneなどの手芸サイトで、手作りバッグを購入することもできるのだ。人には得意不得意があり、得意な人が不得意を補う仕組みができているのが素晴らしいと思う。
手芸できる人に感謝。
7.断食
お腹が空いてると、「おなかすいた」以外のことは考えられなくなってしまう。
以前「空腹が人を健康にする」という言説を読んで、ちょっと体重も減らしたいという目論見があって、プチ断食にチャレンジしてみたことがある。
すると、頭の中が「今は断食中だ」と「おなかすいた」という2つの思いでいっぱいになってしまって、仕事どころではなくなってしまった。
おなかを手早く満たしたいとなると、つい炭水化物に手が伸びてしまう。空腹時の炭水化物など、健康とは真逆の行動だ。
人類が今のように飽食になったのはごく最近のことで、それまで長い歴史の中で、ずっと飢餓状態だったのだそうだ。だから、炭水化物という手早くカロリーが得られるものに手が伸びるのは、人間が生き延びるのに必須なのだ。
人間の仕組みに感謝。でもアップデートはしてほしい。それか太っている人に美を見出す仕組みにしてほしい。
8.営業
営業ができる人は既存、新規かかわらず、本当に尊敬している。
私は営業に近いことをしていたこともあるが、なかなかうまくいかなかった。
お客様の話を聞くことはできても、そこから一歩踏み込んだ提案をする勇気を持てない。お客様の役に立つ、会社のために数字を追い求める、その自分の中に生じた矛盾を解決することができなかった。
営業ができると言う人に聞いてみたら「そんなの簡単だよ。こうして、ああして…すれば。」と言われたけど、その「こうして、ああして」が私は難しいのである。
ちなみに営業を受けるのも苦手。断るのが申し訳ないような気がしてしまうし、断りきれなくて後悔する。
でも、世の中営業としてお金を得ていかないと、成り立たないのだ。
夫も営業だし、もし営業じゃなかったとしても、誰かが営業してくれてるからお金があるし、誰かが価値提供してくれてるから新しく物事が動き出す。
私が持ち得ない勇気を持って、営業している人に感謝。
9.世辞
もし、お世辞で褒められたら、本当に褒められたのだと思って、舞い上がってしまう。
言霊の力を信じているから、というのが一つの理由だ。
以前、褒められたことを大事にしていたら、親に「それはお世辞だから、本気にしないほうがいい」と言われた。
でも、たとえお世辞であっても、その人はわざわざ言葉にしてくれたのだ。
言葉は私を喜ばせるために使ってくれたのだ。
その人の気持ちを大事にした。
発した人が驚くぐらい、私は受け取りたいのだ。
いつも嬉しい言葉をかけてくれる方々に感謝。
10.下ネタで笑わないこと
これを書くかどうかとても迷ったけど、下ネタを言われたら笑わずにはいられない。あまり生々しいやつじゃなくて、すごくくだらないやつでフフっと笑ってしまう。
エロスからお下品まで下ネタは色々あるが、どれも笑っちゃだめだと思うほど、面白くなってしまう。
夫もそれをわかっていて、ちょっと険悪ムードになってきた時に下ネタを言ってくるから勝てない。悔しい。
Xで誰かがつぶやいた、センスのある下ネタは保存している。気持ちが沈んでいる時に下ネタがあると、笑顔にならざるを得ない。
でも、私は下ネタを自分から発することはできない。下ネタは自分のキャラクターを変えてしまう。下ネタを言う人は、覚悟があると思う。
人を和ませるために覚悟を持って、下ネタを言う人に感謝。
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