高座の上で、目が合ったなら。
「こういうところではね、普通、ウケないから」
そう言った先輩の額には汗が滲んでいる。私の目にも汗が流れてきて、思わず目をぎゅっと閉じた。慣れない夜行バスに揺られた頭の奥が、キーンと痛む。
なんて読むのかわからない地名で、遠くまで来たことを実感した。それにしても暑い。ここが、本州の最北端だと言われても信じられない。
私と先輩を含めた大学生4人が、大きなスーツケースを引きずって待っていたのは、とある介護施設に向かうタクシーだった。当時大学1年生だった私の、初めての大学の夏休み。大学に入る前は、こんな形で青森に旅行するなんて、想像もしなかっただろう。そもそも、私が落語をするなんて、それこそ思いもしなかったことだ。
「落語研究会」、通称「落研」では、1年はオチ拾いしかやらせてもらえなかった…ということはなく、1年から実際に着物を着て高座に上がり、落語をする。
落語なんて笑点を遠目で見るぐらいで全く縁のなかった私だが、落研の雰囲気に吸い寄せられるように入部した。着物の着付けにも、ずっと正座していることにも、噺を暗記するのにも苦労したが、なんとか10分程度のネタを自分の言葉で話せるようになった。そして、6月に初めての高座「若手会」では、来ていたOBや保護者達の前で初めて覚えたネタを披露。温かいお客さんに、きっとその初々しさで笑ってもらっていた。それでも当時、「午後の紅茶」をもじった午後亭直という芸名だった私は、同級生から、「直の落語はなかなか面白い」と評価されていた。
私の所属していた落研の恒例行事として、夏休みと春休みに行われる「訪問旅行」がある。毎回、部内で行く地方を決めた上で、3〜4人の班に分かれてそれぞれ、別の都道府県にある介護施設や老人ホームで落語をさせてもらう、という行事だ。
この夏の行き先は、東北地方。そして私たちの班の担当は、青森県だった。
先輩の上げた手に合わせて、タクシーがゆっくりと止まる。お金がない学生なので、節約のために夜行バスを用いて、宿泊も訪問先の施設のご厚意で、予備の部屋を貸していただいていた。それでも施設に向かうにはタクシーが必要な時もある、4人と4人分の荷物がタクシーに詰めこまれた。
到着した施設の周りを深緑の木々とセミの声が取り囲む。標高の高さが、幾分と暑さを和らげていた。私たちが玄関に入ると、施設長が笑顔で迎えてくれ、スリッパを促された。全室にクーラーが効いていてひんやりとする。
「若い方が来てくれると、皆さん元気になりますからね…あ、ここ着替えや荷物置き場に使ってください」
「あ…ありがとうございます!」
四者四様の方法でバラバラと頭を下げて、それぞれ着替えをした。こういう班の旅行は大体男女混合なので、2部屋あるとありがたいのだが、1部屋でも順番に着物に着替える。男性の方は着付けが楽なので先に着替えてもらうのだ。着替えている先輩は、背中を向けている私に小声で話しかけた。
「全然ウケなくても、気にしないでいいよ。孫みたいって、喜んでくれるんだから」
「そうなんですか…?」
私は、「ウケない」ことの悲しさを、もう知ってしまっていた。本編の前のフリートーク、通称「マクラ」をせっかく考えてきたのに、高座の上で話すと、皆真顔のまま。もしくは、優しい一人だけが、くすくす笑っている、この状況になると私は、途端に恥ずかしくなってしまう。
「うん、ニコニコ聞いてくれるから、ウケなくてもいいからね…あ、着替え、いいよ」
「あ、すみません、ありがとうございます」
何度も念押しされるということは、よっぽどウケない場なのだろう。私は着物に着替えながら、そう思った。
着替えが終わると、施設の方がすでに会場を設営してくださっていた。机を並べて座布団用の高座を作り、いかにも寄席が開かれそうな雰囲気だ。介護施設の利用者さんもゆっくりと歩きながら、もしくは車椅子を押されながら並べてある椅子の近くに集まっていた。
施設長さんから促されて自己紹介を終え、私はトップバッターになった。高座に上がると、利用者さんたちがこちらを見ているのがわかる。落語の経験は少ないが、こんなに高齢の方々の前で落語をするのは初めてだ。
本編に入る前に1分以内の小さい小噺で場を温めようと試みた。
昔はネズミとりなんてものがございまして、こうした四角いマス(手で四角を作る)でもってネズミを捕まえたりしたそうでございます!
(手でネズミを捕まえる仕草)
「捕まえたっ!今のは大きいよ」
「なんだい見てたよ、今のは小さいよ」
「なんで!人の捕まえたもんにケチつけるこたあねえや、今のは大きいよ」
「小さいよ」
「大きいよ」
「小さいよ」
大きい小さい大きい小さい
…なんてやっておりますと、中でネズミが「中」
ネズミの「チュウ」と、「大きい、小さい」と言い争っている中での「中くらい」がかかっている小話で、少しは笑ってくれるかと思った。
しかし、「チュウ」と言っても、利用者さんたちはこちらを見つめるだけで、にこりともしない。「チュウ」はエアコンの音にかき消された。
(やっぱり、ウケないのか…)
仕方なく、本編に入る。私は最初に習った持ちネタ「つる」を演じた。「鶴」の名前の由来を「オスがつ〜〜〜とやってきてメスがる〜〜〜とやってくるから…」と教えられた男が、友達にうろ覚えで説明する時に「オスがつ〜〜〜る〜〜〜とやってきて…」と言ってしまうものだからあとが続かなくなってしまう、という馬鹿馬鹿しい噺だ。
内容を考えると、本来の笑いどころは「つ〜〜〜る〜〜〜」なのだが、最初の「つ〜〜〜〜〜」をできるだけ長く伸ばすことでも時に笑ってくれることがある。私はこの「つ〜(以下略)」で遊ぶのが好きで、「つ〜」だけでG線上のアリアを歌ったりする。今回も、「つ〜」を長く伸ばしてみることにした。
「つ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
息が切れるまで「つ〜」を伸ばしたが、エアコンの音しか聞こえない。施設のスタッフさんたちが困ったような笑顔で頷くのみだ。もしくはエアコンが笑ってくれてるのか。
もちろん、一番のウケどころでもウケずに、私は失意のうちに高座を降りた。事前に先輩にあれだけ念押しされていたのに、いざ、あんなにしん…とされると、恥ずかしくなってしまう。
私の後には、同級生や、先輩が落語をしたが、いずれもしん、とした部屋に声が響くのみだった。最後、私に何度も「ウケない」と念押しした先輩の落語はかなり完成度が高く、私は「フフフ」と声に出して笑ってしまったが、やはり利用者さんからの反応は少なく、ウケた、とは言えなかった。
全ての落語が終わった後、施設長さんが声をかけてくれた。
「面白かったです、みんな、夢中になって聞いてましたよ」
「ありがとうございます、若い人が来ると、やっぱりいいですね」
その言葉がお世辞だったとは言いたくはない。それでも、もっと笑ってほしい。私はそう思ってしまった。
私服に着替えながら、先輩に聞いた。
「明日、別の施設ですけど…もうちょっとウケたいですね」
「まあ、こればっかりはしょうがないよ。そうだ、せっかくだから新ネタをおろしてみたら?」
私は夏休み前に、二つ目のネタを覚えるように言われて、一応練習していた。ただ、それを他の人に見せたことはない。まずは2学期始まってからの練習会の後、と思っていたのだ。
でも、どっちにしてもウケないのだとしたら、次の施設で初披露してもいいのではないか…そんな開き直った気持ちになっていた。
私が覚えていたネタは「ちりとてちん」、内容としてはこんな話だ。
「きいさん」は口がうまく、どんなものでも「美味しい」と喜んで食べる。その様子が気に入られ、ある旦那に食事によく呼ばれていた。一方で、「タケ」は口が悪く、知ったかぶりをしては「これはもう知ってる」「美味しくない」と平気で言うので、旦那は腹を立てていた。
そこで、旦那はきいさんと共謀し、タケに一泡吹かせようとする。考えた末に出したのは、腐った豆腐を「あたかも珍しい新料理」のように仕立てた一皿。「ちりとてちん」と名づけられたそれをタケに食べさせ、どんな顔をするか…という、まあ、酷い話である。
明日、次の施設でこの落語をしてみよう…そう思って、一度この落語を練習していた。
最初の「きいさん」が次々と食事をほめるところで、私は思った。
(せっかくだから、なんか食べ物にアレンジを加えたいな…)
そこで、私はあることを思いついた。
(ここ青森の、ローカルフードにしてはどうだろう…!)
私は携帯電話(当時はスマホが普及する直前だった)で、青森、特に今いる八戸のローカルフードを調べてみた。
「いちご煮」
ウニやアワビの漁場である八戸沿岸で、漁師たちの豪快な浜料理として生まれたのが、ウニとアワビを煮込んだ贅沢な潮汁「いちご煮」。その名の由来は、お椀に盛り付けたとき、乳白色の汁の中にあるウニが「朝もやの中に霞む野いちご」のように見えるからだとか。口に含むと、豊かな磯の香りが口の中に広がります。
現在では、高級なお吸い物として割烹などで提供されているほか、炊き込みご飯にして食べると美味しい缶詰も贈答用として親しまれています。
「八戸せんべい汁」
鶏だしやサバだしの汁の中に、専用の南部せんべい(おつゆせんべい)を入れて具と一緒に煮込む郷土料理で、八戸地方では古くから食べられてきた「八戸せんべい汁」。
せんべいを煮込むという独特な調理法と、まちおこし団体「八戸せんべい汁研究所」のユニークな活動により、ご当地グルメの先駆けとしてメディアにも取り上げられるようになりました。現在では、お土産用の八戸せんべい汁セットが何種類も販売されているほど。
せんべいが美味しい汁を吸い、ほどよい固さが残った「アルデンテ」になったら食べごろです。
私は「いちご煮」のことも「せんべい汁」のことも知らなかったが、写真で見て、いかにも美味しそうに食べる所作を練習した。扇子を箸に見立てて右手で持ち、左手でお椀型を作る。
「いちご煮!初めてでございます。う〜んいい香り、潮の音が聞こえますなあ…では、一口…うわあ….お出汁が効いてて大変美味にございます」
この仕草とセリフによって、目の前にいちご煮が現れた(ような気がした)
これで、いこう。私はセリフや所作を鏡の前で調整しながら練習した。
*
次の日、私たちは別の介護施設を訪れた。再びのトップバッター。昨日と違うのは、私が初ネタ「ちりとてちん」をおろすということだ。
私は、油を差してないタイヤみたいなぎこちなさをかき消すごとく、可能な限りハキハキ話し始めた。
「旦さんっ!今日はお誕生日ということでございまして、誠におめでとうございます!え…おいくつになられたんでございますか?63?いやぁ…お若いですねぇぇ…とても63には見えません、ねぇ…横顔なんか見たら62にしか見えませんけど…!」
と話し始めた。音源では「62」のところでドッと笑いが起こっていた「くすぐり」だ。実際の「62」は、静かだったが、少しだけ「クスっ」と笑ったような気がした。
そして、「きいさん」は旦那さんに食事を勧められる。
「これは…なんでございますか?」
「これはな…いちご煮」
「いちご煮!?…初めてでございます。う〜んいい香り、潮の音が聞こえますなあ…では、一口…うわあ….お出汁が効いてて大変美味にございます」
私も、「初めて」だと思いながら、話していた。
その時。
一人の、しゃがれた笑い声が、聞こえた。
「ワハハハ!いちご煮!」
車椅子に乗っていた、男性の利用者さんだ。
それにつられて、他の利用者さんや、施設のスタッフさんの笑い声も聞こえてきた。
私は胸がいっぱいになった。
でも、何食わぬ顔をして、「せんべい汁」の話も続けた。
その後、話を続けたが、「ちりとてちん」の本来の笑いどころではあまり笑い声がおこらなかった。
それでも、あの利用者さんの笑い声。
ウケた…と、いう言葉以上の気持ちがあった。
それは、「目が合った」という思いだ。
全く違う地域で、違う人生を送ってきた。利用者さんと、私。それが、「いちご煮」という言葉で、目が合ったのだ。全員にウケたわけではない、でも、あの方とは、目を合わせることができた。
その後、同級生や先輩方の落語でも笑い声が聞こえた。だから、前日の施設と比べると雰囲気が割と良かった、単にそれだけのことなのかもしれない。
だけど、私はこの出来事に「味」をしめた。
その後の春休み、夏休みに落研では全国の介護施設を回ることになるが、私はその度に「ちりとてちん」で「ローカルネタ」を仕込むことになるのである。
岐阜に行ったら「五平餅!初めてでございます!」
徳島に行ったら「豆天玉焼き!初めてでございます!」
熊本に行ったら「辛子蓮根!初めてでございます!」
そう言い続けて、ウケてもウケなくても、高座の上から、目を合わせた。
(※ちなみに熊本では、施設の方のご厚意で辛子蓮根をご馳走になり、私はリアル「辛子蓮根!初めてでございます!」をすることになった。美味しゅうございました。あの時はありがとうございました。)
*
大学を卒業して約15年。
もう、落語をすることはないだろう。
多分、着付けも、正座もできないし、きっと噺も覚えられない。
それでも、私は時々、高座の上で落語をしている感覚になる。
それは、まさに今。
noteで、文章を書いている時だ。
インターネットで繋がった世界中に向けて、文章を書いていると、時々尻込みすることがある。今だって、この話、こんなに長くて読んでもらえるだろうか、ウケるだろうか、そんな迷いを抱えながら書いている。
でも、私には幸い、読んでくれる人がいる。
読んでくれる人の顔を、思い浮かべて、その人に向けて書いている。
その人の顔を、私は知らない時もある。アイコンしか知らない時もある。
でも私は、なぜかアイコンの奥で、誰かが笑顔になっている様子を、思い浮かべてしまうのだ。
高座の上で、あなたと目が合ったなら。
笑ってくれてると、いいな。
(了)
読んでいただきありがとうございます!
第三回灯火杯に参加します。( #第3回灯火杯 )
読んでいただきありがとうございます!
落語研究会所属時のエッセイはもう一つ書いています。
興味ありましたら、こちらも読んでいただけると嬉しいです。
引き続き、よろしくお願いします。
いいなと思ったら応援しよう!
チップのご検討、ありがとうございます。
3歳児を育てつつ、スキマ時間に創作を続けています。
いただいたチップは、家事の時短や創作時間の確保に使わせていただき、より楽しい文章をお届けする力に変えていきます。応援が本当に励みになります。