出産にあたり、ヤブ医者がメロかったはなし
4月20日。母子手帳に書かれた予定日になったというのに、お腹の赤ちゃんは一向に出てくる気配がなかった。
連休入るまえに、明日、産んじゃいましょう、ゴールデンウィークは人少ないんで、と告げられて、でも、名探偵コナンは5月4日生まれですよ、と返したくなるのをぐっと堪えた。
コナンのお母さんは、ゴールデンウィーク中に産めたのだろうか。
診察が終わった後も、コナンが5月4日生まれなことについて考えていた。が、ほどなくして答えが出た。コナンはきっと、5月4日前後が、予定日だったに違いない。それか、もっと後が予定日だったけど、早く生まれたのかもしれない。いずれにしても、ゴールデンウィーク中に生まれる子たちは、そういう風に生まれるのだ、と自分で考えて納得した。
産婦人科の待合室には色んなお腹の膨らみの人たちがいる。自分よりお腹が膨らんでいる人を見て、未来の自分を想像して、自分より膨らんでいない人を見て、過去の自分を回想する。誰もが、手放しでマタニティハイになれるわけではない。常に、一抹の不安にとらわれる。ハイに見える人は、そうしていないと不安なのだ、ということが、実際に妊娠してみるとわかってきたりする。
産休中、待ち望むように赤ちゃんの靴下を編むのも、怖かったし、かといって不安であれこれ調べるのも怖かった。
そんな私に告げられた「明日、産んじゃいましょう」という言葉。私はこの先生といまいち反りが合わずにいた。
前の担当の先生が良すぎたのかもしれない。
前の先生は、「自分は、ペーペーの1年目です」と照れくさそうに謙遜しながらも説明が丁寧で、男性医師にもかかわらず、女性しか経験しないつわりの苦しみにも寄り添ってくれた。この先生のもとで産めるなら安心、と思っていたのに、出産直前に異動が決まった。「ベテランの先生だから、安心して」とやわらかく笑っていた。
前の先生のその言葉がなければ、今の先生のことを全く信用できなかったに違いない。ベテランと呼ばれた後任の先生は、職人肌の無口な男性。とにかく言葉が少ない。「こうしましょう」と言ってくれるのだが、その背景の説明がないし、いつもムスッとした表情で、聞きづらい。前の先生の「ベテランの先生」という言葉にすがっていた。
前の先生だったら「ゴールデンウィークだから、ってそんな理由で決めて良いんですか!?」って冗談まじりにでも聞けたはずなのだが、私は自分で納得して、明日産む、に頷かざるを得なかった。
とはいえ、「明日産む」は悪いことばかりではなかった。
出産といえば、急に陣痛が来て、
「う……産まれる〜!」ってなって、
急いでタクシーに乗って、病院までの道にハラハラして……
という感じが一般的だと思っていた。が、私の場合は産む日の前日に準備をして、予定された時間に病院入りして、陣痛を促すために病院内を一周して、最後の妊婦自撮りをするなど、穏やかに過ごすことができた。
看護師さんには夜中も陣痛が来たらナースコールしてね、と言われたものの、一向に陣痛が来る気配がなく、気づいたら朝になっていた。
2022年4月21日。
いよいよ、出産の日だ。
塩も何も入っていない、握り飯が朝食に出された。なんだか合戦に向かうような朝食。いざ、出陣じゃ!
…..と、声を上げようとしたけれどもやっぱり陣痛はこない。赤ちゃんには予定日もゴールデンウィークもコナンの誕生日も関係ないのだ。そこで、陣痛促進剤を打つことになった。
点滴を打たれて、ほどなくして生理痛のような痛みが現れた。その痛みはしばらくすると去っていく。痛みが去った数分間も、次の痛みがいつ来るかわからないから、落ち着いていられなかった。これが何時間続くのだろう。
赤ちゃんは、今日が誕生日になるのだ。陣痛が落ち着いたとき、気を紛らわすためにスマホで同じ誕生日の人を調べてみることにした。
4月21日生まれの有名人(敬称略)
・HIKAKIN(YouTuber)
・朝日奈央(タレント)
・下野紘(声優/出演作「鬼滅の刃』善逸)
・臼井儀人(漫画家/代表作「クレヨンしんちゃん」)
エンターテイナー揃いではないか! 確かに赤ちゃんもお腹の中に居座っている割には蹴りが強くて、楽しませてくれようとしている(?)のを感じる。きっと根っからのエンターテイナー気質なのだ。今日は君にぴったりの日だ、今日は吉日、今日生まれてくれ!
助産師さんには「痛みが強くなったら呼んでくださいね」と言われたが、この痛みはどの段階で、自分はどういう状態なのか、いつ呼んだらいいのか、わからないまま、分娩室で一人、過ごしていた。
そんな時、先生が現れた。
「痛みはどうですか?」
咄嗟に聞かれたので、うまく言葉が出てこなかった。
「ちょっと……痛いかもです」
すると、先生は眉を下げて「ああ、ちょっとか……今日は無理かもね」とだけ言って去っていった。
え!ちょ、ちょっと!
内診、しなくていいの……!?
分娩室一人きりで、完全に焦ってしまった。たったの数時間前とはいえ、あんなに4月21日を推していたのに。 それに、初めてのお産の私の「ちょっと」という言葉だけを信じていいのだろうか? ベテランの産婦人科医だから、見なくてもわかるのかしら……
「ベテランの先生だから、安心して」
逡巡しているうちに、前任の先生の言葉が蘇った。あの先生が信頼するほどのベテランの先生の言葉、信じるべきだろうか。けれども、痛みはどんどん強くなる。先ほど「ちょっと」って言ってしまったことが悔やまれた。意を決して、ナースコールを引いた。
助産師さんが来てくれる。
「痛みはどうですか?」
「結構痛み、強くなってきています」
「ちょっと事件」の反省を活かそうとしたものの、「すごく」を言い表す丁寧な言葉が見つからない。それでも助産師さんは見てくれることになった。
「わ! 結構子宮開いてますね! もう1時間ちょっとで産めますよ!」
その言葉を合図に、にわかに忙しくなった。助産師さんが複数形になって、色々な器具などが手際よく用意されていくのをただ眺めていた。「スースーハーの呼吸をしてください」と言われた。コロナ禍で、マスク越しにしか呼吸が通らないのを苦しみながら、私はツッコみたい気持ちでいっぱいであった。
おい!
さっきの私!
全然ちょっとではないではないか!
ほどなくして、先生が慌てた様子で入ってきた、そして私の顔を見るなり
「ごめんね! 僕がヤブ医者やったね! そんなに痛みに強い方やと思わんやった!」
無口な先生の、今まで見たことがないくらい焦った表情だった。
「いえいえ、いいんです! 私がちょっと、って言ったばっかりに……」
そう、言おうと思っても苦しくて言葉が出てこない。仕方なくスースーハーの呼吸で回答した。
あの時の先生の表情が、可笑しくてその後何年たっても忘れられない。産後三日目には、先生が夢に出てきてしまった。今でも思い出すと頬が緩んでしまう。なんだろう、あのベテランの先生のあの表情、初めて心が通じ合った気がした。その感情がずっと、説明できなかった。
でも、産後4年経ってネット上に「メロい」という言葉が出回って、「これだ!」と思った。メロいの正確な意味が掴めているわけじゃないけれど、あの時の先生は、確実にメロかった。
そうそう、話は戻るけど、「ヤブ医者」はさすがベテランの先生ということで出産は順調に進行。夫が仕事を終えて来て、夕方17時半に赤ちゃんは産道を通って、世界で一番尊い産声をあげた。ちなみにこの病院ではその日、四組のお産が行われていたらしいから、一度に四人のエンターテイナーが誕生したことになる。世界は明るくなるぞ。
その時に生まれた子は、一年後、パパよりもママよりも、「いないないばあ」を最初に覚えた。
やっぱり、4月21日生まれはエンターテイナーだ。
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