見出し画像

【人生考察勢】簡単にできるものはつまらなくなる

最近いろんなものが便利になり、簡単にできるようになっている。

AIで文章が書けるようになった。
リモートワークの場合は通勤もしなくてよくなった。
スマホがあれば情報も簡単に手に入る。

簡単にできることについて基本的には賛成だ。
できるだけ苦労は省きたいという思いがある。
だが、どこかつまらなさ、空虚さを感じているもの事実。

そこで一つの仮説が上がってきた。
「簡単にできることはつまらなくなるのでは?」

この仮説について、自分自身の例をもとに考えてみたい。
あくまでも個人的な考えだし、他の人に押し付ける気はない。
「苦労は買ってでもしろ」と言うなんてもってのほかだ。
だが、少しでも共感できる人がいたら、共感による癒しがあれば、それはとても嬉しいことだ。


簡単にできるものはつまらなくなる例

下記私の人生経験から感じたことだ。
もしかしたら異なる意見を持つ方もいるかもしれないが、
そういった方は自分なりの例を想像してみてほしい。

マッチングアプリを始めると、恋愛が楽しめなくなる

婚活をしているときにマッチングアプリを始めた。
こんな画期的な恋愛方法があったなんて、と最初は感動。

たくさんの人とマッチして、自分にもモテ期が来たと勘違いした。

だが、次第にどの人と出会っても大体同じ自己紹介、同じチャットから始める。男女の行き着く先なんて大体同じだ。

共通の友達もいないので簡単に音信不通になれる。
人間関係ってこんな風だっけ。なんだか虚しくなった。

紙の辞書から電子辞書に変えると、勉強が楽しめなくなる

これも思う。
電子辞書は便利だが、すぐ答えが出てくることにつまらなくなってしまう。

紙の辞書は、全ての言葉が載っていないことにイライラするときはあるが、該当の言葉が出てきて、そこに線を引く瞬間がたまらない。

時空を歪めると、どうぶつの森がつまらなくなる

「どうぶつの森」は家や街を作って他の住民(=動物)たちとスローライフを楽しむゲームだ。

どうぶつの森では、現実の世界と同じ時間が流れているのだが、「時空を歪める」つまり、設定で時間調整をすることができるのだ。
それで、季節イベントを前倒しで体験したり、アイテム手に入れたり、いわゆる「ズル」ができる。

幼い頃どうぶつの森で時空を歪めた。うちでは夜のゲームが禁止されていたので、時間を夜に進めて夜にしかないイベントを見るためだ。

「楽勝じゃん!」と思って時空を歪めてながらさまざまなアイテムを、そうすると何故だか虚しく感じてしまった。

Chat GPTを使って文章を書くと、ただのコピペ作業になる

noteでもAIでの入力機能が実装されて、その技術に驚いた。
ただ、それができるようになると文章を書いているという気がしない。
自分の仕事の中で一番嫌いな事務作業と化してしまう。

なぜ簡単にできるとつまらなくなるのか?

上記の例が、なんだか似通っているように感じたのだ。
その共通点が「苦労していたことが簡単にできるとつまらなくなる」だ。

どうして?人間は簡単になるように文明を発展させてきたのに。

「苦労したものほど価値が大きい」って思考になってるから?

探す喜び、たどり着いた喜び。
苦労したものほど価値が大きいと見なされるように脳がセットされてる。

「価値が大きいものは苦労しないと手に入らない」という思考なので「簡単に手に入るもの=価値が低い」と自動的に思ってしまうのでは。

という仮説を立ててみたがそんな都合よく理論があるのだろうか?

…あった。しかも聞いたことある理論。

「認知的不協和理論」だ。

認知的不協和とは「自分が認知していることに2つの矛盾する考えや行動がある場合にストレスを感じる」ことを表した心理用語です。

Sprocket/認知的不協和とは?身近な例と解消方法、マーケティングにおける考え方を解説 https://www.sprocket.bz/blog/20220721-cognitive-dissonance.html

つまり、「価値の大きいものを手にいれるには苦労しなければならない」という認識と、「価値の大きいものが苦労せずに手に入った」ということに矛盾を感じるから、

「簡単に手に入ったということは価値が低いに違いない」と認識してしまうのである。

文明と相性悪いな…人間の認識って。

過程を楽しんでいるから?

実際は「苦労してる」というわけではなく、その過程を楽しんでいるのかもしれない。過程が省かれているから、虚しくなる。

この辺は「報酬系」がうまく説明してくれた。

上記の記事では、脳内の報酬系にドーパミンが放出されやすくなるのは、下記のようなタイミングであると述べられている。

3.嬉しい出来事が確実に起きると予想されたとき

 例えば、会社を退職して、3カ月後に念願の海外旅行に行くと決めて、すでにチケットも予約してあり、その日が来るのを待っているときだ。〝もういくつ寝るとお正月〟型ともいえる。

ケアニュース シルバー産業新聞/元気や「やる気」を感じさせる「報酬系」とは?https://www.care-news.jp/column/%E5%8D%8A%E6%AD%A9%E5%85%88%E3%81%AE%E5%9B%A3%E5%A1%8A%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9/WA5z3

なるほど。
「目的が達成された瞬間」だけではなく「目的が起こることを楽しみにしている時間」もまたドーパミンが放出されるのだそうだ。

わかる〜!
「旅行の計画が楽しい」とか「告白されるまでのドキドキが楽しい」とか「新学期始まる前の3月のわくわく」とか、人生で色々覚えがある。

それであれば、目的を達成するまでの過程が長いと、それだけドーパミンは放出され続けやすいと言えるだろう。

そうすると逆に「簡単に目標が達成できる」ことで、過程が少なくなりドーパミンの放出量も少なくなってしまう。

うーん。
「期間が長くなる」について納得はできるが、私が知りたいのは過程の「内容」を楽しむという点である。そこの説明について、再考が必要だ。

(余談:つまらないの語源は?)

もしかして、「つまらない=詰まらない」?
詰まらずにすんなり行きすぎると面白くないってこと?

そう期待して調べて見たが、そうでもないらしい

要約すると、つまる=理に叶う、つまらない=納得できない、困る、という意味から来ているようだ。

詰まらずにすんなり行きすぎると面白くない、と言うこととは関係ない…

苦労が値上がりしている

年長者に「苦労は買ってでもしろ」と言われる。
説教かと思ったら、まさかの「苦労は楽しいから」だった!

だが、苦労が少なくなっている今、苦労はしようと思わないとできない行為なのではないだろうか。

例えば、仕事でも上司や先輩は優しく接してくれている人が増えた。
あえて挑戦を選ばなければ、そのままその優しさの中に安住してしまいそうである。

苦労は自分から行動しないと手に入らない。贅沢品だ。
苦労もまた、値上がりしているのである。(←やかましいわ)

反論 無駄な苦労はしなくてもいいのでは

ここでかっこよく締めようとしたが、
「苦労を省く(=簡単にできること)はつまらなくなる」に反論したい自分もいる。

人間は苦労を少なくするために文明を発達させてきたのだ。
それは少ない時間と労力で目的を達成するためだ。

苦労を少なくするのは、正しいことなのでは?

時短家電などの発展で、家事を極限まで減らすことができる。
精神面の苦労でも、最近は厳しい部活も見直されてきているし、パワハラ、カスハラへの理解も広まってきている。

私はその流れに賛成したい。
無駄な苦労はしなくてもいいのではないだろうか。

何かを簡単にすることへの欲望

何かを簡単にすることへの欲望は常に存在する。

例えば洗濯機があるのに、わざわざ手洗いで洗うのは嫌だ。
できることならドラム式洗濯機も欲しく、乾かす手間を省きたいと思う。
畳んでくれるロボットがいればそれも嬉しい。何もしたくない。

洗濯機が無くなっても「苦労できた〜!」と言う喜びは特に感じないだろう。

物による?どういうもの?

結局、「物による」と言うつまらない結論になってしまうのだろうか?

せっかくだから「簡単になるとつまらなくなる」派と「苦労を省きたい」派を分けておきたいところだ。

以下、またもや私自身の例で恐縮だが分類をしてみた。

苦労を省きたいもの

  • 掃除

  • 洗濯

  • 皿洗い

  • 料理(毎日のやつ)

  • タクシーを呼ぶこと

  • 電話

  • 上司や先輩とのコミュニケーション

  • 事務作業的な仕事

「苦労を省きたい」の特徴は、「やらねばならぬ」感が強いことだ。
目的を達成するためにできるだけ早い方法を使いたい。だから機械でもAIでもなんでも使う。

また、仕事や家事は永遠に続いていく行為であり、シューシュポスの神話のように、一度目的を達成してもそれで終わることはない。ずっと続いていく。

簡単になるとつまらなくなるもの

  • 勉強

  • 料理(お菓子作りとか)

  • 文章作成

  • どうぶつの森

  • 人間関係(友達などの深い人間関係)

「簡単にできるとつまらなくなる」組は、「やらねばならぬ」感が少ない。好きなことであると言える。
その過程自体が知的好奇心の追求である。

簡単にしたことで「苦労」に変化するのでは?

ここで一つ気づいたことがある。
過程を楽しんでいた行為の過程を省くことで、残った作業は「苦労」へと変化してしまうのでは?

例えば、楽しんでいた文章作成をChatGPTに任せて、あとはコピペのみにした場合、残った「コピぺ」は単純作業、つまり「苦労」に分類される。
それで、文章を自分で作っていた時ほど楽しめなくなる。

苦労、と思われていたものは、自分で思考をめぐらせなければならない部分である。産みの苦しみはあるが、苦しいと思いながら本当は楽しんでたのである。なんか変態みたいな考え方で恥ずかしいけど。


「苦労」を失って、喜べるか?つまらなくなるか?が、自らの「好きかどうか」のパラメータであると言えるだろう。

月並みな結論

ここで、月並みな結論が出た。

苦しい苦労はしなくていい。
楽しい苦労はする。
簡単にできてつまらないと思ったら、それは自分の好きなことだ。

今は苦労するか、簡単にするか、を選べる、とてもいい時代だ。
だから、自分の欲しい苦労をすることが、許されているのだ。

おしまい

いいなと思ったら応援しよう!

亜麻布みゆ📕言の葉みゆフィーユ チップのご検討、ありがとうございます。 3歳児を育てつつ、スキマ時間に創作を続けています。 いただいたチップは、家事の時短や創作時間の確保に使わせていただき、より楽しい文章をお届けする力に変えていきます。応援が本当に励みになります。