七天王塚(千葉市中央区)
猪鼻城跡近くにあり、数多くの伝説に彩られる七つの塚。現在では堀内牛頭天王が祀られているが、平将門伝説や千葉氏の信仰していた妙見信仰と関係があるともいわれている。よく言われるのが、七つの塚は北斗七星の形に並べられている、ということ。有名な史跡なのでいつか見に行こうとGoogleMap等で位置を確認して以来、ずっと思っていたことがある。……これ、北斗七星の形と見るのは無理なんじゃないだろうか? この塚はいったい何なんだろう? 古墳じゃないのか? ……これは実物を見てみなくてはなるまい。

場所
1号塚:千葉市中央区亥鼻3丁目271番地
2号塚:千葉市中央区亥鼻3丁目281番地
3~7号塚:千葉大学亥鼻キャンパス内
千葉市郷土博物館の近く。1号塚2号塚は旧東金街道に面した南側、3~7号塚は北側の千葉大学亥鼻キャンパスの中にある。JR千葉駅から千葉大病院行きのバスが結構ある。JR本千葉駅から歩いても30分弱。
現在の様子
千葉市指定史跡。七つの塚は、それぞれ柵で囲われて周囲の木々ともども保護されているが、盛り上がって塚らしい形をしている塚は1、2、5号塚だけ。3号塚も多少盛り上がっている様な感じもするけれども、ここが斜面の頂点でここから下り坂になっているから高く見えるだけかもしれない。4、6、7号塚は平らなところにある。これが元々平坦だったのか、上に木が生えては枯れ、生えては枯れ……を繰り返すうちに塚の形が崩れてしまったのか、人為的に削られたのかはわからない。
1号塚

1、2号塚は車通りの多い道の脇、住宅の間にある。塚の上に大木が数本立っているのでよく目立つ。

超広角レンズだと建物に囲まれてる感じが強調されるなー。

詳しい説明が地図付きで親切。好き。
2号塚



1号塚の説明とニュアンスがちょっと違うんだよな。付されている地図が違うのも、あとで並べて見比べる楽しみがあっておもしろい。
と、1号塚2号塚でこんなに凝った説明があるし、写真を後で整理するときのマーカーになるかと思って、3~7号塚の説明板も撮ったのだが、みんな同じだった。なので、まとめてここに置いておく。

下段:6号塚、7号塚
歴史が感じられて良い味だしてはいる。
3号塚

3号塚は千葉大亥鼻キャンパスのもっとも外側にあるので、こんもり茂った木によって道を車で走っていてもそこが塚とわかる。「七天王塚」の碑も、道路から柵越しに見える。


4号塚


生長した木にこんなふうに押しやられているところを見ると、もしかして、最初は古墳の墳丘だったとしても、千年の時が経つうちに木が大きく育った後に枯死し、また新しい木が育って枯死し……を繰り返しているうちに、墳丘が自然に消滅して今の形になったのかもしれない、なんて想像したりして。

カンボジアのアンコール遺跡群に木に飲みこまれたような仏像があるが、ここだと飲まれる前に倒れてしまうな。
5号塚

超広角レンズで撮ると、古墳感がマシマシ。見た目で古墳じゃないのかなぁ、と思うのだが、極近くまで発掘調査されていて、そのときには周溝のようなものは見つからなかったそうだ。


6号塚

巨木に囲まれた中にぽっかりと空いた小さな空間。ふかふかの苔に被われ、この中だけ古代の森があるような荘厳な感じさえする。地面は平坦で塚というより祠といった感じ。


7号塚



現在建物が建っているあたりは、2009年、2010年に発掘調査がされていて、この周辺に複数の古墳があったことがわかっている。なかでも猪鼻1号墳は前方後円墳で、馬具(ハミ)も出土している。
興味深いことに、7号塚は猪鼻1号墳の「前方」の真正面に位置している。これ、ここで何かの儀式をした痕跡なんじゃないかな。神聖な場所として禁区となっていたものが、時代とともに本来の意味は忘れられ、「神聖な場所」という記憶だけが現代まで残っている、みたいな。
七天王塚の本当の起源というのはわかっていないのだけれど、7号塚の位置関係から想像するに、七つの塚の起源は一つではないのではないだろうか、七福神みたいに。古墳だったり儀式の場所だったり、神聖な場所が近くに複数あったから、尊いものがこんなに集まっているなんてなんてありがたい場所なんだろう、とひとまとめに祀られていくうちに、後から北斗七星と結びついて七つの塚として伝えられて来た、と。実際に見てみて想像した。
余談だが、千葉大学医学部の前身・千葉医学専門学校の校歌の作曲者・永井建子って、「元冦」という軍歌を作詞・作曲した人なんだそうな。いやー、ここでモンゴルと繋がるとは。ここまで繋がると、これは絶対縁がある、と思ってしまうよね。
