【震災とSF】映画「君の名は。」徹底考察【俺と新海誠#1】
どうもTJです
今回は自分の人生に強く影響を与えた新海誠作品を今さらながら、いや今だからこそ振り返ろうということで2016年に大ヒットを記録した「君の名は。」をレビュー、考察していく
なぜ「君の名は。」は大ヒットしたのか
この問いに対して、公開当時の時代性と監督の過去作という2つの文脈から考察していきたい
あらすじ・キャスト
1000年ぶりという彗星の接近が1カ月後に迫ったある日、山深い田舎町に暮らす女子高生の宮水三葉は、自分が東京の男子高校生になった夢を見る。日頃から田舎の小さな町に窮屈し、都会に憧れを抱いていた三葉は、夢の中で都会を満喫する。一方、東京で暮らす男子高校生の立花瀧も、行ったこともない山奥の町で自分が女子高生になっている夢を見ていた。心と身体が入れ替わる現象が続き、互いの存在を知った瀧と三葉だったが、やがて彼らは意外な真実を知ることになる。
監督:新海誠
瀧役:神木隆之介
三葉役:上白石萌音
その他:長澤まさみ、市原悦子など
大ヒットの土壌
「君の名は。」の大ヒットは当時中学生だった自分にとっては鮮烈だった
朝のニュース番組では「君の名は。」特集で埋め尽くされ、普段劇場に行かない自分の親世代でさえも観に行っていた
そもそも日本映画で200億越えの興行収入を叩き出したのは、2001年の「千と千尋の神隠し」以来であり、当時は今ほどのアニメ映画が大ヒットする土壌が整いきっていなかったように思える
例としてコナン映画を挙げると「君の名は。」と同年(2016)に公開されたコナン映画の興行収入は約63億円なのに対し、2024年現在は約150億円となっている
そもそもなぜ「君の名は。」はここまで大ヒットしたのか
作品内部の理由については後述するとして、作品外のところでいうと、そもそもスタートから300館越えで上映をしたというのが挙げられる
当時はまだ知る人ぞ知るアニメーターの1人に過ぎなかった新海誠だが、「秒速5cmメートル」「言の葉の庭」などで着実にキャリアを積み重ねていた
それを影ながら観ていた東宝はポスト宮崎駿、ポスト細田守として新海誠に白羽の矢を立てた
※「言の葉の庭」では東宝が初めて配給を担当(公開劇場数は23館)
今までの新海作品の間口を広げるべく、プロデューサー川村元気の貢献もあり、夏休みという絶好の時期に300館規模の全国上映が決定した
あまり語られてはいないが、この東宝の英断こそが作品外部における「君の名は。」大ヒットの一番の理由に当たる
ここで強調しておきたいのは、新海誠は大衆のために自身の描きたいものを捻じ曲げてはいないということだ
「君の名は。」でも描きたいものを描いているし、クリエーターとしての根本のところは変わっていない
ただ作品を制作する上での環境が大きく変わったために、今までとアプローチが変わっただけである
そもそもクリエーターは作品が売れないと、クリエーターとして生き残れない
よく新海誠は「君の名は。」から大衆向けに成り下がったと言われるが、クリエーターとして生存する上で変化することは当然であり、マス向けに自身の信条を捻じ曲げているわけでもない(これはそれまでの過去作を観ても明らかだ)
「分不相応な大きな舞台を東宝さんに用意してもらった。プレッシャーはもちろんあるけれども、2016年を代表するアニメになるんだと思って頑張って作っている。劇場で見て本当に幸せな気持ちを持って帰ってもらえる作品になる」
「君の名は。」の発明
なぜ「君の名は。」は大ヒットしたのか
それは今作が極めて優れた作品であったからであり、そこにはいくつかの発明があった
発明の一つとしては劇中で主題歌を複数曲用いたことだ
それまでは主題歌といえばエンドロールで流れる曲のみというのが常識だった
しかし「君の名は。」で新海誠はRADWIPSと全面的にタッグを組み、OP的に始まる「夢灯龍」、MV的に魅せる「前前前世」「スパークル」そしてEDの「なんでもないや」と4曲を用い、まるでミュージカル映画のような技法をアニメーションに流入させた
複数の主題歌、そしてその他のRADWIPSの背景曲をふんだんに使用することでストーリーに上手く緩急をつけており、108分の上映時間を観客に飽きさせることなく、完璧にコントロールしている
「君の名は。」以後多くのアニメ映画がこの手法を真似したが、「君の名は。」以上に音楽が劇中において上手く機能した例はおそらくないだろう

そしてもう一つの発明が「震災とSFの結合」である
震災とはもちろん2011年に甚大な被害を及ぼした東日本大震災のことだが、今作ではそれを彗星という形でメタフォリカルに描いている
2016年の当時はまだ東日本大震災の傷が今よりも生々しく残っていたからこそ、地震や洪水といった直接的に描くことは大衆映画としてはできなかったのだろう
しかし、本作が大ヒットを記録した要因としてそのことを全面に押し出すことなく、プロモーション、そして序盤の段階では観客に男女の入れ替わりのラブコメだと思わせたのは大きい
そのことによって、中盤以降に明かされる、「入れ替わりに3年のズレがあった」というSF的サプライズが効果的に機能した
また、この彗星というものが震災であるメタファーであるという設定により、単なる大衆作品に留まらず、社会的な視座を備えた作品へと昇華された

この震災とSFを結合させたことは東日本大震災をテーマとして描きながら、エンターテインメントとしても成立させたことを意味する
しかも男女の入れ替わりのところでも、序盤から片割れ時や結びといった日本伝統のところからある種スピリチュアル的なところも含めて巧みに伏線を張っているため、結合にも違和感がない
このスピリチュアル(オカルト)的な要素はある種の日本らしさの側面(宗教性)であり、国民的作家へと成長するための活路を見出した点なのかもしれない
新海 『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』に関しては、僕のなかではグローバルへの意識はほとんどゼロ。一切考えていないです。「日本で作る日本人が見るためのアニメーションを作ろう」と思って作っていて、徹底的にローカルなものにしようと意識しています。
余白と編集-なぜ2人は出逢えたのか
改めて今作を見て気がついたのは、余白の作り方と編集が抜群に上手いということ
それを1番に感じたのが瀧が三葉の口噛酒を飲むシーン
序盤から三葉はなぜ母親がいないのか、なぜ父親がいないのかについては説明されない
しかし観客は三葉の表情や暮らしぶりから何ががあったことは悟ることができる
そして瀧が口噛酒を飲んで3年前の三葉に入れ替わるところで、三葉の半生の余白が一気に埋まる

瀧は三葉からもらった組紐を伝って三葉の過去を知ることになるが、ここでも序盤の説明が効いてくる
時間にすると2分程度だが、観客にここまで直感的かつ繊細に伝える編集技術は感服する
糸を繋げることもムスビ、人を繋げることもムスビ、時間が流れることもムスビ、ぜんぶ同じ言葉を使う。それは神様の呼び名であり、神様の力や。ワシらの作る組紐も、神様の技、時間の流れそのものを顕しとる。
よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それが組紐。それが時間。それがムスビ。
その他にも中盤まで瀧と三葉はかなりの頻度で入れ替わるが、上手く余白を残しているので齟齬が見えないようにしている
ちなみになぜ3年のズレがあったのに2人は出会えたかというと片割れ時だったから
ここも序盤から自然な形で仕込んでいる
「夕方、昼でも夜でもない時間。人の輪郭がぼやけて、彼が誰だか分からなくなる時間。
人ならざるものに出あうかもしれない時間。
魔物や死者に出くわすから『逢魔が時』なんて言葉もあるけれど、もっと古くは
『かれたそ時』とか『かはたれ時』とか言ったそうです。」
3年のズレを乗り越えての2人の再会はこれまで積み上げてきた伏線の回収でもある
瀧が時間そのものである組紐をつけ、三葉の口噛酒を飲み、片割れ時という特異な時間帯だったからこそ2人は出会えたのである
ラストも最後、瀧と三葉が再開し、「君の名は。」と余白を残して終わるのも余韻とタイトルの必然性を感じさせて、素晴らしい
今作ではどうしても映像や音楽などにフォーカスされがちだが、余白の作り方と編集にも注目して見てほしい
総評
長くなったが、最後に総評としたい
TJ的評価は⭐︎4.9/5
2016年という震災の傷がまだ深く残る、そして新海誠が国民的作家としての土壌が整っての一作目だったからこそ出来上がった奇跡のような作品だと思う
若干の描写の粗も見えるが、総じて完成度は高い
また今作は結果として彗星の被害(震災)を無くす物語であり、そのことに対しての批判も多く来たという
それに対する監督からのアンサーは次作「天気の子」で語られることとなるが、今回はこの辺で終わらせていただく
今後も気になった作品はレビュー、考察していく予定なのでよかったらスキ、フォロー、コメント等是非
(今後の投稿の励みにもなります)
では!
【俺と新海誠#2】
参考資料
https://dot.asahi.com/articles/-/123302?page=2
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見返りは何もありませんが、結構助かります。