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桜屋敷を通る風/第4話

4.黒猫は最悪?

 庭から逃げ出したクロは、塀の向こうの声と戸が閉る音を聞いたが、落ち着かない気分のまま、公園の木立の中をどこへ向かうともなく歩いた。

 公園には人の姿がちらほらあったが、気にすることもなく歩き続けた。そうやって無心に歩いていると、胸の内にできた嫌な感じの塊が、歩く振動でトントンと振るい落とされるように、気持ちがほぐれて落ち着いてきた。

 そして、やっぱりトラちゃんに会いたいと思い、くるりと向きを変えて歩き始めた時に突然、
「あー最悪!黒猫に横切られた!オレ、今日バイトの面接なんだよー」
と少年の声が聞こえ、その後ふざけあう笑い声が聞こえた。
 せっかく気分が元に戻りかけたのに、またクロは悲しい腹立たしさを覚え、足早にトラの家に向かった。

 公園からトラの家に行くには、桜屋敷の塀を乗り越えた方が近かった。
 塀に上がり小道に近いところまで塀の上を歩いたとき、庭の大きな石の上に白いプラスチックの入れ物が置かれているのが見えたが、近付いて確かめに行くこともなく隣の家の敷地に入って行き、トラの家に向かった。

 トラの家の門から玄関までは小さな庭があり、そこには植木鉢がたくさん並べてあった。格子だけの小さな金属の門は大人の猫でも低い姿勢になれば楽に通れた。
 トラは天気のいい昼間、たいていは庭の奥まったところで植木鉢の集団に紛れるように座っている。家の中に居るときでも、番犬ならぬ番猫のように玄関先の様子がよくわかる窓枠に細長く座って外を見ている。ガラス窓が閉まっている時は外からでもトラ背中の模様がはっきりわかるくらい、べったりと背中をくっつけて眠っていた。

 クロがごそごそと門の下をくぐると、今日は外にいたトラがすぐに気づき声をかけてきた。
「クロちゃんきてくれたのね。ねえこれから大変ね。どうするの?もう桜屋敷には行けなくなりそう?」

 トラは今朝、近所の猫たちが桜屋敷の噂をしているのを聞いて、クロのことが心配だったと言った。

「昨日の夕方からは、ずっと公園の中にいたの。お庭の小屋の中にも入れたんだけど、ちょっと怖くなってね…」
と、クロが昨日の午後からのことを話し始めた。

「それでさっき、もう一度桜屋敷の様子を見に行ったらね。昨日見かけた女の子がまたで出てきて、その女の子がなんだかすごく嬉しそうにしてくれて、私のこと可愛いって。」

 クロは、はにかんだように笑ってから話しを続けた。

「黒猫を見ると、縁起が悪いって言う人いるでしょ。さっきここに来る前に公園で私のことを見つけた若い男の子たちが、私を見て「最悪」って言ったの。ほんと失礼しちゃうでしょう。私が前を通ろうが追い抜かそうがあんたの人生どうも変わりゃしないわよって言ってやりたかったわ。でもね、やっぱり黒猫って嫌われ者なのかな?って悲しかった。」

 そう言って、少しうつむくクロの話を聞いてトラは、
「ほんとよね、それは失礼だわ。でも桜屋敷に引っ越してきた女の子、クロちゃんのこと見て可愛いって喜んだんでしょ。きっと、人それぞれなのよ。ほらだって、黒猫の絵がマークのお店もトラックもあるじゃない。」

 トラはいつだって、明るい方に話をむけてくれた。

「うん、そうね…それでね、その女の子が食べ物をくれようとしたんだけど、さすがにまだ怖いし、逃げてきちゃった。でも多分私のこと、クロって呼んだのが聞こえたの。」

「あら!どうしてクロちゃんの名前が分かったのかしら?でもまあクロちゃんはどう見てもクロちゃんよね。いいじゃない!桜屋敷には先にクロちゃんが住んでたんだし、もう一度、会ってみなさいよ!」

 トラは、クロが飼い猫になれるんじゃないかと期待している様なことも言ったが、すぐに付け足すように、
「クロちゃんがそうなりたければよ。」
とウインクした。
 クロはうなずきながら、あとでもう一度あの石の上の食べ物を見に行こうと思ったのだった。

 実際、野良猫にとって毎日食べることは大変だった。クロはトラと仲良くなって、しょっちゅう時々食べ物を分けてもらえるようにはなってからは、そんなに困ることはなくなった。でも、いつも分けてもらうのも悪い気がしていて、なるべく自分で賄うようにしていた。
 だからもし、食べ物を貰えるようになると少し助かるのだが、しかし、苦労はあるがクロにとって獲物を捕まえるのは楽しいことでもあった。
 獲物を狙う時、意識を集中して息を止め、狙いを定めて一気に飛びかかる、その瞬間の気持ちの高ぶりが何とも言えず楽しかった。

 小さなころに公園に置いてきぼりにされて寂しくてじっとしていたら、周りを動きまわる虫に気が付いた。それを追いかけて遊んでいるうち、野ネズミを捕まえて食べることを覚え、今はその気になれば雀を捕ることも得意になっていた。

 けれど、トラは、「ネズミなんて食べない方がいい!」と言う。「悪い病気に罹ってしまう心配があるから、遠慮せずに毎日うちで一緒にご飯を食べればいいのよ。」と、しきりに誘う。
 そして、この間ご馳走になった時には、
「お母さんがね、カリカリを食べた後はたくさんお水を飲んだほうがいいって言って、いつでもきれいなお水が飲める機械を買ってくれたの。」
 そう言って、水が湧き出している銀色の大きなバケツを裏返したみたいな入れ物から水を飲むのを勧めてくれた。
 それは、下からどんどんお水が湧くのに溢れない不思議な入れ物で、湧いてくる水を飲んでみると美味しかった。

 クロは普段、溜まった雨水など、トラが言う「きれいなお水」ではないものも飲む。
 軒先に置いてある防火用水のバケツのお水もこまめに入れ替えているお宅の水だと、とても美味しいのでちゃんと場所も覚えている。クロなりに、ひとりで生きていくための手段は考えていた。

 トラは今日も、家の中に入ってキャットフードを食べて行くように勧めてくれたが、
「トラちゃん、いつも優しくしてくれてありがとうね。ちょっと元気が出てきたわ。もう一度、桜屋敷の庭を覗いてくる。」

 女の子が置いてくれた食べ物が気になるクロは、トラにお礼を言って再び門をくぐり抜けて出て行った。

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