「失礼します。おはようございます。先生、朝食をお持ちしました。」
いつも通り声をかけると「どうぞ〜」とあくび混じりの気怠い声が返ってきた。
山深い辺鄙な宿に突然、小さなトランク一つと薄汚れた茶色いロングコート姿でやってきた先生が宿泊名簿の職業欄に作家と書いたのは9月の終わり。執筆のために数ヶ月、滞在したいのだという。本来なら完全予約制なのだが、大型連休を明けたばかりの今は閑散期。特段、断る理由もなかった。従業員はオーナーの叔父夫婦と私だけ。そこへ突然、作家などと名乗る正体不明の男が現れたのだ。まるで不思議な世界のドアがそっと開いたような気がして、先生を部屋に案内しながら私は内心、小躍りしていた。
スーッ
襖を開けて部屋に入ると先生はいつもの窓際の机でまるで突っ伏すように物書きをしていた。その姿を横目にちゃぶ台に朝食を準備していると「へーっくしゅっ」後ろから盛大なくしゃみが聞こえてきた。「うわっ、びっくりした……先生、またそこで寝たんでしょう?風邪ひきますよ」と声をかけると「ははは」なんて、感情の読み取れない薄ら笑いが部屋に響いた。「さぁ、お食事の準備が整いました。今日はオーナー自慢のオニオンスープです。体が温まります。冷めないうちに、どうぞ」いつまでも物書きの手を止めようとしない先生に私はつとめて優しく声をかけた。
キー ギシッ
先生はゆっくり振り向くと椅子の背もたれに体を預けながら「ね、なんか面白い話はない?」と私を真っ直ぐ見つめながら、尋ねてきた。私はなんだか気恥ずかしくなり、畳に目を落としながら、今朝の出来事を話して聴かせることにした。
「そうですね……そう言えば、今朝、宿の中庭を箒で掃いていたら、小鳥が一羽、息絶えていたんです。草もはえていない、ただの土の上に。なんとなく、このままでは不憫な気がして。庭に咲いている秋桜の近くへシャベルで運んで、埋めてやりました。たぶん、死んで間もなかったのだと思います。シャベルの上の骸はとてもしなやかで、触れたらまだ温かいんじゃないかって、そんな風でした。傷らしいものも見当たらないし、まるで夢を見て寝ているような穏やかな顔で。土をかけている間、急に目を覚まして、ピーピーピーって何を埋めようとしてるんだってね、怒りながら、空に飛んでいかないかしらって思いました。でも、一向に目を覚ます気配はなくて。土に埋め終わったあと、黒金の風鈴がチリンって一度だけ鳴りました。まるで終わりを告げたようで。やだわ、これは面白い話じゃないですね」
何も言わない先生をそっと見上げると一瞬、その姿がゆらゆらと陽炎のように揺らいだ気がしたのは気のせいだろうか。
「とても、いい話だった。ね、もし良かったら、また明日も話を聴かせてくれないか」
「は、はい。喜んで。」
チリン ー
どこからともなく黒金の風鈴がひとつ
部屋中に鳴り響いた。それは、まるで指切りの合図のように。
