生きる意味ってなんだろう?
生きる意味ってなんだろう?
世界の片隅で、リンゴを食べる少年は今日もまた考えました。
少年の一日は、朝になったら起きる。おなかがすいたからリンゴを食べ、のどがかわいたから湧水を飲みます。夜になったら寝床に戻る。
生きる意味ってなんだろう?
今日もまた考えて、眠りにつきます。
少年は、この当たり前の一日を何千日も過ごしました。少年の生きる意味は、生きる意味を探すこと、それだけだった。人間も動物もいない世界の片隅で、少年は生きる意味を探します。
ある日のこと、当たり前にあったリンゴの木々は枯れ果て、リンゴは実らなくなりました。
空腹になった時、少年ははじめて後悔をしました。あの時リンゴの種を土に植えていれば、お水を毎日与えていたら今頃は…。リンゴへの感謝をもっとするべきだった。空腹になり満たされるものがなくなって、初めて気づいたリンゴのありがたみ。もう、どこを探しても見つからない。
誰でも経験したことがあるのではないでしょうか。
少年は食べ残したリンゴを探しに行きます。見つけてはすぐに種だけ取り除いて土に植えました。たくさんの種を植える頃、少年は土に触れあい、そっとつぶやきます。
「自分のことばかり考えてごめんなさい。こんなにたくさんのリンゴを食べさせてくれて、こんなに長い間生かしてくれて、いままで本当にありがとう。それなのにぼくは当たり前のように…」
少年ははじめてリンゴに愛着を抱きました。少年を生かしてくれたのはただのリンゴです。でもこの世に自分とリンゴと湧水しかないのなら、リンゴすら家族と呼べるかもしれません。
世界の片隅で、おなかをすかせた少年は日常を変えました。朝になったら湧水をくみにいきます。陽が当たる前にリンゴの木と種に水を与えます。しかし、おなかがすいてもリンゴはありません。夜になったら空腹とたたかいながら眠りにおちます。
失ったリンゴを取り戻すには、リンゴの木が育つまで、愛情込めて水を与えなければなりません。水を与えても、すぐにリンゴは帰ってはきません。何十日、何百日と時間がかかります。空腹にも耐えなければなりません。前よりも、辛くてさみしい一日を何百回も過ごさなければなりません。それはリンゴに対しての自分への償いであり、愛する人や信頼を取り戻すために努力し、後悔を胸に変わろうとすることと同じでした。
何かを手に入れるには、当たり前だった平凡な日常を変えるべきだと思いませんか?
少年は何日も辛い一日を過ごしました。ある日のこと、朝になっても起きない。お昼になっても水を与えない。空腹にはもう耐えきれない。夜になっても起き上がらない。もう死にたい。そのような日々もありました。
どこかで経験したことはないでしょうか?
きっとそこが人生の分岐点。仮にここでリンゴのように腐り、人生を終わらせてしまっても構いませんが、当たり前の毎日を捨てたからこその新たな道のりなんだから、せっかく自分で切り開いた道のりなんだから、歩み生きてみてはどうでしょうか?
苦しみを超えた先に何を感じられるのか、
リンゴが実ったその日はどんな気分を味わえるのか、前向きに考えてみてはどうでしょうか?
少年は起き上がりました。もう一度、リンゴの木々やリンゴの種を植えた土に愛情を注ぎにいきました。注いだ愛情がリンゴであれ、夢であれ、信頼であれ、好きな人であれ、家族であれ、我が子であれ、その愛情の先にこそ、生きる意味があるのかもしれません。
ある日のこと、地上に小さな芽が咲きました。少年ははじめてほっぺがゆるみます。「そうだね。朝起きたらリンゴに感謝して、お腹が減ったらリンゴを食べて、リンゴの種を植えにいこう。のどがかわいたらお水を飲んで、リンゴの木々にも水を与えよう。夜になったら寝床に戻って、今日一日に感謝して目をつぶろう」
お互い死のうとしないのは、支えあっているからだと思いませんか?リンゴが人ならば、このお話は人生を共にする夫婦に似ていませんか?それがリンゴであれ、夢であれ、信頼であれ、好きな人であれ、家族であれ、我が子であれ、人の愛情もまた、生きる意味なのかもしれません。
あざやかなリンゴが実る頃には、少年はもう天国にいました。何かを失うことが、何かを得るために必要なことかもしれません。悲しいかな?でもこの少年は死ぬ瞬間何を思ったでしょう?あの日、死んでいれば良かったと思ったでしょうか?リンゴは実ったころ何を思ったでしょう?あのまま腐っていればと思ったでしょうか?結果が実った頃、少年は死にたい夜を超え、生きる意味へと変わりました。今、あなたはどこにいますか?当たり前の日常にいるのであれば、リンゴに水を与えるべきだと思いませんか?
