見出し画像

『四感+記憶』で彩る私の世界 〜嗅覚障害の記録〜

2年前 流行り病にかかりました。
普段 風邪すら滅多にひく事のない健康優良児。
15年ぶりの発熱でした。
40℃に届きそうな体温が2日程続き、受診をする体力もなく寝込んでいましたが、その後 ほどなくして体調は回復していきました。
喘息のような咳だけが1ヶ月程長引き、その頃流行っていた COVID-19であろうという事は予測がつきました。
解熱し数日後、体力も回復し久しぶりに外食に行きました。濃い味、濃い香りの食事を楽しみながら、
『あぁやっぱり健康が1番だなぁ』
と幸せな時間を過ごしました。

翌朝、何となく違和感を感じました。
朝の珈琲の香りがしません。
『おかしいな』と思いながらも
『病み上がりの身体だし仕方ないか』
と様子を見る事にしました。

1週間、2週間 ────
珈琲豆を挽く香りも 毎朝の洗濯の香りも、どんな食事をしても香りを感じる事ができません。
世界がしんと静まりかえった様でした。
不安になった私はここで初めて受診をしました。発症してから4週間くらいが経過したと思います。
どんな検査をしても異常なし。
症例はあるからと点鼻薬、漢方、そして苦い苦い液体のお薬が処方されました。
薬剤師さんが大の大人に、
『もしかしたら飲み込む事ができないかもしれませんが、頑張って下さい。』
と言うほどの苦くてまずいお薬です。
きっと心が安定している時であれば飲めなかったと思います。
この時の私は、
『これを飲めば治るんだ。』
『これを飲みきる頃には治ってるんだ。』
という一心で服薬の時間が待ち遠しいほどでした。
『早くこの状況から抜け出したい。』
その事ばかりを考え、検索魔になっていきました。
情報は限りなく少なく、
『数週間で回復してくるでしょう。』や
『アロマオイルでトレーニングをしましょう。』くらいしか得られる情報はありませんでした。
アロマオイルを買い揃え、毎朝10本、順番に嗅ぐトレーニングをしました。
アロマオイルの香りは微かに感じます。
香りを感じられる感覚がとってもうれしかった。毎日何度も繰り返しました。それでも日常の香りが戻ってくることはありませんでした。

賑やかだった私の世界が静まりかえってしまいました。
大好きだった季節の匂いがもう側にありません。
おいしそうな香りも、危険を告げる匂いも私には届きません。
絶望の中に沈んでいくような そんな気持ちを感じました。
ちょうど大好きな沈丁花の花が香り始める季節でした。

数ヶ月経ち、無臭の世界から今度は異臭症という状態に変わりました。
煙の中にいるような焦げた匂いがずっとしています。実際には無い匂いを脳が感じてしまっている状態。
一人きり、喫煙所のカプセルの中に閉じ込められているような不快な孤独。
どうする事もできませんでした。
異臭症は1ヶ月程続きました。
どこかで
『異臭症はダメージを受けた嗅神経が再生する過程』
という言葉を見つけ、真っ暗だった世界に 高い高い所から少し灯りが見えたような気がしました。
けれど、何ヶ月も改善しないこの現実に私は疲れてしまっていました。
『治って行く途中なのかもしれない』
という希望は
『もう考えたくない。ずっとこの薄暗い静かな世界でもいいから悲しい気持ちでいるのはもう嫌。』
という諦めの気持ちに消されていきました。
煙の匂いは日に日になくなって行きましたが まだまだ無臭の世界です。
鮮やかな彩りは消えさり、モノクロの世界のまま。
けれど いつの間にか涙は治まっていました。

毎日 味気ない食事でも味覚は残っています。
甘い、苦い、辛いがわかります。酸っぱい や旨味もわかるのです。
『おいしいのは分かるんだけど どういう風においしいのかが分からないんだよね〜』
と明るく誰かに言ってみても 分かってくれる人はいません。
それでも味覚、触覚、記憶を頼りに食事を楽しむ気持ちが私の中に生まれていました。
悲しい言葉で表現するのであれば『諦め』です。
でも私は 私の世界を諦めたくなかった。
真っ暗な世界でも灯りをつけて心を取り戻したかったのです。
現実を受け入れる事ができれば、新しい世界が広がります。
季節のうつろいの香りは分からないけれど、明かりを灯せば鮮やかな花の彩りが見えてくるのです。
おいしそうな香りは分からないけれど、彩りがもどれば記憶が蘇ってくるのです。
五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)の内 1つを無くしてしまったけれど、残った力を大切に感じれば、『記憶』が後押ししてくれます。

あれから2年が経ちました。
私の嗅覚は体調の状態に合わせて少しづつ頑張ってくれています。
わかる匂いとわからない匂いがあります。
弱い匂いと強すぎる匂いは感じません。
今までの記憶とは違う、まったく新しい匂いに変わってしまったものもあります。
それでも少しづつ 「わかる匂い」が増えてきた事で 私は孤独の世界から抜け出す事ができました。
もしかしたら私の記憶が 「香っている」と幸せな勘違いさせてくれているのかもしれません。
それでも私は『4感+記憶』を使って これからも 季節を、食事を、景色を楽しんでいきます。
本当の匂いはわからなくても 自分の世界の香りをたくさん記憶に残していきたい。
もう二度と彩りが消えてしまうことがないように 心の灯りを大切に燈し続けていきます。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集