「女性には難しい」と言われた夜に考えたこと
知らないことを聞くのは、弱さではなく誠実さだ
研究で使う機材について、企業の担当者から説明を受けた日がありました。
私はそのとき、いくつか確認したいことがありました。
どのような効果が出るのか。
結果は出力できるのか。
患者さんが装着した場合、負担はどの程度なのか。
解析にはどんな前処理が必要なのか。
研究利用として、どこまで解釈できて、どこからは限界なのか。
私にとっては、どれも当たり前の確認でした。
臨床研究は、雰囲気だけでは進みません。
「なんとなく良さそう」ではなく、測定できるもの、測定できないもの、対象者への負担、解析可能性、倫理的な妥当性を確認していく必要があります。
特にメンタルヘルスの問題がある患者を対象にする場合、デバイスの性能だけでなく、装着し続けられるか、生活の中で無理がないか、得られたデータをどこまで信頼できるかが重要になります。
だから私は、ひとつひとつ質問しました。
けれど、やり取りの途中で、少し違和感がありました。
こちらの質問に対する返答が、どこか軽い。
専門的な確認をしているのに、表面的な説明で流される。
こちらが研究上の条件を確認しているのに、まるで「難しいことを心配しすぎている人」のように扱われる。
そして、こう言われました。
「女性の方は、こういう機械のことはあまり詳しくないと思うので」
その瞬間、胸の奥がすっと冷えました。
怒りより先に、悲しさが来ました。
私は、ただ研究に必要なことを確認していただけでした。
わからないことがあるからこそ、正確に聞いていたのです。
それなのに、医師としてでも、研究者としてでもなく、まず「女性」として見られたように感じました。
もちろん、相手には悪気がなかったのかもしれません。
むしろ、親切のつもりだったのかもしれません。
わかりやすく説明しようとしただけだったのかもしれません。
でも、悪気があるかどうかと、こちらが傷ついたかどうかは別の問題です。
仕事の場で軽く扱われる痛みは、案外わかりにくいものです。
大声で怒鳴られたわけではない。
明確な侮辱の言葉があったわけでもない。
書面に残るようなトラブルが起きたわけでもない。
それでも、そこには確かに空気があります。
「あなたには難しいでしょう」
「どうせわかっていないでしょう」
「細かいことを聞いているけれど、本質は理解していないでしょう」
そういう前提で扱われる空気。
その空気は、人をじわじわと疲れさせます。
特に女性が専門性を持って仕事をするとき、この疲労はとても厄介です。
やわらかく聞けば、軽く見られる。
はっきり聞けば、きついと言われる。
黙っていれば、わかっていないと思われる。
細かく確認すれば、面倒な人だと思われる。
怒れば、感情的だと言われる。
冷静でいれば、傷ついていないことにされる。
この細い道を、ずっと歩かされる感覚があります。
けれど、帰り道に考えました。
私は、本当に間違っていたのだろうか。
答えは、たぶん違います。
私は、ちゃんと確認していました。
研究に必要な条件を聞いていました。
対象者の安全と負担を考えていました。
データの質を見極めようとしていました。
つまり私は、研究者としてそこにいたのです。
知らないことを聞くのは、弱さではありません。
正確であろうとする姿勢です。
わからないことをわからないままにしないこと。
曖昧な説明を曖昧なまま受け取らないこと。
「たぶん大丈夫です」で進めず、根拠を確認すること。
それは、未熟さではなく、研究に対する誠実さだと思います。
もちろん、すべてを自分ひとりで理解できる必要はありません。
医療者には医療者の専門性があり、技術者には技術者の専門性があります。
だからこそ、対等に話せる関係が必要です。
企業側には企業側の知識がある。
研究者側には研究者側の問いがある。
臨床側には、患者さんを見てきた者としての現実感がある。
そのどれかが上で、どれかが下ということではありません。
本来、研究における打ち合わせとは、互いの専門性を持ち寄る場です。
だからこそ、性別や年齢や雰囲気で、相手の理解力を勝手に決めつけてはいけない。
そしてこちらも、軽く扱われたと感じたとき、自分の問いまで小さくしてはいけない。
その日、私は傷つきました。
でも、その傷つきは、私が弱かったからではありません。
自分の専門性を軽く扱われたと感じたから。
自分の問いを、まともに受け取ってもらえなかったと感じたから。
対等な研究者として扱われなかったと感じたから。
だから、怒りが湧いたのです。
怒りは、下品なものではありません。
ときに怒りは、尊厳が傷ついたときに鳴る、内側の警報です。
「その扱いは受け入れない」
「私はここに、対等な相手として立っている」
「私の問いを、軽く扱わせない」
そう知らせてくれるものです。
ただし、その怒りをそのままぶつけるだけでは、こちらも消耗します。
だから私は、その怒りを次の質問に変えることにしました。
次に同じような場面があったら、もっと具体的に聞く。
ローデータの出力形式を教えてください。
装着実績を資料で示してください。
解析アルゴリズムの前提を確認させてください。
研究利用上の限界を明示してください。
即答が難しい場合は、技術担当者から文書で回答してください。
感情を消すのではありません。
感情を、品位ある言葉に変えるのです。
女性だから、わからないと思われた夜。
その夜、私は少し傷つき、少し悔しく、そして少しだけ背筋が伸びました。
私は、誰かに「わかっている」と認めてもらうために研究をしているのではありません。
わからないことを、わかる形にするために研究をしているのです。
知らないことを聞くことは、恥ではない。
曖昧なことを確認することは、面倒なことではない。
対等に扱われたいと願うことは、わがままではない。
私は、研究者としてここにいる。
怒りをなかったことにしなくていい。
悔しさを「私が未熟だから」と片づけなくていい。
ただ、その怒りを、自分を守る言葉に変えていく。
私は、対等に扱われていい。
私は、知らないことを聞いていい。
私は、私の問いを守っていい。

※本文は、特定の個人や企業を示すものではなく、仕事の場で起こりうる体験をもとに再構成したコラムです。
