僅かな希望に私は賭ける「TESE手術」
クラインフェルター症候群という診断を受けてから、医師から提示された次の1手、「TESE手術」。
精巣を切り開き、細胞を採取。目視で精子を探す。精巣の中に精子が存在するかどうかは、実際に切開してみなければ分からない。
それがTESE(精巣内精子採取術)という手術だ。
リスクも小さくはなかった。
麻酔の影響や出血、感染のリスク。
そして、採取しても精子が見つからない可能性
それでも、私は迷わなかった。
「例え1%でも可能性があるなら、そこに賭けたい」
そう思った瞬間、すでに答えは出ていた。
妻のほうが、むしろ私よりも心配していた。
「無理しないでほしい」と言われたが、私はやりたい、と一言。
どこかで、“自分の可能性”を確かめたい気持ちもあったのだと思う。
手術当日。
待合室にいる妻を感じながら、手術台に寝そべる。2人で願いを込めたお守りは枕の下に差し込んだ。
部分麻酔で行われた手術の全貌はすべてこの目で見た。
左右の精巣から、それぞれ4本ずつ、計8本の細胞を採取。
医師は慎重に、顕微鏡で精子を探した。
結果、「精子は見つからなかった」。
その言葉を聞いたとき、胸の奥が静かに崩れていった。
涙は出なかった。
ただ、自分という存在が少しずつ空気に溶けていくような感覚だった。
「やりきった」と思う気持ちと、「何も残らなかった」という現実のあいだで、
心が引き裂かれていた。
手術後しばらくして届いた病理検査の結果には、
「精子を作る細胞そのものが存在しなかった」と書かれていた。
つまり、どれだけ時間をかけても、努力しても、
私の体では“命の種”を作ることができないということだった。
それでも、私は妻の前では気丈に振る舞った。
彼女を悲しませたくなかったし、これ以上泣かせたくなかった。
だが、心の奥はボロボロだった。
不妊治療を始めて半年、両親には黙っていたが、その夜、すべてを打ち明けた。
無精子症のこと、クラインフェルターのこと、手術のこと、両親は驚きながらも静かに聞いてくれた。父は、身体を大事にしてほしい、ゆっくり休んでほしい、と。母は声を押し殺して泣いていた。
翌日、職場で上司にきつく当たってしまった。同僚にもきつく当たってしまった。申し訳ないことをしたと思う。
自分でも抑えられなかった。
それほど、ショックが大きかった。
手術から一ヶ月、少しずつ気持ちを落ち着かせた。
“できないこと”を受け入れるまでには時間がかかったが、妻と一緒に次の選択肢について勉強を始めた。
夫婦で説明会に参加した。
精子提供という形、養子縁組という形、
子どもを迎える方法はひとつではないことを知った。
どんな形であれ「この夫婦のもとに生まれてよかった」と思える家庭を築きたい。
“ナニカ”から与えられた試練だと、今は思っている。
私たちだからこそ、特殊な環境で生まれた子どもでも、心から愛せるはずだ。
そして、この経験が、いつか誰かの希望に変わる日が来ることを願っている。
僅かな希望に賭けたことを、私は今でも後悔していない。
あの日、すべての可能性に向き合った自分を、
今では少しだけ誇りに思える。
