自分の"強み"を知ることの大切さ。【 幸せになって幸せにする 】を座右の銘に10年以上走り続けた半生を振り返って。
よく就職活動で「10年後の自分は?」なんて聞かれたり、ビジネス書などでは「具体的に10年後の将来を見据えましょう」なんて書いてあったりします。
たしかに大事な視点、考え方です。
でも、10年後の自分なんてわからないよなー。想像つかないよ。と若いころの僕は思っていました。
社会人になってからの僕は、挫折の連続で、理想の自分と現実の自分の間で押しつぶされそうになったことが数多くありました。
思い描いた将来の自分ってこんな感じだったっけ?と自分のことを空っぽに感じたりもしました。
いろんな夢をみて、失敗してはまた夢をみる。
自分はもっとできるはずだと必死にもがく。
自由になりたいと望めば望むほど、自由がゆえに失敗する。
今思えば、穴を掘っては埋めて、また掘っては埋める…そんな人生でした。
そんな僕がなぜ、年商数千万円を超える経営者として10年以上走り続けることができたのか。
この話は、たぶん99%の人が興味のないものでしょう。
人生の岐路に立って、どっちにいけばいいのか。どの道が正しいのか。仕事も人生もどうしていいかわからない。そんな、ほんの一握りの、いつかの僕のようなあなたに向けて人生を振り返り綴ってみます。
要約
✅️やらされることじゃなく、やりたいことってなんだろう
✅️自分の根源に気づく
✅️自分の強みを知るということ
✅️市場の大きさで参入を決めてはいけない
✅️自分自身を知るということ
✅️すべての答えがあなた自身の中にある
1. 原点ときっかけ
夢の多き10代
小学生のときの夢はカメラマン。
中学生のときは薬剤師。
高校時代には部活でインターハイを経験するくらいにはスポーツに本気で打ち込んでいたこともあり、実業団に入ることが夢だった一方で、恩師の影響で教師になるかで悩んだ時期もありました。
しかし、志望の大学には入学することができず、高校時代のどちらの夢も諦めてしまいました。
次の夢といえば、心理カウンセラーでした。
人のココロというものに興味を持って、それまで志望していた経営学部の出願を直前に取りやめ、臨床心理学を専攻できる大学に入ったのです。
臨床心理学の面白さにどっぷりハマり、これこそが自分の最大の人生の夢だったんだ!と学会に出席したり、セミナーに参加したりしては、いろんな著名な先生方に話しかけに行ったりして、真剣に日々勉強していたのを覚えています。
今思えば、数々の夢にはある共通点があったんです。
第一の転機
そんな数々の夢を抱きながらも
周囲が就職活動を始めると、就職することが当たり前という風潮にそのまま乗っかって、「なんとなく車が好きだし」と中古車業界の大手企業を受けました。
並行して、またまた「なんとなくパソコン好きだから」とIT業界の大手企業を志望して、それぞれ7次面接くらいまである採用試験に望んだのも今となっては懐かしい思い出です。
なんとか2社とも内定をいただくことができました。
そして、友人に誘われたこともあって「なんか社長と距離近くて仲良くなれそう」だからとベンチャー企業の合同説明会に参加しました。
これが僕の人生を決定づけたと言っても過言ではない、大きな転機でした。
そこで出会った社長が当時の僕にとっては、とてつもなくかっこよかったんですよね。
IT系の某ベンチャーの社長は僕にこう質問してきたんです。
社長:「君はなんで就活してるの?」
僕:「(え…?なんでシュウカツしてるの…?)…仕事をしたいからです」
社長:「だったらバイトでもいいんじゃない?」
僕:「バイトは…ちょっと…。ゆくゆくは独立して社長になりたいので、正社員としていろいろな経験を積みたいんです」
社長:「社長になりたいなら今すぐ書類出しておいでよ。今すぐ社長になれるよ。」
僕:「……経験がないことには…」
社長:「思考は現実化するんだ。何をしたいのか真剣に考えてごらん。」
"何をしたいのか"
恥ずかしながら、当時の僕は「何をしたいのか」と問われ「大きな会社の正社員になって、与えられた仕事をしたい」と回答していたんです。
ここでいう恥ずかしさとは、大手の正社員になることではありません。
「与えられた仕事をすれば経験が勝手に積める」と無意識に思ってしまっていたココロの部分です。
やらされることじゃなく、やりたいことって何なんだろう
前述の通り、それまでの人生における僕の夢はすべて"職業"そのものだったんです。
なぜ、その職に就きたいのか。ここがスッポリと抜け落ちていました。
臨床心理学を学んでおきながら、自分のココロを全く理解していませんでした。情けない話です。
この"気づき"を与えてもらえたのが、僕にとって第一の転機でした。
その社長には今でも感謝してもしきれません。
その後、僕は大手の内定を2社とも辞退して、その社長のもとでお世話になる道を歩みました。
第二の転機
おこがましくも大手の内定を2社とも辞退して、両親の反対や周囲の心配もよそに某ベンチャーにお世話になる道を決めたんです。
そのときの僕は希望に満ち満ちていました。
"本当にしたいことはなにか"
僕はその気づきを得た瞬間から、ずっと考え続けました。
長男として産まれ、それまでの学生時代で属した組織では部長や生徒会長をやってきました。それら自体を疑問に思ったことはありませんでした。
なんで部長をしていたんだ?なぜ会長をやった?
「なんとなく」「誰もやらなかったから」それも事実です
でも、辞めずに責任を全うした。最後までできた。
夢は次から次に変えていった僕です。
好奇心も旺盛で、いろんなことに興味を示します。
でも、それらのポジションを途中で辞めたことは一度たりともありませんでした。これまでも、頼まれた仕事を中途半端に投げ出したことはありません。
では、なぜ辞めなかったのか。なぜ続けられたのか。
ひとりだったら続けていられたのか。
数々の自問自答を経た先に答えがありました。
僕は「人に頼られたい人間なんだ」
僕は、周りに人がいて、頼ってくれるからこそ、辞めずにいられた。
途中でやめてしまっていたら、きっと頼られなくなってしまった。
それだけは絶対に許容できなかったんだ。
だから、その与えられた役割を全うできた。
頼られることが僕にとって何にも代えがたいモチベーションの根源なんだな。
これでこれからの人生はうまくいく!
なんたって僕は"本当にやりたいこと"を見つけられたんだから!
人生の扉がようやく開いた気がした瞬間でした。
時を同じくして、信じられないことが起こりました。
会社が倒産するとの報告が社長の口から告げられたのです。
そのタイミングは、新年度が明けてわずか2ヶ月、社会人1年目の6月のことでした。青天の霹靂とはこのことです。
非情にも第二の転機が訪れたのでした。
第三の転機
「新しい会社を立ち上げて社長以外はそこに移ろう」
とか
「私と〇〇は馬が合わないから別々の会社を立ち上げる。どちらに来るか選んで。」
とか
そこですでに働いていた先輩方は口々にこれから先をどうするか議論していました。
こちらは新卒一年目。
親の反対も押し切って、絶対成功してやると意気込んでいたくせに、蓋を開けてみればなんのキャリアも実績もない22~23歳の失業者。
新卒の金切符ももう使えない。
先輩方の話に入ることもできず、頭の中は真っ白。
思えば、それまでの人生は勉強もスポーツも人並みにはできて、ある程度の順風満帆な人生を歩んでいたのでしょう。
この出来事で僕は1年ほど後悔の念に苛まれ続けました。
これが冒頭部で僕が書いた「挫折」の序章です。
そんな現実に耐えられなかった僕は、連絡をくれた大学時代の友人につい愚痴ったのです。
「こんなはずじゃなかった」「親からもそれ見たことか、人生そんなに甘くないと罵られた」と。
出るわ出るわ。全部他人のせいです。
滑稽だったでしょうね。自分の選択した道が思い通りのものでなくて、それに押し潰されて現実逃避。我ながら情けないです。
でも、その中で「諦めたくない」「俺と一緒に起業しないか」と口から本心がこぼれ落ちました。
その友人はそもそも状況を察して連絡をくれるような人物でした。
きっとなんとなくそう言ってくるだろうという予想も多少あったのでしょう。
驚く様子もなく「いいけど、何する?」と二つ返事で、その友人と起業することになりました。
この起業が僕の第三の転機です。
2. 人生を懸けた挑戦と教訓
お金もない。なにもない。
なにもない。どうしよう。
「頼られたい」とか偉そうなことを言っておいて、社会人としてはできることが大してない。できることがない人のもとへは頼る人が現れません。
"起業"という響きはいいけれど、なにもしなければ、できなければ消滅するだけです。
まず、したいこと以前に、"僕らにできること"はなんだろう。
無数に紙に思いつくままに書き殴りました。
とりあえず目につく物理的な物から。
・インターネット
・電卓
・耳かき
・パソコン
・ホッチキス…etc…
無数にA4の裏紙にひらすら書いた記憶があります。
なにもないと思っていたけれど。世間一般から見ればなにもないけれど。
それでも僕らは恵まれていました。
使えるものがあるのなら、次は"どんなことが得意"だろう。
幸い、僕はデスクトップパソコンを自作するくらいにはパソコンが好きで、操作も得意でした。
パソコンとインターネット。
作業ができる自宅。
店舗がなくても、事務所がなくても、これでできる。これでやるしかない。
ひたすらインターネット上で自分たちができることを探し、考えました。
クラウドソーシング、クラウドファンディングとの出会い
起業しようとしていた僕らは、とにかくそこから勉強の日々でした。
当時、海外ではクラウドソーシングがトレンドになっていて、日本国内でもそれに類したサービスが開始された時期でした。
僕らは、インターネット上でできるビジネスをする。
この"強み"とも言えぬ強みしか、当時は見い出せずにいました。
そんな状況の中、上記のビジネスはまだ周知されていない段階だったため、勉強会やセミナーが日本各地で開催されている時期でした。
そんなタイミングが功を奏して、実際に経営者の方々とお話できる機会に恵まれました。
共同経営者である友人と一緒にセミナーに参加し、生意気にも「自分たちもクラウドソーシングのサービスを展開したいと考えています」「将来性はどこに見出していらっしゃるんでしょうか」と主張と質問をしました。
喧嘩を売りたかったわけではありません。
自分たちはインターネットを活かしたビジネスがしたい。すごい経営者はどこまで先を読んでいて、自分達とどれほど開きがあるのだろう。そんな思惑と疑問から出た質問でした。
所詮、子犬が吠えているだけです。
今では知らない人がいないであろうクラウドファンディグサービスのCAMPFIREの家入さんの答えは単純で的確なものでした。
「これからは個の時代だという推測はしています。私は個のチカラに魅力を感じていますが、クラウドソーシングやクラウドファンディングはあくまで、彼らのチカラを発揮できるフィールドに過ぎません。あなたが参入するとして、彼らが喜ぶ(私たちのサービスとの)違いはどこですか。」
「ありがとうございます。考えておきます。」これが僕の精一杯の返答でした。
ここでまず反省したのは、僕らは「伸びる市場だから参入しようとした」だけであり、差別化もなければ、これまでの様々な"気づき"すら全く発揮できていなかったということです。
"したいこと"や"やれること"、そのどちらも抜けていて
"伸びる市場だから"だけで突っ走った挙げ句、ただただ同じサービスをすれば成功できるだろうと。
我ながら考えが甘すぎます。
しかし、この過ちを僕はすぐに修正することができませんでした。
創業・ベンチャー支援で感じたこと
クラウドソーシング、クラウドファンディング。
その時点ではまだほとんどの人が知らない、革新的で一種の金脈のような、大きな可能性を感じる仕組みのビジネスでした。
セミナーで得た知識を自分たちなりに分析して、当時は社会貢献色の強かったクラウドファンディングを商品開発に活かせるんじゃないか?という考えにまでは至ったんです。
"商品開発特化型のクラウドファンディング"
こんな革新的と思える(今では当たり前の)アイディアを引っ提げて、住んでいる地域の公的な創業・ベンチャー支援の相談窓口に行きました。
自分たちなりの事業計画書を持ち込み、支援員の方と面談してもらいました。
まず計画書を一読して指摘されたことは、僕らの計画書が「事業計画書のひな型」に合っておらず、抜けが多いこと。
たしかに、なんの経験もない若者だった僕らにとって至らぬ点があったことは間違いありません。
「ひな型あげるからこの形式で書くところからだね。」と一蹴されたところから始まりました。
せっかくの機会です。おおまかなアイディアがビジネスとして成立するか。食い下がって助言を求めました。
「アイディアはいいとして、お金あるの?」
これが次のご指摘でした。少し鼻で笑われました。
ぐうの音も出ませんでした。
いいアイディアさえあれば、創業・ベンチャー支援事業から補助金なんかがもらえて、きっとどうにかなる。
こんな甘えは見透かされていたのでしょう。
この出来事は、今でも夢に出てきます。
そのたびに反省とともにこう思うんです。
ただ、もう少し親身に話を聞いて、一緒に考えてほしかったな。
自分なりに必死に考えたアイディア、挑戦を笑わないでほしかった。と。
お金もない。なにもない。という思い込みからの脱却
参入するための莫大な資金力があれば成功間違いないのに。
当時の僕はそんなことを思っていた気がします。
でも、実際にお金はないんです。
参入するにもそれ相応の準備が必要になる。
これが突きつけられた現実でした。
伸びる分野を把握しておくことは有益です。
でも、利益を逃さないために参入する。
これだけではうまくいかなかったことは間違いありません。
しかし、そう言っても、どうにかしてお金を稼いでご飯を食べていくしかないのが人生です。
お金がなく、支援者もいませんでした。
自分たちにある環境で、小さく何かを始めるしか手段がありませんでした。
そんな状況だからこそだったのか、
当時の僕らが思い至ったのは、インターネットを利用した無在庫での通販ビジネスでした。
欲しい人を探して、見つかった段階で受注生産してもらって、それをお届けする。
仕入れるお金すらなかった僕らが考えうる最善のビジネスモデルでした。
現在ではドロップシッピングやオンデマンド製造などという言葉で語られますが、当時は完全オーダーメイドや受注生産といったワードしかなく、在庫を抱えることなく物販をすることは主流ではありませんでした。
僕がビジネスで重要視していることは
「なにもない人はいない」「できることを考える」ということです。
身の回りにあるもの、自分ができること。
これらをうまく活用して、理想の形を実現するためにほんの少しアイディアを盛り込む。
そして、できるだけ小さく、リスクを最小限に持続可能な仕組みを構築する。
ここまで書いた一連の出来事、その経験すべてが現在の仕事の礎になっています。
いろいろな方の話を聞いていると、過去の自分同様、「伸びるから参入する」ということに重きを置いていらっしゃる方が多い印象を抱きます。
これだけでは必ず近いうちに頭打ちになる可能性が高いでしょう。
適材適所という言葉がありますが、それはサービスの提供者自身が自分のチカラを最大限に発揮できる条件をしっかりと把握することから始まります。
それをしないとリスクが高まると同時に、ずいぶん遠回りになってしまう。
それが僕が自身の失敗や挑戦から得た教訓です。
3. あなた自身がすべてを知っている
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
40年近い人生はアッという間でしたが、これから先もアッという間だと思うと、自分らしくどう生きていけるかが本当の贅沢ということなんだろうなと感じます。
ここまでの振り返りで"自分らしく"とはどういうものか、ほんの少しお伝えできていればいいなと思いますが、結局のところ全ては自分自身の、あなた自身の中にある。ということです。
過去の自分に教わる話
昔のことを振り返ろうと思い立ってnoteを見返していたのですが、ふとはじめてnoteで書いた記事が目に留まりました。
今からもう10年以上も前の記事です。
過去の自分が、「幸せになって幸せにする」と書いていたんです。
小恥ずかしいと同時に
あー、そうだったな。と。
それが根源だったんだよな。と。
今でも、心の底からいい言葉だなと感じることができます。
僕は自己犠牲的な考え方が苦手です。
誰かのために自分を犠牲にして、他の人を幸せにしてあげようとは、残念ながら思えない人間なんです。(アンパンマンはすごいですね)
『僕は「頼られたい人間なんだ」』とお話しましたが、これは犠牲になりたいということではありません。
すべての人を助けられるとも思っていません。
僕がもっているもので、困っている誰かが少し助かれば、
僕は幸せですし、相手のことも少しだけ幸せにできるんじゃないか。
そんな取り組みで一緒に幸せになれたらそれが一番じゃないかって、僕は思ってしまうんですよね。
それに、この言葉の好きなポイントは
"能動的"な点です。
幸せにしてもらう。とか幸せになってもらう。とかではなく、
幸せになる。幸せにする。なんです。
昔の他人のせいにしていた自分の決意表明にも感じて、胸にこみ上げてくるものがあります。
同じ境遇のあなたに
あなたにも、10年前の僕のように、座右の銘がありますか?
それがあなたのアイデンティティを表すものかもしれませんよ。
冒頭で書いたように、10年後の自分の姿を思い描くこともたしかに必要なことかもしれません。
でも、それもよりもっと大事なことは、
「今の自分をしっかり理解すること」だと僕は思います。
あなたの「強み」や「あなたらしさ」を把握して、最大限発揮できる体制を作れたとき、それは簡単には崩されることのない唯一無二の武器となると僕は知っています。
自分自身と向き合うことを恐れないでください。
ひとりで向き合うことが難しければ、一緒に向き合いましょう。
僕は「人に頼られたい人間なんだ」
ただ、もう少し親身に話を聞いて、一緒に考えてほしかったな。
自分なりに必死に考えたアイディア、挑戦を笑わないでほしかった。と。
僕自身、親身に話を聞いて、一緒に考えてほしかったと心の底から感じたひとりの人間です。
人に頼ってもらうことがなによりの生きがいでもあります。
あなたの挑戦やアイディア、アイデンティティを笑うことはありません。
連絡しようか迷ったら、遠慮なくご連絡ください。
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