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エゴというかわいい奴

 本日は、昔からの長い付き合いである「エゴ」というかわいい奴をご紹介したいと思います。

 わたしはいつも「エゴン」と呼んでいます。そのままエゴと呼ぶのはどうも面白みに欠けますし、なんとなく「ジュゴン」っぽい響きが気に入ったので、そう呼ぶことにしました。特別な意味はありません。

 ということで、本記事内でもエゴンと呼ぶことを、まずはご了承いただければと思います。また、心ならずも長文となってしまったことを、前もってお詫び申し上げます。


◆エゴンとわたしの不思議な関係

 さて、エゴンとわたしは一体どういう関係なのかと申しますと、友人かと訊かれればそのような気もしますし、そうではない気もしています。実は、これまでエゴンとは紆余曲折色々とありまして、今のように落ち着いた関係になったのは本当につい最近のことなのです。

 そんなエゴンのことをお伝えするにあたり、まずはいつどこで知り合ったのかをお話しするのが筋だと思っております。しかし、そうしたいのは山々ですが、全く以て不思議なことに最初の出逢いを覚えていないのです。

 覚えていないというよりは、分からないといった方が正しいのかもしれません。正直な話、人様にこんなことをいうと「可笑しな人間だ」と思われてしまうのではないかという一抹の不安が過るのですが、実はかなり長い間、わたしはエゴンのことをわたし自身だと思っていたのです。

 どう説明したらいいのか難しいところではありますが、自分の意志、自分の言葉、自分の思考だと思っていたものが、実はエゴンだったのです。

 最初に気づいたときは、それはそれは驚きました。

 今思うと、エゴンはかなり口うるさい奴でした。事あるごとに「努力なしで良い結果は出ない」とか、「失敗するからやめた方が良い」とか、「休むよりも将来のために耐えて頑張ろう」とか、「安定のためにはお金が足りないからもっと働こう」とか言うのです。また、幸福のために経済的豊かさは欠かせないと訴えるわりには、「お金持ちには悪い奴しかいないし、質素な生活をする方が人として正しい生き方だ」とか言ったりもするのです。

 最もらしい言葉を使っては、それがわたしの望みであり、意志であるかのように振舞って、この人生にいちいち口出しをする面倒くさい奴です。

 それだけではありません。「Aさんは性格が悪くて信用できない」とか、「こういう思考を持っている人は気を付けた方が良い」とか、「Bさんは昔わたしを傷つけたから距離を置くのが賢明だ」とか、出逢う人たちを勝手に評価してレッテルを張り、あの人たちとわたしは完全に分離した別の存在であると主張するのです。

 このようなことからもお分かりになる通り、実はわたしが真実だと思っていた世界のほぼすべては、エゴンが創り出した幻想だったのです。

 こんな重要なことに長い間気づかなかったなんて、恥ずかしいとしか言いようがありませんが、それでもやはりエゴンを紹介するとなると、この点については言及せざるを得ないのです。


◆エゴンの正体を探し出せ

 さて、エゴンに対しては疑問がありました。

一体全体、どこから来た何者なのか。

 エゴンの正体を探るために、まずわたしは「エゴン」と「わたし」を区別することにしました。

 実はここだけの話、当時からわたしはエゴンに関する重要な事実を握っていました。それは、エゴン、もといエゴという奴は、どうやらわたしだけにいるのではないということです。つまり、わたしたちが気づかないだけで、案外いろんな場面で出没しているというのです。そのため、全世界の多くの賢い人たちがこのエゴについて研究し、関連本を出していることも知っていました。

 わたしは早速ヒントになりそうな書籍を探しては読み、そこに書いてある方法を実践していったのです。なかなか理解するのが難しいものもありましたが、それでも、それなりに役に立ったと思っています。


◆エゴンの目的と性格

 そこで分かったことは、どうやらエゴンの目的はわたしの不足している点を指摘し、不安や恐怖を駆り立てることで行動を起こさせ、しかし、可能な限り過去の失敗や傷を繰り返すことなく、安定した未来に導くことにあったのです。

 先ほども申し上げましたように、エゴンはとてもうるさい奴です。また、過去の失敗や将来の安定を最重要視する奴です。そのため、過去の経験から分かるすべきこと・すべきでないこと、そして、将来の幸福のためにすべきこと・すべきでないことを語り出すのがエゴンなのです。

 と同時に分かったことは、本来のわたしはとても穏やかで、静寂を好み、つねに平安に包まれているということでした。また、すべては純粋な気づきでしかないということを知っている存在だったのです。


◆エゴンに対する嫌悪感

 それからというもの、本来のわたしが持っている平安を邪魔するエゴンのことが大嫌いになりました。もうこいつの言うことには騙されない、絶対に信用すまい、と躍起になったのです。

 わたしにとってのエゴンとは、排除すべき存在へと変化しました。

 そのため、エゴンが現れても一切を無視することにしたのです。一応聞きはします。でも、決して返答はしません。それまでのように声に従って何かを決定したり、行動したりすることはしないのです。

 おかげで、少しずつエゴンはおとなしくなっていきました。また、以前のように不安や恐怖を仰いで、行動を掻き立てることも少なくなりました。


◆エゴンに対する勘違い

 しかし、いつからかは分かりませんが、おとなしくなるエゴンを見ながら可哀想な気がしてきたのです。なぜかエゴンに対して冷たい態度を取ると、心が痛く感じるようになったのです。

 そして、気がつきました。

 エゴンがうるさかったのはわたしを守るためであり、それが最善だと信じていたからだったのです。決して、わたしの幸せや平安を邪魔しようとしていたわけではありません。むしろわたしが傷ついたときには隣で寄り添い、二度とそんな思いをさせてはならないと、必死に守ってくれていたのです。そしてそれは、大きな幸福と豊かさがやって来るわたしの将来を信じていたからでもありました。だからこそ、あそこまで一生懸命だったのです。

 わたしは改めて訊きました。いえ、ちゃんと本人に訊くのはこれが初めてだったのかもしれません。

「エゴンは一体どこから来たの?」

 すると困ったことに「わたしの中から生まれてきた」という予期せぬ答えが返ってきました。全く理解に苦しみます。わたしから生まれたけれども、わたし本来の姿ではない別もので、でも、わたしの人生のためにここにいると言うのです。

 ここまで来ると、もうお手上げです。

 しかし、タイミングが良かったとでも申しましょうか。ここまで来ると、エゴンの正体を暴いてやろうとか、何とかしてろうという気もなくなっていたのです。

 探求は、これで終わりです。


◆それでも私にとって重要なこと

 ただ、これだけは確信を持って言えることがあります。

どうやらエゴンは、わたしのことが大好きらしい。

 それに気づいてからというもの、エゴンとは心地いい距離感でお付き合いをしています。

 もちろん、エゴンはわたし自身でもありますから、完全にかけ離れた存在というわけではなく、でも、わたし本来の姿ということでもありませんから、お互いが穏やかでいられる空間に存在する間柄になったということです。

 それでも、今でも突然思い出したかのように、わたしに向かってあれこれと言ってくることがあります。

 わたしはその度に落ち着いて、「大丈夫だ」ということを伝えるようにしています。言葉で一つひとつ説明するのではありません。エゴンが言いたいことを感じ取り、冷静に、それこそ「愛を持って」優しく対応するのです。

 そうすることでエゴンも落ち着きを取り戻し、そして「さっきの慌てようったら滑稽だね」なんて言いながら、ふたりで笑い合うのです。


◆◆


 わたしが思うのは、エゴンというのはなんとも愛らしい、かわいい奴だということです。

 一時は誤解してしまい、拒絶する時期もありましたが、意外にもエゴンはそのことに関しては一切怒ることもなく、今でもわたしが傷つかずに幸せに生きられるようにと、ただただ一生懸命、わたしとともにいるのです。

 そんなエゴンに対する懺悔の意味と感謝の気持ちを込めて、今回は記事を書きました。


 エゴン、いつもありがとう。

 でもね、わたしは大丈夫。

 何が起きてもね、大丈夫なようになってるんだ。

 究極の話、死んだって、結局は大丈夫なんだよね。

 だから、心配しないでおっけっけ~。

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